トヨタの始祖が豊田佐吉であるがごとく、幸之助の会社は「松下」でしかありえなかった。この十月、その社名を変えるに至るまでには、一人の経営者の慎重で巧緻な“準備期間”があった。 一九六八年春、国鉄名古屋駅前に松下電器産業の事務服を着た若い営業マンが人待ち顔で立っていた。「十メートルくらいは離れて待っているように」 上司の指示が頭に浮かぶうちに目当ての車が到着し、小柄な老人が降りてきた。言いつけ通り遠巻きにしていると、気づいた老人は歩み寄り、目ざとく名札を読み取った。「中村君か。ご苦労さん」 老人は新幹線車中で食べる弁当の包みをさりげなく受け取った。

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