二〇一〇年は平城京遷都千三百年の節目だ。大極殿も復元され、いよいよお祭りムードも高まってきた。 平城京に都が置かれた時代は、安定と繁栄の時代というイメージがある。『万葉集』に「あをによし寧楽の京師は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」と歌われているからだろう。 だが、平城京には、これまであまり語られることのなかった歴史が隠されている。それは、天皇家と藤原氏の暗闘である。 そもそも、平城京は「天皇のための都」ではない。藤原氏が自家の栄華を誇示するための都であった。大極殿を見下ろす高台に藤原氏の氏寺・興福寺が建立されたのがいい例だ。
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