10年来の付き合いであるベルギー人の公認会計士Sから、折り入って話があると連絡があった。Sはまだ30代。若くして税理士仲間と一緒に、芸術家を相手にした会計事務所を立ち上げ、その所長を務めている。クライアントには作曲家、ロックスター、俳優、ダンサー、作家など、ベルギーに拠点を置く、様々な芸術家が名前をつらねる。こうした職業は国外での活動も多いため、いろいろな国の税法の知識が必要になるし、確定申告の際も、各国の支払い調書を読まなくてはならない。普通の税理士なら、1年に1回、確定申告をするときだけの付き合いになるが、Sは採算を度外視して芸術家のアドヴァイザーをつとめ、細々とした相談にも乗ってくれた。私たちのようにEU外から来て、日本とは勝手が違う法制度に戸惑う外国人にとっては、相手の立場に立ってじっくりと考えるSのような存在は、本当にありがたい。
約束の時間に訪れると、いつもながらSのオフィスは活気に満ちていた。ベルギーでは珍しいロフトスタイルのオフィスには外光が溢れ、「会計事務所」というお堅い商売に似合わず、中で働く20―30代の若者たちはノーネクタイにジーンズという気楽なスタイルだ。電話では「これから踏み出す新しい局面について話がしたい」とだけ言われていた。彼のことだ。きっとまた、既成の枠を超えた、新しいビジネスを考えついたのだろう。
ところが、Sが打ち明けた内容はあまりにも意外だった。「3年3カ月と3日、チベット仏教寺院で修行に入る」というのだ。しかも今月末から。Sが東洋的なものに魅了され、昔からインドやチベットを訪れていたのは知っていた。しかし、それはあくまで「趣味」の域だと思っていた。
修行はダライ・ラマも訪れた、切り立った岩に囲まれたスコットランドの海沿いの寺院で行なわれるという。3年3カ月と3日の間、外界との連絡は絶たれる。インターネット、電子メールはもちろん、電話も禁止だという。ネット時代の3年3カ月3日といったら、浦島太郎が竜宮城で暮らした時間より長いのではないだろうか。Sには可愛い彼女もいたはずだ。妙齢の女性が、そんなに長い間、断崖の中にこもってしまった恋人の帰還を待てるものだろうか。
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