ハイカラ病 石牟礼道子『苦海浄土』

執筆者:船橋洋一 2002年5月号
タグ: 日本

 石牟礼道子が最初に見舞った水俣病患者は水俣市立病院水俣病特別病棟に収容されている坂上ゆき(三十七号患者、水俣市月ノ浦、大正三年生まれ)だった。夫の坂上茂平が付き添っていた。 一九五九年(昭和三十四年)のことである。 ゆきは前夫に死に別れ、これまた前妻に死に別れた茂平と網の親方の世話で再婚した。天草から不知火海の灘をわたってやってきたゆきとの二人の船出を祝って、茂平は新しい二丁櫓の舟を下ろした。夫婦舟である。ゆきは茂平を「じいちゃん」と呼び、懐いた。〈海の上はほんによかった。じいちゃんが艫櫓ば漕いで、うちが脇櫓ば漕いで。(中略)イカ籠やタコ壺やら揚げに行きよった。ボラもなあ、あやつたちもあの魚どもも、タコどもももぞか(可愛い)とばい。四月から十月にかけて、シシ島の沖は凪でなあ――〉

カテゴリ: カルチャー
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
船橋洋一(ふなばしよういち) アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長。1944年北京生まれ。東京大学教養学部卒。1968年、朝日新聞社入社。朝日新聞社北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、2007年から2010年12月まで朝日新聞社主筆。米ハーバード大学ニーメンフェロー(1975-76年)、米国際経済研究所客員研究員(1987年)、慶應義塾大学法学博士号取得(1992年)、米コロンビア大学ドナルド・キーン・フェロー(2003年)、米ブルッキングズ研究所特別招聘スカラー(2005-06年)。2013年まで国際危機グループ(ICG)執行理事を務め、現在は、英国際問題戦略研究所(IISS)Advisory Council、三極委員会(Trilateral Commission)のメンバーである。2011年9月に日本再建イニシアティブを設立し、2016年、世界の最も優れたアジア報道に対して与えられる米スタンフォード大アジア太平洋研究所(APARC)のショレンスタイン・ジャーナリズム賞を日本人として初めて受賞。近著に『フクシマ戦記 10年後の「カウントダウン・メルトダウン」』(文藝春秋)、『自由主義の危機: 国際秩序と日本』(共著/東洋経済新報社)、『地経学とは何か』(文春新書)、『カウントダウン・メルトダウン』(第44回大宅賞受賞作/文春文庫)など著書多数。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top