昨年3月11日の大震災発生から、早くも1年半が過ぎた。被災地の地元紙として終わることのない取材の日々の中で、筆者が通い続けている場所が、福島県飯舘村である。
村の約6000人の住民は福島第1原発事故によって同年5月、全村挙げての避難を国から指示された。同15日、菅野典雄村長は村役場の前で、「飯舘の人はみんな、引っ越しなんかしたことがなかった。『計画的避難』という事態は思いもしなかったこと。先祖代々、この村に住み続けてきた皆さんにこういう引っ越しをさせねばならず、申し訳ありません」とあいさつした。誰もが未体験の避難生活を、今も続けている。
飯舘村は、筆者の郷里・相馬市と同じ歴史を共有する地方の同胞の地であり、様々な人の縁もある。昨年9月から私が現地取材に通っているのは、村の東北端で、相馬市・伊達市と境を接している佐須地区。地元の農家と首都圏の研究者らが協働で除染実験などの活動を行なっている。

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