筆者は昭和31年(1956年)春に防衛大学校に入校した。将来、陸・海・空、何れの自衛隊に進むかは翌年春、2年生になる直前に決まる。当時1学年の定員は530名だったが、それを陸300、海100、空130に分けるのだから本人たちにとっては勿論のこと、それを決める指導官(制服教官)たちにとっても大変なことであった。
何故陸上自衛官になったのか
若者は単純な動機でその志望を決定する。我々の場合も、第1に少数精鋭・選良を好む、第2に格好良く汚れの少ない仕事を求める、第3に外国に行く機会の多い軍種を望む、というところであったろうか。筆者は熱烈な海自志望者であった。同様に海を希望した学生は多数おり、かくして海上への門が一番狭かったのである。
海軍兵学校出身の指導官は当初「君は海に向いている。がんばれ」と励ましてくれていたのだが、筆者の眼に瑕疵(かし)があると知ると途端に冷たくなった。筆者は中学時代に汽車通学をしていて石炭の粉塵を眼に入れこすったのが元で左眼を不整乱視にしていた。右眼は2.0の視力なのに左眼は裸眼で0.6の視力しかなく、それでは海上要員としての資格を満たさないと言い渡された。誰でも行ける陸上に行く以外に道はなかった。
今では眼鏡をかけた海上自衛官が沢山いる。「テレビ時代に眼の悪くない若者などいないのだから仕方ない、レーダーが完備しているからそれでもよいのか」と思っていたのだが、「海上自衛官募集が困難なのは眼の問題ではありません。元々船乗り希望者が少ないのです」と第一線募集官から聞いた。海上を希望しない最大の理由は「家族と離れて暮らすのが嫌だから」だという。日本の若者はこの4~50年間ですっかり「海ばなれ」してしまっているようだ。
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