国際人のための日本古代史 (101)

「謀反」ではなかった「磐井の乱」の深層

執筆者:関裕二 2018年7月6日
エリア: アジア
磐井の墓と考えられている岩戸山古墳(福岡県八女市)の石人・石馬(筆者撮影)

 

朝鮮半島に軍事力で影響

 古代の朝鮮半島は、周囲の大国に翻弄され続けた。『魏志倭人伝』などに登場する朝鮮半島の「楽浪郡」や「帯方郡」は、漢や魏が支配していた土地だ。朝鮮半島南部の百済、新羅、伽耶(小国家群)が国の形を整えるのは、4世紀に中国の王朝が衰退してからなのだが、その後、今度は北方の騎馬民族国家・高句麗が、南下政策をとりはじめ、半島南部を圧迫した。そこで彼らがあてにしたのは、背後の憂いのない倭国(ヤマト政権)の軍事力だった。5世紀の「倭の五王」が東アジアで注目を浴びるようになったのは、朝鮮半島に遠征軍を送り込むことができたからだ。ヤマト政権は、「半島国家の生き残りを賭けた死闘」に、引きずり込まれていたわけだ。

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カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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