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昭和57(1982)年、東京が最も寒くなる季節の2月8日午前3時半前、その惨劇は起きた。
新聞テレビの報道記者たちは本社からの「ホテルニュージャパン火災」の一報で叩き起こされ、それぞれの自宅から駆け付けた。タクシーで赤坂見附まで向かう途中、国道246号の青山一丁目あたりから高く上がる炎と黒煙が見てとれる。外堀通りの現場付近はすでに警視庁により封鎖されており、100メートルほど手前から走って近づくと、無数の消防車や救急車の塊の脇に並べて横たえられたいくつかの遺体が目に入る。煙の猛追に逃げ場がなく、窓から飛び降りた人たちだった。
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