
まだ髷を結っていた頃の藤原あき。正確な撮影年は不詳。この後、あきは波瀾万丈の人生を送ることになる(自伝『雨だれのうた』(酣燈社)より)
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いつかはどこか正式な場でめぐり会えるのではないか。
あきがかすかな予感を心の隅でしていたように、出会いの招待状が舞い込んできた。学習院の同級生だった黒田清伯爵の妹に誘われ、大使館からの招待状を手にとって見た時は衝撃的だった。
「特別主賓・藤原義江」とあるではないか。あきの中で運命の銅鑼が鳴り響いた。
帝国ホテルのライト館グリルでもよおされる、日本で初めてのベルギー大使であるアルベール・ド・バッソンピエール主催のダンスパーティーの招待状だった。

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