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自著『雨だれのうた』(昭和22=1947=年刊より。撮影年不詳だが、義江と結婚できた幸せの頂にいたころ)
もう1つの再会と別れは、義江が盲腸炎で帝国大学病院青山外科に入院していた時、新聞記事を読んで新潟から駆け付け「先生」と泣きながら入って来た女、早苗である。
義江と早苗の出会いは昭和2(1927)年9月23日。義江の2度目の帰朝の時で、全国68回の独唱会をこなしていた。その中の1つに新潟があった。
この頃は、もちろんあきとも交際中で、あきは離婚申し出を宮下医師に懇願している最中である。
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