東京の生活がもたらす心の変化
純朴で謙虚な青年の上京物語
高校を卒業したばかりの青年が故郷から上京してくる。目的は進学、就職、あるいは自分探し……そのどれでもない。何の縁もなかった東京で人と関わりながら、成長をとげていく青年に光を当てる。
小学3年の時に、両親を火事で失い、以降祖父の元で育てられた瞬一。高校卒業後、地元の村で祖父と同じ「歩荷(ぼっか)」として働こうとするが「先はない」と祖父に止められ、村を離れて東京へ行くよう背を押された。
都会へのあこがれも、遊ぶ欲求も持たない瞬一が唯一寄る辺としたのは祖父の言葉だった。
「よその世界を知れ。知って、人と交われ」
瞬一のキャラクターは今時珍しいほど純朴で謙虚だ。それは両親の死――火事の現場で息子を捜そうとして亡くなったのでは……そんな思いが頭から離れない。
思うに「過去」や「人生」という言葉を使うには、ある程度齢を重ねて、さまざまな経験を積んでからでなければ説得力を持たないが、弱冠23歳の瞬一が度々振り返る「過去」には後悔がある。また彼の「人生」は、甘える相手、反抗する対象を幼いうちに失い、いきなり精神的な自立を強いられたものだ。そのせいか瞬一は年齢にそぐわない無常観のようなものを漂わせる。
しかし瞬一は祖父の言葉に押されて上京した。彼自身、東京へやってきた意味を捜し、祖父の言葉をどう実践するべきかを考え続けていた。そしてついに変化は訪れる。
職場、住まい、それぞれに生じる人間関係、思いがけないトラブルに関わり、結果的に人を救うことになる瞬一。そうして救われた相手は彼に心を開き、段々と密な人間関係が築かれていく。ある日、瞬一の暮らし向きを見るために上京した祖父は言う。
「人を守れる人間になれ」
両親が火事から瞬一を守ろうとしたように、やがて彼も大事な人を守ろうとした時、大きなハードルを越えていく。
上京経験のある者なら、土地勘のない場所での住まい探し、職探しなど身につまされるエピソードも多いだろう。慣れないまちがやがて自分の帰るまちへと変わっていくまでの心の変化が丁寧に描かれる。
都会ほど1人で暮らす便利さと孤独を感じる場所はない。自ら望まなければ、孤独の沼は深まっていくばかりだからこそ、人とのつながりは沼に落ちないための命綱になっていく。守りたい人がいることが生きる喜び――そんなメッセージが胸を打つ。

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