インテリジェンス・ナウ
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スパイたちも集った「桜を見る会」:忘れられた外交・インテリジェンス交流の意義

執筆者:春名幹男 2020年12月22日
元KGBのスパイが写真を撮影した1970年の前年も、「桜を見る会」は開かれていた。招待した各国外交団と談笑する佐藤栄作首相(当時)(C)時事

 

 東西冷戦終結から2年後の1993年、共同通信ワシントン支局に、元ソ連国家保安委員会(KGB)の元スパイが訪ねてきた。彼が東京駐在当時に知り合った筆者の先輩記者から、「訪ねていくのでよろしく」との紹介があった。

 彼は他の3人のKGB要員とともに訪米。米中央情報局(CIA)など米国の情報機関員OBらで構成される組織が主催する講演やシンポジウムで「米国の各地を回る」、と言った。冷戦後ならではの計画だった。

 ユーリー・トトロフ氏、1933年生まれで、当時ちょうど60歳。小柄で、眼鏡をかけたトトロフ氏はアジア人に見えた。聞くと、オセチア系のロシア人と教えてくれた。モスクワ国際関係大学を卒業後、外務省をへて1960年にKGBに入った。日本語も英語も堪能で話しぶりはソフトな印象である。

 彼は会うなり、私に対して頼みごとを口にした。「ドナルド・グレッグを紹介してほしい」というのだ。

 グレッグ氏はジョージ・ブッシュ元大統領(父)がCIA長官の時代から親密な関係にあり、当時は駐韓米大使を退任してワシントンに戻って、米国の「コリア・ソサエティ」会長をしていた。

「グレッグ氏に会う用事とは何か」と聞くと、「写真を渡したい。『桜を見る会』で私が撮った彼の写真だ」とトトロフ氏は答えた。当時、両氏とも「外交官」を偽装していた。

KGBとCIAのスパイが交歓

 さっそくグレッグ氏に連絡をしたが、残念ながら不在だった。トトロフ氏は翌日から各地を回るので会うことはできない。ならば、私から彼に「写真を渡してくれないか」とトトロフ氏は言った。

 写真を預かり、後日グレッグ氏のオフィスで会って渡すと、グレッグ氏は「愉快なことだ(hilarious)」と喜んだ。

 写真を撮ったのは、1970年4月のこと。当時米大統領はリチャード・ニクソン、他方ソ連共産党書記長はレオニード・ブレジネフ。ベトナム戦争はなお続いており、東西冷戦の厳しい時代だった。

 そんな時代に、当時の佐藤栄作首相はCIAとKGBのスパイを同時に「桜を見る会」に招待していたのだ。

 しかも、KGBのスパイがCIAスパイの写真を撮っていた。恐らく双方とも、当然お互いの素性を知っていたはずだ。無理に笑顔を作って交歓する様子を想像した。

 トトロフ氏は当時、カウンターインテリジェンス(防諜)担当をしていた。KGBの東京支局で防諜担当は、主敵である米国CIAの動きを監視するのが主要な任務だったに違いない。

「CIAは東京に100人もの要員を配置している。われわれとは比べものにならないほどの陣容だ」と私に教えてくれた。

金大中の命の恩人

 他方、グレッグ氏は1970年当時CIA東京支局のナンバー2だったようだ。1973年に彼はCIAソウル支局長に昇任している。

 ソウル支局長就任直後の同年8月、「金大中事件」が起きた。後に韓国大統領となる金大中氏は当時野党リーダーで、1971年大統領選挙で朴正煕大統領を追い詰めた後、日本に滞在していた。

 事件は、金氏が東京・九段下の「ホテルグランド・パレス」から韓国中央情報部(KCIA)要員によってひそかに拉致されて起きた。

 金大中氏はKCIAの工作船で連れ去られ、行方不明になっていた。

 CIAは直ちに金氏の行方を捜索し、いち早く金氏を乗せた工作船を確認。米軍のヘリコプターが低空飛行で工作船に警告し、金氏を解放するよう呼び掛けたことが分かっている。金氏自身は後に、米軍ヘリからの警告がなかったら縛られたまま海に投棄されるところだった、と証言している。

 その時ソウルにいたグレッグ氏は機敏に行動し、金氏救出に動いた。

 ブッシュ大統領(父)は1989年1月に就任後、グレッグ氏を駐韓大使に指名、上院外交委員会で人事承認の公聴会が開かれた。

 グレッグ氏はイラン・コントラ事件への関与を疑われており、もめる可能性があったので筆者は公聴会を取材した。その際、金氏が外交委に送った書簡が読み上げられた。「グレッグ氏は駐韓大使にふさわしい人物。私の命の恩人です」という内容だった。この書簡のおかげもあって、グレッグ氏の大使人事は承認された。

 グレッグ氏に会った時、「あなたは金大中氏の命を救った」と言うと、「駐韓米大使が朴大統領に働きかけてくれたからだ」と語った。控え目な態度が印象的だった。 

CIAオフィス侵入未遂事件

 トトロフ氏は、1970年の「桜を見る会」ではCIA東京支局の他の要員の写真も撮っていた。これら要員の名前、顔、性格も頭に叩き込んでいた。

「桜を見る会」の約1週間後、彼は同僚の訪米ビザを申請する用事があったので、当時霞が関ビルの向かい側にあった米大使館別館を訪れた。くすんだ色の6階建て「旧満鉄ビル」が別館になっていた。

 ビザ手続きの用を済ませたトトロフ氏は、すばやく階段を駈け上がり、4階の406号室の前に着いた。「この部屋がCIAのオフィスだということは米大使館内部の協力者から聞いて知っていた」という。

 ノックをしたが、返事がなく、ドアを開けると二重ドアの構造になっていて、内側ドアの上部にのぞき窓が付いており、中に見慣れたCIA要員の顔が見えた。

 何食わぬ顔をして、トトロフ氏が「ジョン・デイトンさんを知りませんか」と聞くと、中にいた男は「知らない」と答え、オフィス内部は大騒ぎになった様子がうかがえた。

 下からガードマンが駈け上がってきたので、桜を見る会で撮ったデイトン氏の写真を見せると、間もなく本人のデイトン氏出て来て、一緒に6階のカフェテリアに行き、お茶を飲んで、20分ほど世間話をして別れた。

 トトロフ氏に特に成果はなく、CIA側にも損害はなかったが、トトロフ氏のことはCIAの内部では長く語り継がれたという。

忘れられた本来の意義

 トトロフ氏は、21世紀に入って間もなく鬼籍に入った。そのころ、東京のロシア大使館でKGBの後身の一つ、対外情報局(SVR)の東京支局長をしていたボリス・スミルノフ氏と会う機会があった。

「トトロフ氏のことを知っていますか」と聞くと、スミルノフ氏は「彼は私のことを良く言わないでしょう」と答えた。

 トトロフ氏は上司の許可を得ない、こうした行動を内部で叱責された可能性がある。CIA内部では、「ガッツのあるKGB要員」と言われたが、KGBでは逆の評価だったようだ。

 いずれにせよ、当時の米ソ以外にも多くの国のスパイたちが出会っていた可能性が高い。「桜を見る会」を交流の場とする逸話は多々あったに違いない。日本の外交官やインテリジェンス関係者も、そんな機会を捉えていい情報を得ることも可能だった。

 小泉純一郎政権ころまでは、「各国大使やスポーツ選手、文化人など約1万1000人の招待客でにぎわった」と伝えられていた「桜を見る会」。安倍晋三首相の時代は「総理が各界において功績、功労のあった方々」(2019年10月15日付政府答弁書)を招いており、「外交官」は省かれた形。逆に首相自身の「応援団」を多数招き、2019年には1万8000人以上に急増、安倍政権への協力者ばかりが増えて、各国のスパイや外交官らの出席は目立たなくなった。

「桜を見る会」疑惑も、前夜行われた安倍前首相後援会の夕食会の代金支払いの方に焦点が当てられ、安倍氏本人もしくは公設第1秘書が起訴されるかどうかが注目されているが、今や、国際的な交流の場としての本来の意義は議論もされていない。

 

カテゴリ: 政治 軍事・防衛 社会
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執筆者プロフィール
春名幹男 1946年京都市生れ。国際アナリスト、NPO法人インテリジェンス研究所理事。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授、早稲田大学客員教授を歴任。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『米中冷戦と日本』(PHP)、『仮面の日米同盟』(文春新書)などがある。
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