ソウル打令2021 (1)

与党惨敗「ソウル市長選」泡沫候補たちの異色公約

執筆者:平井久志 2021年4月10日
タグ: 韓国
エリア: アジア
ソウル市長選挙のポスター掲示板。東京都知事選を思わせる候補の乱立ぶりだ(筆者撮影)

 

 生活の基盤を東京からソウルへ移しました。さっそく目の当たりにしたのが、ソウル市長選挙でした。

 来年3月の韓国大統領選挙の前哨戦といわれたソウル、釜山の両市長選挙は、与党「共に民主党」の候補が惨敗し、保守の野党「国民の力」の候補がいずれも大差で勝利しました。ソウル市長では、野党の呉世勲(オ・セフン)候補の得票が279万8788票(得票率57.5%)を獲得。与党の朴映宣(パク・ヨンソン)候補の190万7336票(同39.2%)に89万票以上の差を付けて圧勝です。

 ソウルの現場で市長選挙を見ていて感じたのは、与党「共に民主党」の朴映宣候補の緒戦からの疲労困憊ぶりでした。選挙戦の最初から負けが見えていただけに、徒労感が透けて見えました。それに対し、安哲秀(アン・チョルス)氏との野党一本化に成功した「国民の力」の呉世勲候補は終始、勢いがありました。

 そんな中で、日本では報道されることのない、ソウル市長選挙の「泡沫候補」の選挙戦をお伝えしたいと思います。考えてみれば、泡のようにすぐに消えてしまうという「泡沫候補」という言い方は候補者にかなり失礼です。韓国では「泡沫候補」ではなく、「群小候補」と呼んでいます。

 ソウル市長選挙には当初13人が立候補を届け出ましたが、「国民の党」の安哲秀候補が野党候補一本化で辞退したので、候補者数は12人となりました。

 こちらのメディアでも、報道は朴映宣候補と呉世勲候補に集中しましたが、市内に張られた横断幕には結構、泡沫候補のものも多く、その主張や公約はかなり面白いものがありました。

「恋愛公営制」を

 中でも「元祖・泡沫候補」とも言えるのは、1997年と2007年の大統領選挙にも出馬した「国家革命党」の許京寧(ホ・ギョンヨン)候補です。選挙結果は3位で、5万2107票(1.07%)の実績を示しました。韓国メディアも、許京寧氏が「1%の壁」を突破したことに驚いています。既成政治に対する有権者の政治不信を示すものとみられました。

 許京寧氏は2007年の大統領選挙では国連本部ビルをニュヨークから板門店に移転し、モンゴルと国家統合して旧高句麗を復活する、と訴えました。知能指数は430だと言い、日韓海底トンネルを着工すると主張しました。

 今回のソウル市長選での選挙ポスターの訴えは、「国家に金がないのではなく、泥棒が多いからだ」というものでした。特に、政府傘下の韓国土地住宅公社職員らによる不動産投機疑惑が浮上して選挙戦の焦点になっただけに、これはなかなか共感を呼びそうなスローガンでした。

 さらに、

「恋愛公営制を実施し、未婚者に毎月20万ウォン(約2万円)の恋愛手当を支給し、ソウル市に結婚部を新設する」

 とし、ソウル市が、若者の結婚への消極的姿勢改善や低出産率解決のために積極的に努力すると訴えました。その上で、結婚資金1億ウォン(約1000万円)、出産費用5000万ウォン(約500万円)、住宅支給2億ウォン(約2000万円)を無利子で支援すると公約しました。

 許京寧氏はすでに73歳ですが、日本の芸人みやぞんのような盛り上げた髪型で、ボリューム一杯のテーマ音楽を鳴らしながらの騒がしい選挙運動を繰り広げました。

「格差」「フェミニズム」「性的マイノリティ」も争点に

「基本所得党」の申智惠(シン・ジヘ)候補(女性)は、ソウル市民に毎月25万ウォン(約2万5000円)の基本所得を支給すると公約しました。さらに「フェミニズム・ソウル」を実現するとしてソウル市の性別賃金格差を正し、差別禁止条例をつくり、ソウル市内の保健所に妊娠中断薬品や緊急避妊薬を配備する、という公約を掲げました。

 仏教徒として良心的兵役拒否を宣言して兵役法違反で懲役1年6月を服役した「未来党」の呉太陽(オ・テヤン)候補は、嫌悪差別禁止条例の制定を訴えました。また、ソウルを性マイノリティ自由都市にするとし、性マイノリティ文化祭を公式に後援し「マイノリティ庁」をつくると訴えました。

「女性の党」の金珍芽(キム・ジナ)候補(女性)は「女性が独りで暮らしやすいソウル」を訴えました。朴元淳(パク・ウォンスン)前市長のセクハラと自殺(昨年7月9日)による後任を選ぶ選挙だけに、「性暴力、性差別のないソウル」を主張。被害女性のために申告、捜査、支援をする市長直属の3組織を運営すると公約しました。そしてソウル住宅都市公社が供給する住宅の半分を女性に分譲することを義務化する、としました。

 左派系労組の支援を受けたと主張した「進歩党」の宋名淑(ソン・ミョンスク)候補(女性)は、富裕層が多い江南地区を標的に「江南解体、平等ソウル」を訴えました。公約は不動産特権解体、労働差別解消、差別のないソウルなどを掲げ、高官の性犯罪の厳罰、結婚をしていなくても生活同伴者を認める制度、ガソリン車など内燃車の都心進入禁止などを訴えました。

 無所属の申智藝(シン・ジエ)候補(女性)は、ソウル市長の権力分散を主張し、生活経済副市長、女性安全副市長、性平等副市長、性マイノリティ副市長、文化芸術副市長、気候危機生態転換副市長の6人の副市長とチームをつくり、副市長はすべて女性が担うと主張しました。

 この申智惠候補、呉太陽候補、金珍芽候補、宋名淑候補、申智藝候補の5人には、フェミニズム、経済的不平等の克服、性的マイノリティの尊重、差別反対、気候変動への危機意識などで共通点があるように見えました。

若い女性層を吸収できない大政党

 このほか、「民生党」の李守奉(イ・スボン)候補は「韓国で最初の基本所得制の主張者」を強調し、「庶民の生活のためのソウル革命」を主張しました。泡沫候補者たちの中で基本所得制を主張する候補が目に付いたのも注目点でした。

 候補者番号13番の無所属・鄭東熙(チョン・ドンヒ)候補は、「不動産価格13%下落、税金13%減免、ソウル市公企業13%売却」など自分の候補者番号にちなんだ公約を掲げました。

 惨敗した「共に民主党」の朴映宣候補は、20~30代からの支持で「国民の党」の呉世勲候補に大きく引き離されていることが世論調査で出ると、選挙戦終盤で若者の交通費40%割引、通信費の半額化、青年雇用1万件創出、5000万ウォン(約500万円)の無利子起業支援金の支給などの公約を連発しました。そんな財源がどこにあるのかと思いましたが、泡沫候補の公約に次第に近づいているようでした。

 一方、野党第1党の「国民の力」は、釜山市長選の序盤で「日韓海底トンネル建設も検討」としました。これは前述の通り、元祖・泡沫候補の許京寧氏が2007年大統領選で主張したものです。与党や野党第1党という大政党が、泡沫候補の政策や公約を取り込んでいるような感じさえ受けました。

 泡沫候補も、許京寧氏のような選挙のたびに出る常連候補という枠組みとは別に、30代から40代の女性が、若い女性層をターゲットにした公約を掲げて出馬したのは新しい傾向です。大政党がそういう若い女性層の要求やエネルギーを吸収できていないことを逆に証明しているようでした。

 ――これから14年ぶりのソウル生活で気がついたことを時々、報告したいと思います。

(※韓国で「打令」とは、あることをくどくどと言うことです。「身世打令」といえば、身の上話をくどくどいうこと、「スル(酒)打令」といえば、酒を飲んで同じ話をくどくどいうことです。僕のソウル与太話に時々付き合って下さい)

 

カテゴリ: 政治 社会 カルチャー
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執筆者プロフィール
平井久志(ひらいひさし) ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。
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