「世論に導かれた戦争は危ない」日本人がアフガニスタン戦争から学ぶべき教訓

執筆者:三浦瑠麗 2021年8月20日
エリア: アジア 北米
揺れ動く戦争目的ーーそれは犠牲の大きい戦争や、目的遂行に失敗した戦争によく見られる現象だ
アメリカ国民は、自らコストを負わない戦争に兵士を強制的に送り込んでおきながら、その戦争に飽きてしまった。必ずしも間違っていたとはいえない動機で始まった戦争が、「正しくない戦争」へと変貌して行く過程を考察する。

 20年にわたったアフガニスタン戦争が、大混乱の中で終焉を迎えている。「正しい戦争」という戦争目的をアメリカ社会が曖昧に支持し続ける中で、その実態は「タリバンを滅ぼし、治安を維持する」ための戦いから、「女子教育の権利」「成熟した民主主義」といった壮大な使命を達成すべきものへと、米兵の犠牲を拡大させながらなし崩し的に変貌していった。

 2019年1月に刊行された国際政治学者・三浦瑠麗氏の著書『21世紀の戦争と平和』から、泥沼化するアフガニスタン戦争をめぐる世論と戦争目的の危うい関係について、一部抜粋・再編集してお届けする。

アフガニスタン戦争は「良い戦争」?

 自衛戦争として戦われ、当初はほとんど異論を呈されることのなかったアメリカのアフガニスタン戦争を、正しい戦争の基準を照らし合わせて見ることにしよう。

 バラク・オバマは2008年の大統領選で、初の黒人大統領として当選を果たした。オバマは同じ民主党のヒラリー・クリントン候補とは異なって、当初からイラク戦争に反対しており、撤退を訴えて頭角を現した。オバマ大統領は、2009年に就任すると早速戦争の見直しを進める。ブッシュ政権が、すでに大規模増派を通じてイラクの戦況を好転させる先鞭をつけて効果を上げつつあったため、その路線を事後承認し、撤退のめどをつけるよう指示を出した。しかし、アフガニスタン戦争については異なるアプローチをとった。

 当時のアメリカ国内では、すでにイラク戦争を、大量破壊兵器を保有しているという間違った情報に基づき政権が世論を誤誘導した「悪い戦争」だとする考え方が根付いていた。ただし、イラク戦争が「悪い戦争」であったという認識に社会が落ち着いたのは、イラクに大量破壊兵器がなかったからでは必ずしもない。大量破壊兵器がないことが分かってからも、治安が極度に悪化し苦戦が濃厚になるまでは、世論の戦争支持はかなり高かったからである。世間が問題視したのは、イラク戦争が「勝てない戦争」だったことだ。

 他方、アフガニスタン戦争については「良い戦争」であるという言辞がそこかしこで見られることになる 。私がイラク戦争を研究していたときも、多くのアメリカ人の外交専門家から、「アフガニスタン戦争は明白な自衛戦争だから、君も『正しい戦争』だと考えるだろうね」と念を押されたものだ。私はそんなとき、きまって、「時が教えてくれるでしょう」と答えた。

オバマが犯した「戦力の逐次投入」という失策

 仮に勝てない戦争が悪い戦争なのだとすれば、アフガニスタンはまさに悪い戦争への道をたどっていった 。オバマは、政権第一期にはアフガニスタンで当初のイラクと同じような目標、つまり体制を転換させて民主国家を建設することを戦争目的として導入した。当初、オバマは最小限の兵力で戦争目的を達することを志向したが、実際には思い通りにはいかなかった。4年の任期内に撤退を始めることを前提に増派を決め、その後は段階的にエスカレーションさせていく形で小規模に刻んで増派を繰り返した。

 このような経緯を辿ったオバマの戦争指導の過程において、介入の方針をめぐって政軍間に対立が生まれていた。当初指揮をとっていたマキアーナン司令官は、戦争中にもかかわらず司令官を首になった。戦争中の司令官更迭は、マッカーサー解任以来の例であった。解任の背景にあったのは、マキアーナンが、ブッシュ政権の頃から中規模の兵力増派を要求し続けていたことである。

 ブッシュ政権が始めた当初の戦争目的は、アルカイダをかくまうタリバン政権を、部族の寄せ集めである北部同盟を利用して倒し、新政権を支えることだった。イラク戦争に資源を割かれる中でないがしろになったアフガニスタンでは、タリバンが再興し、米軍兵士の犠牲が増えていった。そこで、マキアーナンは政治に与えられた戦争目標、つまりタリバンを滅ぼし、治安を維持するという目標を達成するために、イラクと同等とはいかないまでも、大幅な兵力の増強を望んだのである。

 しかし、より「劇的な」戦略転換を望むオバマ政権の意向を受けたゲーツ国防長官によって、マキアーナンは解任される。なぜそのようなことが起きたかと言えば、より少ない人数で、政治からの命令に対して文句や注文を付けずに、高い目標を独創的な手段で達成してくれる司令官をオバマ政権が望んでいたからだった 。これはイラク戦争でブッシュ政権が軍に押し付けたことと変わらない。イラク戦争では、軍人たちが開戦に反対したにもかかわらず政治の側が押し切り、また戦争のやり方をめぐっても、少人数による省コストの戦争計画を政権が軍に押し付けて失敗したという経緯がある。

 マキアーナンは、イラク戦争の時にも当初は想定していなかった占領任務を上から押し付けられ、しかもそれを少ない人員規模で行えと命じられて抵抗している 。彼は、アフガニスタン戦争の司令官に異動してのちも、政権が立てた目標を実現するのに全く不十分な資源や人員の投入しか得られないことでずいぶんと苦しんだ。

揺れ動いた「戦争目的」

 オバマ大統領が退任した現在も、アフガニスタン戦争は相変わらず全体としては正しい戦争だったということになっている。オバマ自身、アフガニスタン戦争は成功だったと位置づけている。その理由は、端的に言えばオサマ・ビン・ラディンを殺せたからだということになるだろう。

 しかし、本当にそのような評価は正しいだろうか。オバマ政権が当初立てた目標は、アフガニスタンの治安を確保し、正統な政府を樹立して、それを支えて社会を安定的に発展させることだった。それはいまだ実現していない。同時多発テロへの自衛措置としてアルカイダを殲滅する目標は達成したかもしれない。しかし、タリバンを体制から追い落として、安定した親米政権を樹立する目標は道半ばだ。むしろ、現在のトランプ政権下での目標は、2017年夏に決定された米軍及びNATO軍の増派を通じて戦況を好転させ、タリバンとの和平交渉を実現させるというところまで後退している。

 占領地域の治安を確保し、新政権の腐敗を一掃し、タリバンの支配地域を狭める。そのためには、当然欧州をはじめとする同盟国からの継続的な支援も必要だ。始めてしまった戦争をどう終わらせるのか。その方法論は、トランプ政権に移行してから格段に影響力が上がった軍幹部の判断のほうが正しい可能性がある。

 そもそも、アフガニスタン戦争は本当に必要だったのだろうか。ブッシュ政権が行った軍事作戦は、あるいはオバマ政権が着手した新たな軍事作戦は、目標を達成するには不十分な規模だったという見方と同時に、実現できたことに見合う規模のものだったのかという疑問も生じさせる。アルカイダの根拠地を殲滅することだけを目指すのなら、大掛かりな対テロ戦争は要らなかった。体制転換を目指さないのであれば、本当は特殊作戦と情報・諜報戦だけで十分だったのではないか。

 ここでは、戦争の原因となった不正に対して、それに釣り合う規模の攻撃であったかどうかがまず問われている。また、戦争の正義がその過程で生じたコストを正当化するほどのものかという疑義もある。当初の目的――アルカイダをかくまうタリバン政権を、部族の寄せ集めである北部同盟を利用して倒し、新政権を支える――がコストを正当化しえなくなると、戦争の目的はしだいに女子教育の権利を守り、アフガニスタンを成熟した民主主義に近づけるという壮大な使命に置き換えられてしまった感がある。戦争目的は揺れ動く。犠牲の大きい戦争や、目的遂行に失敗した戦争においてよく見られる現象だ。アフガニスタンでの戦争は、残念ながら双方の典型例となってしまった 。

オバマの「変節」

 オバマは2016年9月のインタビューで、アフガニスタン戦争をこう振り返っている。

「アフガニスタンは我々が介入する前から世界の最貧国の一つであり、最低の識字率の国だ。そしてそうありつづけるだろう。(中略)(この国は)我々が介入する前から、あらゆる意味で民族的にも部族的にも分断されており、今もそうだ 」。

 ところが、オバマは、大統領に就任して1年目の2009年のベトナム退役兵の記念レセプションではアフガニスタン戦争についてこう述べている。

「我々は決して忘れてはいけない。この戦争は選べた戦争(War of Choice)ではないということを。この戦争は必要な戦争だったのだ。9.11同時多発テロでアメリカを攻撃した連中は、再び同じような攻撃を試みるだろう。もしアフガニスタンを放置しておけば、タリバンの攻勢によってアメリカ人を殺そうとするアルカイダにより大きな聖域を提供してしまうであろうことは目に見えている。だから、これは戦う価値のある戦争だというのに止まらない。根源的に我々自身の国民を守ろうとする戦争なのだ 」。

 この年、米軍の死者数は前年から比べて倍増している。

世論に基づく戦争は危険だ

 先にも触れた通り、現在のアメリカ国民は、アフガニスタン戦争についてまだ曖昧な態度をとっている。2017年夏の時点で、トランプ政権の増派に賛成するのは20%に過ぎず、37%が兵力レベルを下げたいと答え、24%が現状維持を望んでいた 。そもそもアフガニスタン戦争でアメリカが勝っていると答える人はわずか23%で、負けていると答えたのが38%、よくわからない、意見がないが39%だった。

 問題は、彼ら国民の意思に基づいて長期的に戦争継続の如何を決めるのは良いとしても、増派のような軍事作戦上の決断を世論調査に示された国民の気分で決めてよいのか、ということだ。17年間も長引いているこの戦争に対して、アメリカ国民は軍ほど真剣に我が事として考えてはいない。したがって、直接民主制的な、例えば国民投票のような要素を通じて、いったん始めてしまった戦争を抑制しようという発想には無理がある。

 オバマ政権は、自分の道を強引に突き進んだブッシュ政権に比べれば、国民の期待により敏感な傾向があった。けれども、国民の意思を忖度して介入の度合いを定めるのは、場当たり的で合理性がない。イラク戦争のあと、中東地域は民主化の期待がしぼんでいく中で、次第に混乱と暴力が支配するようになっていった。徒労感や民主化に対する幻滅が次第にアメリカの人びとを覆っていった。アメリカ国民は、自らコストを負わない戦争に兵士を強制的に送り込んでおきながら、その戦争に飽きてしまっている。開戦の動機が必ずしも間違っていたとはいえないが、アフガニスタン戦争は結果的には正しくない戦争の定義にぴったりあてはまる戦争となってしまった。

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三浦瑠麗(みうら・るり)

国際政治学者。シンクタンク株式会社山猫総合研究所代表。1980年神奈川県茅ヶ崎市生まれ。東京大学農学部卒業、同大学院法学政治学研究科修了。博士(法学)。主な著書に『シビリアンの戦争』(岩波書店)、『21世紀の戦争と平和』『孤独の意味も、女であることの味わいも』(いずれも新潮社)、『あなたに伝えたい政治の話』『日本の分断』(いずれも文春新書)、『私の考え』(新潮新書)ほか多数。

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カテゴリ: 軍事・防衛 政治
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執筆者プロフィール
三浦瑠麗(みうらるり) 1980年、神奈川県生まれ。国際政治学者。幼少期を茅ヶ崎、平塚で過ごし、県立湘南高校に進学。東京大学農学部を卒業後、同公共政策大学院及び同大学院法学政治学研究科を修了。博士(法学)。東京大学政策ビジョン研究センター講師を経て、山猫総合研究所代表取締役。博士論文を元にした『シビリアンの戦争――デモクラシーが攻撃的になるとき』でデビュー。主な著書に『21世紀の戦争と平和――徴兵制はなぜ再び必要とされているのか』、『孤独の意味も、女であることの味わいも』、『私の考え』、『日本の分断――私たちの民主主義の未来について』など。「朝まで生テレビ!」、「ワイドナショー」などテレビでも活躍する一方、旺盛な執筆、言論活動を続ける。第18回正論新風賞受賞。
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