日本企業はアートの「よきパトロン」になり得るのか

執筆者:山内宏泰 2022年3月6日
カテゴリ: カルチャー
エリア: アジア
ビジネスとアートの関係の大元を、明治維新からたどる(写真はイメージです)(4th Life Photography / stock.adobe.com)
有名起業家たちがアート作品を高額で購入したり、アーティスト支援の一環として自社オフィスで作品展示を行ったりする動きが顕著だ。今までにない独創的なアイディアを生み出す手法としての「アート思考」がもてはやされる中、ビジネスとアートの関係はより近くなっているようだ。明治維新以来、かたちを変えてきた両者のあり方を俯瞰する。

 ビジネスの場にアートを

 ここ数年のことである。「アート思考」なる言葉がビジネスの世界で広まったのは。

 理詰めで考えを構築する「ロジカル・シンキング」に対して、自由かつ柔軟にものごとを考える「アート・シンキング」の必要性が、取り沙汰されるようになったのだ。

 先行き不透明で正解が容易に見つからない時代、従来の課題解決型の思考法では太刀打ちできない。課題をみずから生み出し、ゼロからイチをつくる創造的な思考が、ビジネスの現場で必要とされるというのが、その意味するところである。

 アート思考が唱えられるようになった時期は、テクノロジーの進展で人間の仕事がAI(人工知能)に奪われるという言説が台頭したのと、同じタイミングだった。機械的・論理的な機能はコンピュータに明け渡すとして、我々は「人間らしい」仕事に集中しよう、その際に必要なのが、人しか持ち得ない感性や創造性を武器にするアート思考なのだ、といった理屈だろうか。

 アート思考を志向する動きは、広まりを見せている。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』(山口周・光文社新書)といった関連書籍が続々と出ているし、アート思考を学ぶセミナーやワークショップも、企業の内外で花盛り。美術館が主宰し、実物のアート作品を観ながら、アートと実生活やビジネスのつながりをレクチャーするイベントも開かれている。

 ZOZO創設者の前澤友作氏らが先導したかたちとなるが、起業家がアートをコレクションして、それらを社員や一般に公開する動きも増えている。

 インターネットサービス大手のGMOは、創設者熊谷正寿氏がコレクションする現代アーティストのジュリアン・オピー作品を本社各会議室などに設え、仕事上の発想力・集中力アップの一助としている。

 インターネット証券のマネックスグループは、こちらもファウンダー松本大氏の注力で、「ART IN THE OFFICE」という企画を継続している。プレスルーム(会議室)の壁面をアートで彩る案を公募し、選ばれたアーティストに1年間プレスルームで作品の制作・展示をしてもらうというものである。

 いずれも、仕事の場にアートを取り込むことで、クリエイティビティの向上や快適なオフィスづくりを図っている。また、無意識のうちにアートに触れることで、心理的ハードルを下げるという従業員への啓発効果もあるのかもしれない。

明治の実業家が形成した美術コレクション

 そう言うと日本ではここ数年で、企業とアートの距離が俄かに急接近したように思えるが、そうではない。じつのところ両者は、かなり以前から親密な関係にある。

 かの渋沢栄一が日本に株式会社の仕組みを導入したのは約150年前、明治維新から間もない頃のこと。その直後から、企業活動の一環に美術を取り入れる動きはあった。

 ファインアートの訳語として美術という言葉が創られたのも同じ時期、明治時代になってからだった。文明開化の世にあって、美術もまた西洋から急ぎ摂取すべきものと見做され、美術教師が招聘されたり(イタリア人画家のフォンタネージらが代表的存在)、有望な画家が欧州へ留学したりした(黒田清輝や浅井忠ら。帰国後に洋画を確立)。

 ただ一方で、誰もが作品に触れられる場である美術館の整備や、国内外の作品収集については、必要性が説かれるも実際にはなかなか進まなかった。

 なぜか。端的に言って、国にそんな余力がなかったからだ。国の体を成すため政治経済分野での文物・思想・制度の摂取に必死なあまり、文化にまではなかなか手が回らずじまいだった。

 ならばと立ち上がったのが、当時の財界実力者たちである。三菱の岩崎家や、三越百貨店を開くこととなる三井家、元勲・松方正義を父に持ち川崎造船などを率いた松方幸次郎らが、それぞれ美術コレクションを形成するようになった。

 その動機を挙げるなら、天下国家を進展させようとする気概、文化財保護に対する使命感、さらには文化人としての美意識といったところか。彼らは西洋の文明摂取に貢献するため海外美術を収集したり、日本美術の名品をまとめて手元に置くことで美術品の海外流出を防ごうとした。

 もちろん「佳き趣味」を持ち自分の「眼」を養い高め、己のステータスを上げたいとの思いもあったろうが、ともあれ美術分野において、国の手が回らない分を個人の実業家が補い、パトロンとしての役目を果たしていたのは事実だ。

 とはいえ文化がまったく捨て置かれていたわけではなく、最初の一歩は国が踏み出した。1882年、日本で最初の「博物館」が生まれた。現在上野にある東京国立博物館の前身にあたる施設だ。国力を示すため当時盛んに開かれていた博覧会の出し物を常設化したものだった。

 これが明治15年だから明治維新から間もない時期で、動きはなかなか迅速だったと認められる。しかしその後の進展は乏しい。公設施設はこれに奈良と京都の博物館が加わるのみという状態が、長らく続いてしまう。

 国がもたつくうち、民間の力が強まっていく。1902(明治35)年には、東京で初の私設美術館ができた。大倉財閥・大倉喜八郎のコレクションを並べた大倉美術館だ。

 これは喜八郎にとって、広い意味での社会貢献事業だった。明治維新後、国家は神道を思想的中枢に据えようとしたため、仏教があおりを受け寺院や仏像が破壊される事態を招いていた。いわゆる廃仏毀釈の流れである。維新ですべてを刷新するには、江戸時代から続く「古いもの」をとにかく排除しようという気運も世に蔓延していた。

 仏教美術の消失を憂い、散逸を防がねばとの使命感に駆られた喜八郎は、みずからコレクションを築き、それらを一堂に集め展観できるようにしたのだった。当初は一般公開まではいかず、客人らに見せるのみだったが、のちに態勢を整え広く公開するかたちをとるようになる。

 さらに喜八郎は、コレクションの永続性にも目を配る。収集品は個人の財産のままにしておくと、死後や財産状況が悪くなった際に売り払われる恐れが付いて回る。長期保存のためには財産から切り離す必要があると考えた喜八郎は、財団をつくり美術品を寄付し、1917(大正6)年に財団法人大倉集古館を立ち上げた。

 この施設は東洋美術の殿堂として、現在もホテルオークラの敷地内で公開され親しまれているから、喜八郎が描いたビジョンは見事に花開いたといえるだろう。

バブル期のゴッホ《ひまわり》、そしてメセナへ

 他にも大物財界人が美術に奉仕する動きは、明治から大正、戦前の昭和に至るまで、ほうぼうで見られた。

 先述のように三菱、三井といった財閥は代々トップが名品を収集・保存し続けたし、松方正義の三男・松方幸次郎は造船業で得た利益を西洋美術買い付けのため大胆に使った。渡航などなかなか叶わぬ時代、西洋絵画を実地に見られない日本の画家の不憫を思い、本物を少しでも多く持ち帰り見せてやろうというのがその動機だった。彼のコレクションの一部は戦後、国立西洋美術館に受け継がれ、今も常設展示品として多くの人の目に触れている。

 甲州に生まれ、東武鉄道をはじめとする鉄道事業で財を成した根津嘉一郎は、故郷で株屋をしている時期から書画骨董に関心を抱き、惜しげなく美術に財を投じた。没後の1941年に根津美術館が開設され、現在も我々は東京青山の地で国宝級の名品群に出逢える。

 地方でも動きはあった。1930年、岡山県の倉敷にできたのは大原美術館。倉敷紡績など大原財閥を築いた大原孫三郎が、西洋絵画を中心にコレクションを築きそれらを公開した。西洋美術を中心に観せる日本初の私設美術館となった。

 かように戦前までは、文化にも国家にも一家言ある実業家たちが、自身の見識を頼りに美術を収集し、それらを世に出すパターンが多く見られた。

 これが戦後になると、少々様相が変わる。美術のパトロンとして、個人の大物よりも企業組織が前面に出てくるのだ。

 それは戦後の日本社会におけるビジネスの主体が、会社組織になっていく変化と軌を一にしているだろう。終身雇用・年功序列で会社が社員の生活を手厚く守ったように、文化の保護も会社が力を発揮したのである。

 サントリー、資生堂、出光興産……。業種を問わずさまざまな企業が啓発や地域振興、社会貢献のため、美術施設を運営したりコレクションを築いたりしてきた。

 1952年には東京駅近くの一等地に、ブリヂストン美術館が開館した。こちらの場合は、福岡県久留米市の仕立物店から始めてブリヂストンを創業した石橋正二郎が、コレクションの運営・管理のため財団を設立。その財団所蔵品が観られる場として、19世紀の印象派から20世紀美術の名品が揃う。現在はアーティゾン美術館と名を改め作品の公開を続けている。

 期せずして1月29日から4月10日までは、「はじまりから、いま。1952-2022 アーティゾン美術館の軌跡――古代美術、印象派、そして現代へ」と題した展覧会が開催中だ。70年の歴史を刻んできた同館の軌跡を、収蔵作品や資料から辿ろうというもの。クロード・モネ《黄昏、ヴェネツィア》や藤島武二《黒扇》など、洋の東西を問わず趣味のいい作品がたっぷり観られる。

 さて1980年代のバブル経済期になると、美術は企業のイメージ形成に積極的に用いられるようになっていく。先んじて1975年にオープンしていた池袋西武百貨店内の西武美術館(のちにセゾン美術館と改名)に続き、多くの百貨店内に美術館が設けられるようになる。87年には安田火災海上保険が、ゴッホ《ひまわり》を、約53億円という当時の絵画史上最高額で入手。運営する東郷青児美術館で公開し話題を呼んだ。

 1990年代以降は「メセナ」なる言葉が台頭し、その掛け声のもと、いっそう多くの企業がアートとの関わりを強めるようになる。メセナとはフランス語で、企業による芸術文化支援のことを指す。90年には企業メセナ協議会が発足。美術展やコンサート、スポーツイベントへの経済的支援などを手がける企業が増えていく。

 アートの分野に絞っても、トヨタや日産がアートアワードを創設するなどしてアート人材の育成に取り組んだり、第一生命保険は若手支援のためのVOCA展を毎年サポートし続け、キヤノンは自社の複写技術を生かすかたちで文化財復元の「綴プロジェクト」を手がけたりと、大手企業がこぞって何らかの動きをしている。

 さらに言えば、森ビルは自社で持つ六本木ヒルズ森タワーの最上階に、テナントを入れるのではなく森美術館を開いた。またベネッセは、福武總一郎名誉顧問の強い意思に端を発して、瀬戸内海の直島で数々のアートプロジェクトを手がけ、2000年代からは福武氏が個人資産を投じて財団をつくり、島内に続々と美術館や作品を設け、島を丸ごと「現代アートの聖地」化した。何ともスケールの大きい話である。

 次代の企業とアートの関係は、どうなっていくのか。

 ここまで例に挙げてきたどの企業もそうだが、誰もアートが本業の足しになるとは思っていない。実際に足しになることも、ほぼないだろう。

 それでも、多くの企業が何らかのかたちでアートと関わろうとしているのは事実。彼らはアートに何を求めているのか。

 アートがこれだけ世に浸透してきた今、企業または個人がアートのイメージの良さを露骨に利用しようとするのは、それこそ印象がよろしくない。

 「ここにいいアートがある、せっかくなので、より多くの人に観てもらえる環境を整えましょう」

 といった姿勢に徹してこそ、自己を利することにもなろう。アートを通じて公益に資するとでも言おうか。

 これは明治期の実業家と美術の関係性に近いか。彼らは「天下・国家・人民のため」との志を掲げた。現代において国家のためというのでは少々時代錯誤に聞こえるかもしれないが、「公共のため」に企業がアートを活かすと言えば賛同は集めやすそうだ。

 京都にある泉屋博古館と東京・六本木にある泉屋博古館東京は、ともに住友財閥が築いてきたコレクションを展観できる美術館である。住友家麻布別邸跡地に建つ東京館のほうは2022年、展示室の改修を経てリニューアルオープン。3月19日~5月8日まで、日本画コレクションを一望できる「日本画トライアングル」展を開催する。

 京都、東京の館いずれも、いつでも質の高い展示品を観られる場として知る人ぞ知る存在だが、住友グループ企業の営業活動とは結びついていないし、住友の名を前面に押し出すこともない。今後の企業の手本になるような「よきパトロン」としてのふるまいと言えそうだ。

 企業の姿勢や志向を示すための「象徴」として、アートを活用するという手もある。

 昨今は組織の「ミッション、ビジョン、バリュー」を明確に定義し直したり、企業カルチャーを大切にする気運が高まっているが、それらを言葉で語ろうとするとなかなか伝わりづらい。そんなとき、かたちあるアートという存在を介すると、メッセージが伝わりやすくなることはある。

 例を挙げるなら、神奈川の箱根・仙石原の山中にあるポーラ美術館だ。ポーラ二代目社長の鈴木常司が1950年代末から収集してきたコレクションを基盤にした施設で、2002年の開館以来、精力的に展示を展開し続けている。

 折りしも4月9日~9月6日には、「ポーラ美術館開館20周年記念展 モネからリヒターへ - 新収蔵作品を中心に」と題した大規模企画展が開かれる。展名にあるように同館は、印象派から現代アートに至る充実したコレクションを誇る。

 モネやセザンヌ、ピカソにマティスとビッグネーム揃いの収蔵品には、明らかな傾向が見てとれる。色彩豊かで知的な「生きる歓び」を感じさせる作品が多いのだ。

 美術館は財団化しており実際は運営母体が異なるが、源流のポーラ・オルビスグループとはもちろん強いつながりがある。そのポーラ・オルビスは、企業グループのミッションとして、「感受性のスイッチを全開にする」という言葉を掲げる。化粧品などを扱う企業グループらしい理念だが、この言葉の示すところを、ポーラ美術館のコレクションはわかりやすくかたちで表している。

 ここではアートコレクションが、企業のアイデンティティを象徴するものとして存在しているのだ。

 こうしたゆるやかな連携を保てれば、企業とアートは今後も互いを利しながら共生を図っていけるはずだ。

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執筆者プロフィール
山内宏泰(やまうちひろやす) ライター。文学・美術などの分野で執筆。著書に『文学とワイン』、『上野に行って2時間で学びなおす西洋絵画史』、『写真のプロフェッショナル』ほか。「文学ワイン会 本の音夜話」「写真を読む夜」などのイベントも主宰。
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