苅部直×細谷雄一「学」と「芸」のあいだ──サントリー学芸賞の世界 Vo.1

執筆者:論壇チャンネルことのは 2022年12月5日
タグ: 日本
エリア: その他

 

サントリー学芸賞は1979年の創設以来、「政治・経済」「芸術・文学」「社会・風俗」「思想・歴史」の4部門で数多くの言論人を見出してきた。従来の学問の境界領域にも光を当て、アカデミズムとジャーナリズムを繋ぎながら冷戦後の言論空間を再構築した同賞の歴史と今後の使命を、ともに受賞者であり現在は選考委員を務める苅部直・東京大学教授と細谷雄一・慶應義塾大学教授が語り合う。

*インターネット放送局「論壇チャンネル ことのは」(https://www.kotonoha-rondan.com/)での対談内容をもとに編集・再構成を加えてあります。

苅部 サントリー学芸賞が始まったのは1979年。今年12月の贈呈式で第44回を迎え、40年以上にわたり日本の人文社会科学の世界で新しい人材のデビューの場となってきました。。それがどういう意味を持ってきたのか、この先にどんな展望が見えてくるのかを考えながら、サントリー学芸賞という賞を切り口にして、日本の学問、文化、思想のあり方を論じてみたい。それがこのシリーズのねらいです。

「面白い本」はサントリー学芸賞

苅部 細谷さんは2002年に『戦後国際秩序とイギリス外交――戦後ヨーロッパの形成 1945年〜1951年』でサントリー学芸賞〈政治・経済部門〉を取られましたから、受賞の順番で先輩になりますね。こちらは2006年の<思想・歴史部門>、『丸山眞男――リベラリストの肖像』で賞をいただきましたから。そして現在、細谷さんも僕も、思想・歴史部門で選考委員を務めています。

 細谷さんは、学部学生の時代からこのサントリー学芸賞に関心を持って注目されていたと聞いていますけど。

細谷 学部の学生でサントリー学芸賞に関心を持っていたって、いま考えると、ちょっと気持ち悪いですね(笑)。

 私は高校まで、遊んでばかりで全然勉強していなかったんです。でも大学に入って、急に勉強が面白いと思うようになった。私がいた当時の立教大学法学部には教養がある先生が本当に多くて、教養主義みたいなものに憧れるようになったんですね。ところが、ほとんど読書をしてこなかったので、何を読んでいいかわからない。そこで2つの指針を立てたんです。

 一つは岩波文庫の古典を読むということ。そして、もう一つがサントリー学芸賞の受賞作を読むということでした。ただ、こちらは最初から受賞作を読むというような入り方ではなく、いろいろ読んで、面白い本、すごいなと思う本が、ことごとく過去のサントリー学芸賞の受賞作だったという経緯でした。そもそも当時は、サントリー学芸賞というのが何なのか分からなかった。

 また、当時、私は北岡伸一先生のゼミに所属していたのですが、その北岡先生が少し前に『清沢洌――日米関係への洞察』で受賞(編集部註:1987年度〈政治・経済部門〉)されていた。北岡先生のような優秀な研究者が取る賞ということは、きっとサントリー学芸賞に選ばれた本は面白いんじゃないかと考えたわけです。そうしてサントリー学芸賞は、研究の世界に魅力を感じるようになっていた自分の憧れになりました。サッカーをやっている人ならイングランドのプレミアリーグ、野球をやっている人ならメジャーリーグのような、憧れるけれども遠くの存在でしたが、学術的に水準が高く、かつ読み物としても面白い、そんな研究書を書きたいと思うようになったんです。

 それから、当時、毎年秋の発表にあわせて、何人かで受賞作の予想をやったりして、これが結構当たったんです。楽しかったですね。

苅部 当たった本はおぼえていますか?

細谷 そうですね、これは大学院時代の話ですが、坂元一哉先生(編集部註:2000年度『日米同盟の絆――安保条約と相互性の模索』〈政治・経済部門〉)や田所昌幸先生(編集部註:2001年度『「アメリカ」を超えたドル――金融グローバリゼーションと通貨外交』〈政治・経済部門〉)の年は覚えています。高坂正堯門下の方々が、高坂先生の伝統を引き継いで、読み物としての面白さと、研究としてのダイナミズムというか、迫力ある高い水準のものを出された。

1986年に何が起こったのか?

細谷 苅部さんは学生時代にどんな本を意識されましたか?

苅部 僕がサントリー学芸賞を意識するようになったのは、実は遅いんですよ。過去の受賞作のリストを見ると、記憶に残っている最初の本は1984年、大学に入った年のものですね。

 これはちょうどポストモダンのブームの頃で、浅田彰さんの『構造と力ーー記号論を超えて』と中沢新一さんの『チベットのモーツァルト』は、大学生でも多くの人が読んでいました。そして、その年に『チベットのモーツァルト』がサントリー学芸賞〈思想・歴史部門〉を取ったんですね。だからこの本に「サントリー学芸賞受賞」という帯が巻かれているのも目にしたと思いますが、タイミングからいって、学芸賞を取る前に読んだのでしょう。

 サントリー学芸賞それ自体について、意義のある賞だと実感したのは1986年のことになると思います。作品としては坂部恵先生の『和辻哲郎』〈思想・歴史部門〉ですね。

 この1986年というのは大変な当たり年で、他に〈思想・歴史部門〉では井上達夫先生の『共生の作法――会話としての正義』があり、〈政治・経済部門〉の経済では斎藤修先生の『プロト工業化の時代――西欧と日本の比較史』があった。ただ、政治での受賞作はありません。おそらく選考委員の佐藤誠三郎先生が辛口のコメントを連発して受賞作なしとなった、伝説の回だろうと思います。

細谷 凄く濃い年ですね。

苅部 〈思想・歴史部門〉では、もう1冊、今田高俊先生の『自己組織性――社会理論の復活』がありました。それから、〈芸術・文学部門〉が井上章一先生の『つくられた桂離宮神話』と、守屋毅先生の『近世芸能興行史の研究』。〈社会・風俗部門〉では藤森照信先生『建築探偵の冒険・東京篇』もありました。

 この86年の受賞者はその後も第一線で活躍されている方々が多い。たぶんそのせいもあって、86年が自分にとっては強く印象に残っています。

「戦後文化人」から「冷戦後文化人」へ

苅部 ところで読売新聞と朝日新聞の過去の記事をデータベースで調べると、初期のサントリー学芸賞はさほど大きく報道されていないんですね。もちろん今でも、受賞者の顔ぶれが芥川賞、直木賞なみに1面で取り上げられることはありませんが、現在はどこの新聞でも社会面でそれなりの紙幅を割いて報道しています。ところが1979年の新聞を見ると、読売も朝日も社会面に載ってはいるものの、今よりずっと小さい記事。しかも朝日新聞の方は1980年から載らなくなり、掲載の復活は1985年からです。

 読売にしても、初期の時代にはサントリー本体の広告のうちに受賞作一覧が載っていた年もありました。サントリー芸術財団の音楽の催し物の紹介と並べて、学芸賞の受賞者一覧が載っているんですね。

細谷 新しくできた、よく分からない賞ということだったのでしょうね。

苅部 しかし、受賞者がその後もジャーナリズムや学界で活躍するようになったことで、ようやく世間に認知されるようになった。それがだいたい85、86年ごろだったんでしょう。

細谷 今考えると、初期の受賞者には大嶽秀夫先生(編集部註:1979年度〈政治・経済部門〉『現代日本の政治権力経済権力』)や野口悠紀雄先生(編集部註:1980年度〈政治・経済部門〉『財政危機の構造』を中心として)といった、すごい人たちがいらっしゃった。また先ほどの86年の前年は五百旗頭真先生(編集部註:〈政治・経済部門〉『米国の日本占領政策』)で、翌年が猪木武徳先生(編集部註:〈政治・経済部門〉『経済思想』)と北岡伸一先生です。つまり、この頃に90年代の学と芸を支える中核的なスターが次々と受賞されていた。彼らが活躍することで、賞の知名度、評価が上がっていったのですね。

苅部 選考委員の間で明確な路線の意識のようなものがあったわけではないと思いますが、朝日や岩波書店に代表されるような、リベラル派の政治論・社会論ではなく、実証的な手堅い研究をしている人に与えようという意図はあったんでしょうね。そして、五百旗頭先生や猪木先生たちがその後も活躍したことで、学問の主流の方も変わっていった。

細谷 かつて戦後初期、岩波「世界」の吉野源三郎編集長のもとで、いわゆる「岩波文化人」が育ちました。これに対し、80年代から90年代にかけては、「アステイオン」の初代編集長であり、かつサントリー学芸賞の〈政治・経済部門〉、〈歴史・思想部門〉の最初の選考委員をされた粕谷一希さんが中心となって、「サントリー文化人」とも呼べそうな新しい層を確立した。

 この80年代から90年代にかけて何があったかと言えば、冷戦終結です。共産主義が崩壊し、それまでの日本の進歩派が夢見ていた世界が崩れ落ちた。日本の世論や空気が変わった時代です。そして、新しい志向を求めるようになった。

 このことは太平洋戦争が終わり、戦前の神道皇国日本の世界が崩れて、雑誌「世界」を経由して、戦後知識人、岩波文化人が生まれたのと似た構図ですね。つまりは、冷戦が終結して、共産主義が崩壊し、新しい知識人がサントリー学芸賞を経由して世の中で脚光を浴びるようになった。

苅部 いわば「冷戦後」知識人ですね。

オープンフォーラムを目指して

細谷 苅部さんは戦後知識人の誕生について岩波の本(編集部註:『物語岩波書店百年史3─「戦後」から離れて』)を書かれています。同じ手法でサントリーの知識人も書けるような気もしますが、どうですか?

苅部 それだと受賞者のうちに自分も含むから、ちょっと書きにくい(笑)。

 それはともかく、冷戦が終わって新しい時代になったとはいえ、そうした時代の転換が学問的な業績に反映されるようになるまで、だいたい10年はかかるでしょう。細谷さんは2002年に受賞されましたが、その頃、つまり21世紀に入ったあたりから博士論文でサントリー学芸賞を取る人が、とくに〈政治・経済部門〉で多くなりました。これは冷戦崩壊から10年をへて、90年代の新しい問題意識の中で勉強し始めた人が、ようやく研究者として独り立ちした時期ということになる。

細谷 私と同年代のサントリー学芸賞受賞者では、宮城大蔵さん(編集部註:2005年度〈政治・経済部門〉『戦後アジア秩序の模索と日本――「海のアジア」の戦後史 1957~1966』)や篠田英朗さん(編集部註:2012年度〈思想・歴史部門〉『「国家主権」という思想』)、池内恵さん(編集部註:2009年度〈思想・歴史部門〉『イスラーム世界の論じ方』)、待鳥聡史さん(編集部註:2012年度〈政治・経済部門〉『首相政治の制度分析――現代日本政治の権力基盤形成』)たちがいます。私たちはまさに冷戦の終結を見て、90年代初頭に大学でいろいろなことを勉強してきました。戦後の日本論壇史で見れば、80年代から90年代にかけて巨大な変化があって、その変化の影響を大きく受けたのが、このサントリー学芸賞の受賞者たちだったということになりますね。

苅部 もし冷戦終結という大きな変化がなかったら、サントリー学芸賞の受賞作も、きっと地味なものになっていたでしょうね。

細谷 冷戦崩壊がなかったら、90年代の大学生は依然として「世界」や「朝日ジャーナル」を読んでいたかもしれません。

 私の高校時代の世界史や政治経済の先生は、「世界」とか「朝日ジャーナル」の世界観を前提に話をしていたような気がします。アメリカが象徴する資本主義はいずれ終わる。環境破壊や格差が広がって、いずれ社会主義が世界に広がっていく――。当時の私は基礎知識が全くなかったので、「ああ、そうなんだ」と思ったものです。

 でも現実は、ソ連が崩壊してアメリカの価値観が広がった。戦後の日本を支えていた進歩派の限界が、むしろ現実の方から訪れてきたのですね。

苅部 当時は教育界も含めて知的世界は、そういう“左寄り”が常識だったわけですが、サントリー学芸賞の受賞作は結果として、当初からそれとは違う傾向を示すことになった。新聞で積極的に取り上げられなかった理由も、そうした特徴にあるのかもしれませんね。

細谷 そう考えると、60年代から70年代、高坂正堯先生や山崎正和先生は、孤独な闘いをされていたのではないでしょうか。しかも、彼らが築いたのはイデオロギーを抜きにした非常にオープンな、新しい知のスタイルですよね。決して保守派の知識人を育てるため、というのではなかったにもかかわらず。

 サントリー文化財団の40周年の冊子の中で、作家の塩野七生さん(編集部註:1981年度『海の都の物語――ヴェネツィア共和国の一千年』で〈思想・歴史部門〉を受賞)が面白いことを書かれています。当時の日本は今と比べて貧しかった。だが、気分の上ではずっとオープンであった、と。

 塩野さんは、日本の研究者からは無視されてきて、ご自身も賞とはまったく無縁と思っていたところ、サントリー学芸賞を受賞された。受賞後にある西洋史の先生から、これはあなたが取る賞ではない、私のような人間が取る賞だと嫌みを言われたそうです。そういう意味でも、サントリー学芸賞というのは非常にオープンな空間、オープンフォーラムでした。

 戦後の学問や知識人の「型」、つまりは、「世界」や「朝日ジャーナル」が中心となって作られた「型」が制度疲労を起こして様々な限界を迎えた時、それを壊して、右・左、保守・リベラル関係なく、塩野さんのような学術の世界にとらわれない人にも注目したのがサントリー文化財団であり、サントリー学芸賞だったのですね。山崎先生などは、当初からそういう開放性を意識されていたのでしょう(編集部註:劇作家・評論家として鋭い文明評論を展開した山崎正和氏は、サントリーの創業80周年を記念して1979年に設立されたサントリー文化財団の創設に尽力した。2020年の逝去にあたり、同財団が企画・編集する雑誌「アステイオン」は、60人以上が追悼文を寄せた「別冊アステイオン それぞれの山崎正和」を刊行している)。

アカデミズムとジャーナリズムが融合する場所

苅部 あらためて過去の受賞者、受賞作の一覧を見て気づいたのは、初期の頃は新聞記者が書いた本が多かったということです。いまはアカデミズムの研究者が受賞者の中心になっていますが、この点については、どうお考えになりますか。

細谷 40周年の冊子の中でジャーナリストの武田徹さんが「アカデミックジャーナリズムへの視点」ということで、アカデミズムとジャーナリズムを繋げたいと書かれている。これは粕谷一希さんもよくおっしゃっていたことで、アカデミズムとジャーナリズムの良い部分を組み合わせることが「アステイオン」という試みであり、サントリー文化財団そのものの特徴になるのではないでしょうか。

 これを成立させるためには、アカデミズムに関心を持っているジャーナリストと、ジャーナリズムに通用するメッセージ性を持った研究者、この両方が必要であり、なおかつその両方によるコミュニティを作っていかなければならない。高坂先生や山崎先生、サントリー学芸賞を作った方々も、そういったものを意識されていたはずです。

 しかし、私もまた苅部さんがご指摘のように、現代のアカデミズムの世界には、学問の専門化、ガラパゴス的な後退を感じます。アカデミズムとジャーナリズム双方が敬意を持って接するべき一般読者と専門家が、今やそれぞれの蔑視の対象になってしまった観がある。

 トランプ政権はまさにその象徴だと思いますが、一部の人たちのアカデミズムや専門家に対する敵意というのは、SNS空間のあちこちで見ることができます。専門家は間違っている、分かっていないという、言説ですね。一方で専門家も、一般の人たちに理解してもらおうとしていない。一般の人たちは自分たちとは違う人間だからどうせ理解できるはずがないんだという。ピエール・ブルデューが言うところの「文化資本」ではないですが、明らかに断絶が生まれてきています。これは危険なことです。 

知のコミュニケーションの場を目指して

苅部 ところで10月に行われた日本政治学会の研究大会に参加して思ったのですが、今の若い研究者はプレゼンテーションが実に上手ですね。わかりやすい口頭発表ができる点では、僕たちの世代よりもずっと進化しています。

細谷 かつては学歴が高いとか、収入が高いとか、ハンサムだとか、そういった点が持て囃されたものですが、今はコミュニケーション能力が評価される時代なのでしょう。地道な努力をした人、優秀な人であってもコミュニケーション能力がなければ、なかなか評価されにくい。コミュニケーション能力が社会の格差を規定するようになっているのかもしれません。だから苅部さんがおっしゃったような学会で上手く話せる人というのは、おそらく勝者なんです。いくら優秀な研究者でも、学会本番で急に体調が悪くなってキャンセルするような人が、私の知り合いにも何人かいましたが。

苅部 確かにそういう人は、今でもいますね。

細谷 ただ、コミュニケーションという視点でとらえれば、サントリー学芸賞が目指した開かれた学と芸、それぞれが垣根を超えるために求められるのは、このコミュニケーションではないでしょうか。サントリー文化財団の副理事長の鷲田清一先生や山崎正和先生も「越境者」という言葉使ってらっしゃいますが、垣根を越えて自由に動く、自由な発想を持ち、なおかつ開かれた空間を作る。これがサントリー文化財団の出発点、原点のDNAだと思います。

 今の若い研究者たちを見て、この点はすでに上手くいっていると思われますか?

苅部 これからだと思います。いま学会報告をしているような若い人たちが本を書き、それで社会評価を受けるようになってくると変わってくるのではないでしょうか。

細谷 哲学者の上田閑照先生は『私とは何か』(岩波新書、2000年)という本の中で、人間のアイデンティティーは「閉じること」と「開くこと」の両方によって創られると指摘しています。これは臨床心理学者の河合隼雄先生も同じようなことをおっしゃっています。研究者というのも「籠もる時間」と「社交する時間」の両方が求められると思うんです。研究室や図書館に籠もってハイレベルな研究を進めつつも、一方でいろいろな人と交流する。

苅部 確かにそうですね。さきほどのコミュニケーション能力とはまた少し違うレベルでの人との触れ合いです。ほかの人とじかに喋って相手の人格に触れ、何らかの影響を受け取るといったやりとりは、研究者の修業においてはとても大事だと思います。自分が属している大学のゼミや研究会だけでは、外にいるいろいろな研究者に触れ合う機会がなくなってしまいます。出会いを切り開く努力をしながら、もう一度研究室に戻って一人で考える。そういう循環の過程を作ることが大切ですね。

細谷 そのような研究と社交を最も実践されていたのが、山崎正和先生だったのではないでしょうか。先ほど苅部さんがおっしゃった、誰でも入ってこられる空間を作りつつ、いろいろな世界を繋げて、開いていく――。天才ともいえますし、むしろ、それが職業のような方でした。だから山崎先生の専門、職業は何かと聞かれても、なかなか一言では答えられない。

 山崎先生が亡くなられた時、悲しい以上に、私は危機を感じました。つまり日本の中で開いたり繋げたりすることが消えていくかもしれない。学問の業界で、「開かれた社会」に対する敵意や排除が生まれ、それが学問の進化を遅らせるのではないか、という危機感です。

苅部 細谷さんも書かれている読売新聞の「地球を読む」や産経新聞の「正論」といった、新聞1面の大コラムを書ける研究者が、いま、たいへん少なくなったと思います。こうした、学問の世界と社会とをつなげるモデルになったのが山崎先生でした。だからこそいま頑張っている若手中堅の研究者をもり立てなければいけないんですね。それを怠っていれば、そうした大きなコラムを書けるような人材がいなくなってしまう。それは、日本の政策形成においても、また市民の政治的リテラシーの向上に関しても、大きな損失になってしまうでしょう。(構成:フォーサイト編集部)

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苅部直(かるべ・ただし)

1965年、東京都生。思想史家。東京大学法学部教授。専攻:日本政治思想史。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。著書に、『光の領国 和辻哲郎』(創文社、1995年/岩波現代文庫、2010年)、『丸山眞男―リベラリストの肖像』(岩波新書、2006年。サントリー学芸賞)、『移りゆく「教養」(日本の“現代”)』(NTT出版、2007年)、『鏡のなかの薄明』(幻戯書房、2010年。毎日書評賞)、『歴史という皮膚』(岩波書店、2011年)、『政治学(ヒューマニティーズ)』(岩波書店、2012年)、『安部公房の都市』(講談社、2012年)、『秩序の夢:政治思想論集』(筑摩書房、2013年)、『物語岩波書店百年史3―「戦後」から離れて』(岩波書店、2013年)、『「維新革命」への道:「文明」を求めた十九世紀日本』(新潮選書、2017年)、『日本思想史への道案内』(NTT出版、2017年 )、『日本思想史の 名著30』(ちくま新書、2018年)、『基点としての戦後―政治思想史と現代』(千倉書房、2020年)など。

細谷雄一(ほそや・ゆういち)

1971年、千葉県生。国際政治学者。慶應義塾大学教授。専攻:政治学、国際関係論、イギリス外交史、日本外交。イギリス・バーミンガム大学大学院修士課程修了。慶應義塾大学大学院博士課程修了。博士(法学)。プリンストン大学客員研究員、パリ政治学院客員教授など歴任。国家安全保障局顧問なども務める。主な著書に、『戦後国際秩序とイギリス外交:戦後ヨーロッパの形成1945―51』(創文社、2001年、サントリー学芸賞受賞)、『外交による平和:アンソニー・イーデンと20世紀の国際政治』(有斐閣、2005年。政治研究櫻田會奨励賞受賞)、『倫理的な戦争:トニー・ブレアの栄光と挫折』(慶應義塾大学出版会、読売・吉野作造賞受賞)、『国際秩序:18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ』(中公新書、2012年)、『歴史認識とは何か【戦後史の解放1】』(新潮選書、2015年)、『自主独立とは何か:前編【戦後史の解放2】』(新潮選書、2018年)、『自主独立とは何か:後編【戦後史の解放2】』(新潮選書、2018年)、『安保論争』(ちくま新書、2016年)、『迷走するイギリス:EU離脱と欧州の危機』(慶応義塾大学出版会、2016年)など。

 

◯番組名:「学」と「芸」のあいだ――サントリー学芸賞の世界Vo.1

◯放送日:2022年11月9日

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
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