言語学と言語学習の常識を覆す「ブリコラージュ」言語起源論

『言語はこうして生まれる 「即興する脳」とジェスチャーゲーム』(モーテン・H・クリスチャンセン、ニック・チェイター著、塩原通緒訳/新潮社)

執筆者:高野秀行 2022年12月22日
カテゴリ: カルチャー
エリア: アジア
 

 いやあ、興奮してしまった! こんなに面白い言語本にはめったにお目にかかれない。

 なにしろ、本書は現代言語学界の“絶対的エース”とも呼べる「生成文法」理論を完全に否定し、大胆かつ新しい仮説を提示しているのだ。

 生成文法とは、簡単にいえば、人間は誰しも生まれつき言語を使う設計図的な遺伝子をもっているという説だ。生育環境によって母語として学ぶ言語が英語だったり日本語だったりするものの、脳の中にもともと備わっているのは同じ「普遍文法」だとされる。

 数十年にわたって支配的なこの学説に対して、最近、いくつか反撃を加える書籍が日本でも翻訳出版されている。話題になったダニエル・L・エヴェレット著『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』、ダニエルの息子であるケイレブ・エヴェレット著『数の発明 私たちは数をつくり、数につくられた』(ともに屋代通子訳、みすず書房)、さらに言語学者ガイ・ドイッチャー著『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』(椋田直子訳、早川書房)などだ。

 これらの本はどれもひじょうに面白いのだが、野球で言えば、対「生成文法」派という試合においては、シングルヒット止まりの印象は拭えない。

 そこへいきなり逆転3ランをぶちかました(ように見える)のが本書である。著者によれば、言語は即興でのジェスチャーゲームの積み重ねであり、人間の脳に生成文法の遺伝子が組み込まれているなんていうのは全くの誤りだと正面から完全否定する。

 人間の記憶力や認知機能、類人猿のジェスチャーとの比較など、最新の認知科学の研究を総動員し、あくまで「サイエンス」として生成文法をやりこめるのが痛快だ。白眉は「生成文法理論は進化論で説明がつかない」という箇所だろう。少なくとも本書で生成文法派と反対派の試合は「7回裏で大逆転が起きた!」という印象を私はもった。

 もう一つ、私を興奮させたのは、いたって個人的な事情による。本書の言語起源論は私の言語(外国語)学習法そっくりなのである。

 私は30年以上にわたり、アジア・アフリカの辺境で使われている言語を含めて、25以上の言語を学んで実際に使ってきた。といっても、「マスター」したわけでは全然なく、取材や旅に必要な分を覚えただけである。

 その言語学習法は長年かけて自分で編み出した。名づけて「ブリコラージュ学習法」。ブリコラージュとは文化人類学の用語で「あり合わせの道具材料を用いて自分でものを作ること」とか「その場しのぎの仕事」といった意味である。例えば、ミャンマーの山岳地帯に住む民族はその辺にある竹や木の葉っぱなどを使い、ものの30分ぐらいで雨露をしのぐ仮小屋をつくってしまう。

 その対立概念がエンジニアリングで、こちらは設計図に基づき、プロが決められた材料、道具を用い、定められた手順に従ってものを完成させる。日本の現代建築はほぼ全てがエンジニアリングの成果である。

 従来の学校教育における語学は典型的なエンジニアリングだ。基礎から始まり、初級、中級、上級とシステマティックに進み、最終的には完成に至るとされる。また、プロの教師が教科書を使って教える。

 いっぽう、私の場合、教科書や教師が存在しない言語を学習しなければいけないことが多いので、そのような手法をとらない。誰でもいいからその言語のネイティブ話者を見つけ、自分の旅や取材に必要な分を「その場しのぎ」的に習う。実践においては、正しさにこだわるより現地の人たちの話し方を(口調や表情、トピックなどを含め)ひたすら真似する。

 “語学力”は個人の中にあるのではなく、話し相手との共同作業にあると考え、片言に毛が生えたような拙い表現を積み重ねて相手とコミュニケーションをとる。現地の文化背景や文脈を理解することを語学の重要な要素とみなす──。

 本書によれば、それと全く同じ方法で人類は言語を獲得してきたという。それなら、一見邪道にしか見えない私のブリコラージュ学習法は人類の超王道ではないか!

 この書評だけ読めば眉唾に思うかもしれないが、騙されたと思って本書と拙著『語学の天才まで1億光年』(集英社インターナショナル)を読んでほしい。言語学と語学のゲームはともに7回裏に大逆転劇が起こっている可能性があるのだ。

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執筆者プロフィール
高野秀行 ノンフィクション作家。1966(昭和41)年、東京都生れ。早稲田大学卒。1989(平成元)年、同大探検部における活動を記した『幻獣ムベンべを追え』でデビュー。2006年『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉』などの著書がある。
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