
防衛省大臣官房の磯部が護衛艦「いずも」の試乗で会ったのは、財政再建派の女性議員・都倉だった。防衛予算増額の必要性を認めながらも、都倉は二つの必須条件を挙げた。
Episode1 防人の覚悟(承前)
4
六月初旬――。
「Xミッション検討会議」は、防衛大臣官房長宛に、「提案書」を提出した。
提案書では、国民の命と生活を守るため、自国を自国で守るにあたり、優先順位を設定すべし――という大命題を掲げた。
自主防衛とは「日米安全保障条約を堅持しつつ、米国に依存せず、自国を自国の防衛力で守ること」と定義づけ、そのために、防衛費については、根本的な見直しを行うとした。まずは国民から理解を得るために、各予算に明解な説明を義務づける。また、不要不急の予算を削減及び全廃し、仮想敵国からの攻撃を現実的に想定した新規予算を編成する――とした。
「XM」で、議論が最後まで紛糾したのが、「仮想敵国の設定」だった。
陸海空の各幕僚監部としての総意を図ると、仮想敵国は中国、ロシア、北朝鮮となる。だが、それら全てを「敵」とすると、防衛費倍増などというレベルの補強では済まなくなってくる。
そこで、井端は「仮想敵を中国と定めることで、国民に分かりやすく説明したい」と提案、多くの同意を得て採択された。
尤[もっと]も樋口は「攻撃のパターンは中ロ鮮いずれも似ているので、攻撃方法によって対応を示すとするべき」と最後まで抵抗していた。
磯部には、樋口の発想は重要だと思われたが、国民の理解を得るためにも、「分かりやすい敵の設定」は致し方ないと判断した。
辻岡官房長は、「素晴らしい『提案書』だ。君に任せて良かった」と労ってくれたが、これが、そのまま「防衛省の意志」となるのかは分からない。
XM会議では、時々メンバー各人が所属する「部署の意向」情報がもたらされる。それを聞いていると、ここを先途とばかりに、「欲しいものは全部リストアップせよ」という発想が主流派の中にあるらしい。
一方で、官邸や大臣、事務次官それぞれの国家観、安全保障の哲学に相違があり、最終的にどのような「防衛予算案」となるのかは、予測が付かなかった。
また、記録係として同席していた夏木が、ミーティング後に漏らした言葉が、印象に残った。
――国民に仮想敵国として分かりやすく説明するなら、ロシアじゃないんですかね。皆、中国が敵なんて思っていませんよ。でも、ロシアは、ウクライナにあんな酷いことをしたと、国民は皆怒っています。今、世界の敵はロシアなんですけどね。
六月中旬になって、防衛省としての「中期防」や自主防衛に向けた概要が固まったという連絡を受けて、磯部は辻岡に呼ばれた。
「残念だが、君らの『提案書』は、さほど反映されなかった」
そう言われて手渡された文書は、磯部を落胆させた。
「まるで、歳末一斉大売り出し逃すまじとでも言いたげな案ですね」
何より残念だったのが、今回は各幕僚監部及び本局が陸海空個別に予算希望を上げて、財務省に「丸投げ」する従前のやり方を改善しようという提案が、無視されたことだ。
「総額で前年度の三倍近い額ですが、もう少し切り詰める必要があるのではないんでしょうか」
「次官はこのまま大臣に上げろとおっしゃっている」
あの方は、ご自身で責任をお取りになりたくないからでは、という青臭い非難は飲み込んだ。
「そんな顔をするな。大臣は、この額でも少ないとおっしゃるかも知れない」
タカ派を自認する大臣にとって、「中期防」で予算を大幅に増額できれば、政治家としての大きな成果になる。
辻岡の胸中は、乱れに乱れているのだろう。彼には上昇志向はないが、権力者の地位に就かなければ、組織は変えられないという考えを持っている。
「いずれにしても、『中期防』も来年度予算も、勝負はこれからだ。そこで、折り入って相談がある」
そうこなくては。
「江島政権時代に立ち上がった『オペレーションZ』に、知り合いがいると言ったな」
「親友がおります。ただ、現在はロンドンに留学中ですが」
「その人物に、XMの『提案書』を渡したらどうかと思うのだが」
なるほど。それは名案だ。……

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