磯部たちが提出した提案書は、防衛省上層部にほぼ却下された。概算要求折衝が始動しようとする矢先、北朝鮮から日本本土にミサイルが発射されるが、弾着寸前で自爆する。
Episode2 傘屋の小僧
非理法権天[ひりほうけんてん]
「無理(非)は道理(理)に劣位し、道理は法式(法)に劣位し、法式は権威(権)に劣位し、権威は天道(天)に劣位する」
『貞丈家訓』伊勢貞丈
1
1ヵ月前――。
辞令発令日である7月1日の早朝、周防は財務省に登庁した。今日から主計局での仕事が始まる。
国の予算編成を司る主計局は、財務省の中でも中枢と言われる花形部署だ。財務省は、あらゆる政策分野に影響を与える予算と税という武器を有しているからだが、その中でも100兆円を超える予算の配分権を握る主計局こそが、省内の最強機関なのだ。
各省庁は1円でも多い予算獲得を目指すのだが、主計局の財布の紐は固く、各省庁の希望をすんなりとは通さない。それどころか、財政難の折、減らせるものは容赦なく切る。
そのため、財務省、中でも主計局は鬼のように言われる。だが、この国に尽くしたいと思って、国家公務員を志した主計局職員としては、ホンネを言えば、辛いことばかりだった。
国民から預かった税金は無駄にできないからこそ、各省庁からの要望を厳しく精査するのだ。
周防が初めて主計局に配属された時、「予算担当者執務十戒」という心得を教えられた。
1. いばっちゃいけない
2. おこっちゃいけない
など10の戒めの中でも、周防が一番苦手だったのが、3番目の、あまくなっちゃいけない――だった。
ついつい相手の希望を聞き入れてしまい、何度上司から叱責されたことか。
再び主計局配属が決まった時、周防は、よれよれになった文書を探し出した。そして登頂日の今朝は、上着のポケットに忍ばせてきた。
あと1時間もすれば、400人近い職員がひしめき、忙しい1日が始まる。だが、今はまだ、徹夜明けとおぼしき数人がいるだけだ。
「おっ、周防やん! おかえり」
同期の池上礼人[いけがみあやと]が、目に隈を作り疲れ果てた顔で立っていた。
「よう、ご無沙汰。徹夜明けか」
「仮眠室で寝たけどな。さすが、英国帰りはおしゃれやなあ」
首にタオルを巻き、しわだらけのワイシャツをだらしなく着た池上は、周防が英国で仕立てたスーツの襟に触れた。
「初日だからね」
「で、異動先は?」
「防衛係」
「それは、ご愁傷さま」……
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