オスロ合意から30年――パレスチナ問題の現在地

執筆者:鈴木啓之 2023年6月9日
タグ: イスラエル
エリア: 中東
イスラエルとパレスチナの軍事衝突による犠牲者は後を絶たない(C) EPA=時事
1993年9月にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)によるオスロ合意が結ばれてから30年となる。パレスチナ人による5年間の暫定自治期間に決着を図るはずだった国境の画定やエルサレムの帰属、入植地の扱いといった重要事項は先送りにされたまま、現在も紛争が続く。その解決は、第6次ネタニヤフ政権下で勢いづく宗教シオニストの存在によっていっそう困難になっている。

 

 2022年の年の瀬、イスラエルに新政権が誕生した。首相に就任したのは、リクードのべンヤミン・ネタニヤフである。2021年6月の下野からおよそ1年半を経て、イスラエル史上最長の在任期間を誇る元首相が、再び政権の座に返り咲いた形だ。この第6次ネタニヤフ政権では、発足直後の閣僚による神殿の丘訪問、司法改革の試みと抗議活動の発生、ガザ地区での武力行使など、イスラエル国内情勢やパレスチナ問題を動揺させる出来事が続いている。

 今年(2023年)は、イスラエル政府とパレスチナ人の代表組織パレスチナ解放機構(PLO)がオスロ合意に署名し、相互承認を宣言してから30年目にあたる。しかし、現在までパレスチナ問題の解決は実現されていない。イスラエルとパレスチナでの最近の出来事は、この紛争の行方に暗い影を落としている。

期待が先行したオスロ合意

 1993年9月にワシントンで結ばれたオスロ合意は、その正式名称を「暫定自治に関する原則宣言」と言う。ビル・クリントン米大統領を中央にして、イスラエルのイツハク・ラビン首相とPLOのヤーセル・アラファート議長が握手を交わしている写真は、教科書でもお馴染みのものだろう。しかし、この合意はイスラエルとPLOが相互に存在を承認し、その後の和平交渉の進め方や交渉期間中の暫定的な体制について、大まかに取り決めたものに過ぎなかった。

 具体的に言えば、パレスチナ人による暫定自治政府を設立し、ヨルダン川西岸地区の一部地域とガザ地区で5年間の暫定自治を実施することが約束された。そして、国境の画定や難民帰還権の取り扱い、エルサレムの帰属などの重要事項については、自治開始から2年以内に交渉を始め、暫定自治が行われている5年のあいだに最終的な形で紛争を決着させるというのが、オスロ合意が描いた「青写真」だった。この段階では、パレスチナの将来は後の交渉に委ねられた形だったが、期待ばかりが先行した。

 1994年5月にはカイロ協定(ガザ・ジェリコ先行自治協定)が結ばれ、最初の暫定自治区がガザ地区と西岸地区の街であるジェリコに設けられた。5年の暫定期間の開始である。翌年9月のオスロⅡ(西岸地区およびガザ地区に関する暫定合意)では、自治区がエルサレムとヘブロンを除く西岸地区の各都市部に拡大した。西岸地区には、暫定的にA地区、B地区、C地区という三つの区分が設けられ、A地区では民政と治安維持が自治区に移管され、C地区では引き続きイスラエルによる管理が続けられた。また、B地区では民政のみが自治区に移管され、治安維持はイスラエルが担うことが取り決められた。

 問題であったのは、この段階に至っても、1967年の第三次中東戦争以来イスラエルによって西岸・ガザ地域に建設されてきた入植地の撤去が行われなかったことだ。むしろ和平交渉のあいだも、人口の自然増などを理由にしながら、入植地は拡大され続けた。オスロ合意から30年を経た現在、占領地に住む入植者人口は……

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カテゴリ: 政治 社会
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執筆者プロフィール
鈴木啓之(すずきひろゆき) 東京大学 大学院総合文化研究科 特任准教授。東京外国語大学外国語学部(南・西アジア課程アラビア語専攻)卒業後、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻・修士課程、同博士課程を経て、2019年より現職。 著書に『蜂起 〈インティファーダ〉: 占領下のパレスチナ 1967-1993 』(東京大学出版/2020年)がある。
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