ヒトが「伴侶」としてのAIと共生する日

ケイト・デヴリン(池田尽・訳)『ヒトは生成AIとセックスできるか 人工知能とロボットの性愛未来学』(新潮社)

執筆者:Rootport 2023年10月29日
AIを搭載したロボットは敵か? 伴侶か?(画像は編集部が画像生成AI「Midjourney」で制作)

 人間は本格的にAI搭載ロボットとの共生を考える時期に入っている。業務にどう活用するか、というレベルの話ではない。文字通りの「伴侶」として共同生活を送る未来はそう遠くないかもしれない。

 英国キングス・カレッジのデジタル人文学部のケイト・デヴリン準教授がAIやロボットと人間の間で構築される関係について幅広く論じた『ヒトは生成AIとセックスできるか』について、米TIME誌「AI領域でもっとも影響力のある100人」に選出された作家・コミック原作者のRootport氏によるレビューをお届けする。

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 本書『ヒトは生成AIとセックスできるか』が版元から届いた日、深く考えずに書評を引き受けたことを後悔しました。というのも、ヒトは生成AIとセックスできないからです。後述しますが、生成AIは統計的な計算を行うソフトウェアにすぎません。大雑把に言えば、本書の邦題は「ヒトはExcelとセックスできるか?」と問うているようなものです。フェミニストの中でも技術に無理解な人が怒りをぶちまけているような内容だったらどうしよう、批評文など書きようがないぞ……と戦々恐々としながらページをめくりました。

 しかし、私の不安は杞憂に終わりました。

 本書の著者ケイト・デヴリン氏は北アイルランド出身、考古学を学んだ後にコンピューター・サイエンスで博士号を得たという変わった経歴の持ち主です。ロンドン大学キングス・カレッジでテクノロジーとセックスという学際的な分野を研究する専門家であり、生成AIがソフトウェアにすぎないことなど百も承知の人物なのです。

 本書の原題は『Turned on: Science, Sex and Robots』です。直訳すれば『スイッチはオンだ:科学、セックス、そしてロボット』になるでしょうか。セクサロイド(という表現は本書では使われていませんが)、すなわちセックス・ロボットの実現性と技術的・倫理的問題について概説する本です。邦題は、流行りの「生成AI」というキーワードを使った、いわゆる「釣りタイトル」でした。

人工知能は「人工無能」である

 内容の紹介に入る前に、生成AIがソフトウェアにすぎないという点をもう少し詳しく紹介しましょう。

 たとえば画像生成AIの場合、その根本的な原理の一つは熱力学に由来します。

 コーヒーフロートが溶けていく様子を想像してください。最初はコーヒー、アイスクリーム、氷という三つの素材から成り立っていたコーヒーフロートは、やがて時間が経つと全てが溶けて混ざり合った、混沌とした状態になります。この「秩序ある状態から混沌とした状態への変化」をシミュレーションする数式が、熱力学では研究されています。

 ポイントはここからです。この変化を逆向きに――つまり、混沌とした状態から元の秩序ある状態を推測して――シミュレーションする数式も研究されているのです。画像生成AIは、これを応用しています。混沌としたノイズだらけの画像を土台に、秩序ある画像を推測する計算を行っているのです。

 ただ計算を行っているだけであるという点では、画像生成AIはPhotoshopのフィルタに近い存在です。生成AIと著作権をめぐる米国の訴訟では、AIによって生成された画像を「サルの自撮り画像」のようなものだという議論が行われたようです。が、ナンセンスと言わざるをえないでしょう。生成AIには、サルのような自我も自律性もありません。それは画像生成AIを過大評価した見解です。

「Artificial Intelligence」という名前とは裏腹に、現状の生成AIは「人工無能」とでも呼ぶべき存在です。自我も自律性もない、ただの道具(ツール)にすぎないのです(道具にすぎないからこそ、それを悪用した際の責任はAIではなくその使用者が負うことになるのですが……話が脇道に逸れすぎるので、この辺りにしておきます)。

 これはChatGPTのような大規模言語モデル(Large Language Model=LLM)にも当てはまります。たしかに現在の生成AIは、ヒトの認知メカニズムを一部参考にしています。が、ヒトの脳を忠実に再現したものではありません。

 LLMは、まるで人間と会話しているのかと錯覚するほど自然な返答を生成できます。しかし、イギリスの認知科学者・行動科学者ニック・チェイターらは『言語はこうして生まれる 「即興する脳」とジェスチャーゲーム』(新潮社)の中で、次のように指摘しています。「LLMがこれほど高性能なのは高度な知能を持つからではなく、「むしろ知能の必要を完全に回避しているからである」。LLMはヒトのように文章を理解する知能があるわけではなく、「驚異的な量のデータの選別と統計的分析の実行を通じて」、それを模倣しているにすぎないというのです。

 これはオーニソプター(羽ばたき飛行機械)と固定翼機の関係に似ているかもしれません。

 かつては鳥のように羽ばたかなければ、上手く空を飛べないと信じられていた時代がありました。しかしライト兄弟の時代には、充分な推力を生み出すエンジンがあれば、固定翼でも飛べることが分かりました。AIも同様に、ヒトの脳を忠実に再現しなくても膨大なデータと統計的分析があれば「ヒトのような受け答え」ができると分かった――。というのが、2023年という今の時代なのかもしれません。

性表現に寛容な日本ならではの「勝算」

 本書の内容は、そういう現在の技術水準の限界を前提に、「セックス×テクノロジー」の掛け算の最前線を俯瞰するような一冊です。

 序盤では、古代ギリシャのピグマリオン伝説から始まり、現代のラブドールに至るまでのセックストイの歴史を概説します。セクサロイドの登場も、この歴史の中に位置づけられます。

 セクサロイドの実現に向けて、ロボット技術の現状も解説されています。なお、著者は汎用人工知能(Artificial General Intelligence, AGI。ざっくり言えば「人間そっくりのAI」)の誕生には、まだ時間がかかるという立場で議論を進めています。

 終盤に少し触れられる程度ですが、セクサロイドはセックスを目的に作られた道具としてではなく、介護などを目的としたコンパニオン・ロボットに性的介助の機能が加わることで実現するのではないか――という予想には、なるほどと唸らされました。

 さらに、セクサロイドが実現した際の社会的影響についても紙幅が割かれています。私たちの恋愛や結婚はどうなるのか? セクサロイドは性犯罪を助長するという批判に対して、どう考えるべきなのか? 著者は(禁欲ではなく)性の解放を訴える派閥のフェミニストであり、セクサロイドにかんしては推進派です。その立場から、セクサロイドに対する疑問に答えていきます。

 この辺りの議論からは、日本の国産LLMの勝算を感じました。

 欧米や中国に比べて、日本は性的な表現にかんして(アダルトビデオのモザイクを除いて)おおらかで寛容です。たとえば私が仕事をしているマンガ業界の場合、日本ではごく一般的な表現でも、海外のプラットフォームからリリースする際には相手の規約にあわせて修正を余儀なくされるケースが頻繁にあります。ちょっとした胸の谷間や下着の描写でも――それが物語上、必要なシーンであっても――修正を求められるのです。

 ChatGPTを触ったことがある人ならご存じの通り、かのサービスでは性的な質問は制限されています。その敏感さたるや、木の股を見て興奮する男子中学生並みです。ほんのわずかでも恋愛や性に関わる質問を投げると、とたんに木で鼻を括ったような返答しかしなくなります。

 一方、性表現におおらかな日本の国産LLMであれば、より自由度の高い返答ができるでしょう。これは競合製品に対して、大きな強みになりえます。

 性的用途のAIが作れる、という話をしているのではありません。

 もちろん、その方面での需要があることは疑いようがないでしょう。インターネット上では、VHSビデオが普及したのはアダルトビデオのおかげであり、テレビ電話が真っ先に実用化されたのは歌舞伎町のテレクラだった――という都市伝説がまことしやかに語られています。最新のテクノロジーと「エロ」は相性がいいのかもしれません。

 しかし、それだけではありません。性的な相談に答えられないAIは、コンパニオン・ロボットの頭脳に載せるAIとして不適格なのです。

 たとえば二次性徴による体の変化に悩む思春期の子供が、AIに相談するシーンを想像してください。現在のChatGPTのように制限のかかったAIでは、上手く答えることができないでしょう。ユーザーが一番答えて欲しい疑問に対して、取り付く島もない態度で返すでしょう。

 たとえば小学生の子供が、下校中に露出魔や痴漢に遭遇したところを想像してください。親にも相談しにくい恐怖体験を、自宅の「子守りロボット」に打ち明けたところを思い浮かべてください。私たちが子守りロボットに期待するのは、子供の精神的なケアと、自分のカラダを守るためのアドバイスをすることです。しかし、性的な相談に答えられないAIでは、その役割を果たすことができません。

 性欲は三大欲求の一つです。人生で生じる問題の3分の1くらいは、多少なりとも性に関わるものだと私は思います。性的な相談が制限されているAIは、人生の問題の3分の1で助けになってくれないのです。

 私たちの悩みに何でも答えてくれて、よき隣人になってくれる――。そんな真のコンパニオンAIを生み出す道が、欧米や中国のように性表現に厳しい環境では閉ざされている――とまでは言わないまでも、大きな足枷が嵌められているとは言えるでしょう。そういう足枷がないことは、日本の優位性になりうると私は感じます。

いつか必ず実現する未来

 総評として、「2023年の今この時だからこそ読むべき一冊だ」という感想を抱きました。

 レイ・カーツワイルら特異点論者たちは、21世紀の半ばには技術的特異点(シンギュラリティ)――コンピューターが人類よりも賢くなる瞬間――が来ると主張しています。たしかに現在の生成AIは「人工無能」の道具にすぎないかもしれません。しかし、カーツワイルらの主張が正しいとすれば、私たちが生きているうちにAGIを目にする可能性があるのです。

 その日が来るまでには、本書で紹介されている議論は、荒唐無稽な遠い未来の話題ではなく、目の前に広がる現実の問題になっているはずです。

 その日が来てから慌てて考えても遅い、と私は思います。

 画像生成AIの話に戻ると、2018年ごろにはすでに、ごく初歩的な二次元美少女を出力するAIが存在していました。これがそのまま発展すれば、10年以内にマンガの作画をAIで行える日が来るだろうと私は予想していました。心構えができていたからこそ、2022年に『サイバーパンク桃太郎』(新潮社)を作ることができたのです。一方、画像生成AIの進歩に興味のなかった人々にとって、MidjourneyやStable Diffusionの登場は青天の霹靂だったことでしょう。中にはパニックに陥り、感情的な拒絶反応を起こす人も珍しくありませんでした。

 おそらくセクサロイドも同じです。現在はまだ技術水準が未熟で、半ば笑い話のような話題かもしれません。しかし、このまま技術開発が進めば、いつか必ず実現する未来でもあります。本書を一読して心構えを作っておけば、その日が来たときにパニックにならずに済むでしょう。

ケイト・デヴリン(池田尽・訳)『ヒトは生成AIとセックスできるか 人工知能とロボットの性愛未来学』(新潮社)
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