医療崩壊 (80)

「国際政治学者」武見厚労相に期待する国際的視点

執筆者:上昌広 2023年11月8日
タグ: 日本
エリア: アジア
加藤勝信前厚労相(右)から引き継ぎを受ける武見敬三厚労相(厚生労働省HPより)
厚労相に就任した武見敬三氏は、日本医師会のドンと呼ばれた武見太郎氏を父に持つだけに、医療界ベッタリとの印象があるが、もともとは慶應出身の国際政治学者である。そんな大臣に期待するのは、国家統制下にある医療行政の打破と医学研究の発展のために、国際的視点を取り入れることだ。

 武見敬三氏が厚生労働大臣に就任して間もなく2カ月が経過する。多くの国民は、日本医師会(日医)が推薦してきた議員を岸田文雄総理が抜擢したことに驚き、メディアや野党は不適切な関係を懸命に探している。

 10月27日の衆議院予算員会では、立憲民主党の後藤祐一議員が、この問題を取り上げた。後藤議員が問題視したのは、厚労大臣就任後の9月25日、都内で開催された政治資金パーティーで、複数の医療関係者からパーティー券購入などの支援を受けていたことだ。武見氏は「就任前から予定していた」と説明したが、この説明は苦しかった。翌日には全国紙も報じたため、多くの国民は医療界ベッタリの武見大臣という印象を強めたことだろう。

 私は、このような論調に違和感を抱く。それは、武見氏は世間が思っているような医療界の族議員ではないからだ。私は、その実態は『フォーサイト』を愛読するような国際政治学者と考えている。国際政治学者が、厚労大臣に就任すれば、一体、どういうことが起こるのだろうか。本稿では、武見厚労大臣に対する私の期待をご紹介したい。

舛添元厚労相との違い

 私は武見氏と仕事をしたことがある。新型コロナ流行当初のことだ。自民党の行政改革推進本部長を務めていた塩崎恭久元厚労大臣に頼まれ、提言の作成を手伝った。武見氏は、自民党コロナ対策本部の感染症対策ガバナンス小委員会長で、塩崎氏と協力関係にあった。

 その後、何度かコロナ関連のテレビ番組でご一緒した。田原総一朗氏の番組が多かった。田原氏が「私は発言を規制しません。何を言っても大丈夫です」と言うと、「私はどこでも正論を言うので、ぶつかってしまう」と武見氏は返した。田原氏は武見氏を信頼していた。

 田原氏は多くの政治家を間近で見ている。武見氏が、その信頼を勝ち取ったのは、彼に信念を感じたからだろう。私も同感だ。ただ、その信念が厚労大臣として相応しいかはわからない。それは、前述したように、彼の本分が国際政治学者だからだ。だからこそ、コロナ対策に積極的に関与した。パンデミック対策は医療と国際政治の交差点だからだ。

 厚労省が所管する分野は幅広い。私は、武見氏が国際保健以外の厚労行政に、どの程度の関心があるかはわからない。もちろん、厚労大臣として一定の汗はかくだろうが、関係省庁や業界団体の利害関係の調整に難渋することが確実であり、政治家としての力量も問われる診療報酬や介護報酬の改定に強い関心があるようには思えない。

 この辺り、同じく国際政治学者出身で厚労大臣を務めた舛添要一氏とは違う。舛添氏は厚労大臣在任中に首相候補に挙げられたように、国民的人気が高かった。舛添氏は政治的な栄達を望み、自分の専門性にこだわらず、国民が関心を抱くテーマに切り込んだ。当時、それは医師不足、お産難民、薬害肝炎訴訟だった。いずれの問題でも、舛添案の作成に我々のグループが協力した。ブレイン集団の案と役人案とを対峙させ、最終的に大臣が決裁するというのが、舛添氏のやり方だった。

官に頼らない慶應の気風

 私が、これまでお付き合いしてきた政治家は、舛添氏、塩崎氏、旧民主党の仙谷由人氏、鈴木寛氏たちだ。いずれも医療業界の族議員ではなく、東京大学の文系を卒業し、日本銀行、東京大学教養学部、弁護士、経済産業省などの勤務を経た後に国会議員となっている。

 私は東京大学在学時代、全学の運動会(体育会のこと)に在籍した。運動会の学生は、明治以来の歴史的経緯もあり、旧内務省由来の総務省や警察庁、経産省、銀行、日本製鉄や三菱重工などの国策製造業に就職する卒業生が多かった。前出の議員たちの就職先と被る。私は彼らと価値観が近く、親近感を抱いた。亡くなった仙谷氏を除き、今でもお付き合いさせて頂いている。飲みに行くこともある。彼らも私に親近感を抱いてくれているのだろう。

 人格は青年期までに形成され、周囲にいる人の影響を受ける。麻布高校と開成高校、早稲田大学と慶應義塾大学の卒業生の雰囲気が違うのは、このような事情を反映している。そして、同窓の人々から一生にわたり影響を受ける。ところが、このことはあまり認識されない。

 では、武見厚労大臣は、誰の影響を受けているのか。彼は幼稚舎(小学校)からの慶應ボーイだ。父の武見太郎氏も慶應卒だ。幼少期から慶應関係者に囲まれて育ってきた。その影響を強く受けるはずだ。

 慶應は独自の価値規範を持つ。創立者の福澤諭吉は精神の独立を説く。「日本には唯政府ありて、未だ国民あらず」と評し、「官を慕い官を頼み、官を恐れ官に諂(へつら)い、毫も独立の丹心を発露する者なくして、その醜体見るに忍びざることなり」と嘆く。

 武見という名前は新潟県に多い。武見厚労大臣の父で、25年にわたり日本医師会長を務めた武見太郎氏は明治37年に京都で生まれている。武見家は新潟・長岡の出だ。

 幕末、長岡藩は新政府軍と北越戦争を戦い、敗れた。長岡城は焼失し、その後、再建されることなく、現在は長岡駅となっている。遺構すら存在しない。武見太郎氏は旧制開成中学に入学するも、その後、慶應義塾普通部に転入する。武見氏にとり、慶應の精神は受け入れやすかったのだろう。

 一般論として、慶應OBは官に頼らない。官僚になる卒業生は少ない。令和5年度に国家公務員総合職試験に合格した2027人中、慶應卒業生は51人に過ぎない。大学ランキング9位で、早稲田大学(4位、96人)、立命館大学(5位、78人)、中央大学(7位、68人)よりも少ない。

 例外が医系技官だ。慶應大学医学部OBが仕切っている。慶應は「独立自尊」や「実学」と並んで、「社中協力」を重視する。このような発想は東京大学卒業生にはない。自分たちが徒党を組むことの危うさを叩き込まれているからだ。慶應閥が仕切る医系技官は暴走する危険性を孕んでいる。これが日本の医療行政の問題の一つだ。

 では、武見厚労大臣のブレインは誰だろう。その一人が中谷比呂樹氏だ。慶應幼稚舎以来の友人だ。世界保健機構(WHO)本部事務局長補を務めた後に退官し、WHO執行理事、厚労省国際参与、国立国際医療研究センター(NCGM)理事などに就任している。武見記念生存科学研究基金の運営委員も務めている。

今は従来型の改革を進めるが

 2020年に武見氏が塩崎氏らと協力してコロナ対策の提案を取りまとめている時、武見氏はNCGMと国立感染症研究所(感染研)を統合し、米疾病対策センター(CDC)をモデルに日本版CDCを発足させることに熱心だった。彼の主張は実現し、大きな業績となったのだが、この政策実現にあたり、中谷氏らと綿密に連携した。

 武見氏らしい対応だが、ピントがずれていると思う。それは、こんなことをしても、日本の医療は発展しないからだ。なぜなら、医系技官が仕切る厚労省傘下の研究機関が腐敗しているからだ。感染研の実態はコロナパンデミックで広く報じられた。9月には、国立がん研究センター東病院の元医長が収賄で逮捕された。

 NCGMも状況は変わらない。コロナ禍の昨年6月、総務課の係長が収賄容疑で逮捕されている。事務系職員がローテーションする国立病院機構でもコロナ禍に収賄容疑で逮捕者が出ている。知人の警視庁関係者は「立件されたのは氷山の一角で、腐敗しきった組織」と言う。

 グローバルヘルスは、武見厚労大臣の売りだ。力をいれるだろう。重要なのは、それをどうやって具体化するかだ。ここまで武見氏は、大臣・医系技官・厚労省関連組織が中心となった従来型の改革を推し進めている。旧内務省的な手法で、国際政治学者のやり方には見えない。同じく国際政治学者の舛添氏が、医系技官の指定席であった医政局長に法令事務官を充てるなど、その権限に切り込んだのとは対照的だ。

決して高くない日本の医学研究レベル

 私が武見氏に期待するのは、日本の厚労行政に国際的視点を持ち込むことだ。海外の先行事例から学び、我が国に取り入れることだ。そのために弊害となる規制や既得権があれば、是非、打破していただきたい。

図1

 日本の医学研究のレベルは高くない。図1は、経済協力開発機構(OECD)参加国と中国から発表され、米国国立医学図書館データベース(PubMed)に収載されたコロナ関連論文数を示す。日本は10位で、主要先進7カ国(G7)中最下位だ。

図2

 発表論文数を人口換算すると図2のようになる。チェコ、中国、メキシコ、コロンビア、スロバキアに次いで5番目に少ない。感染症研究については、日本の生産性は世界で最も低い国の一つで、とても先進国とはいえない。

 このあたり、経済大国ではあるが、国民一人あたりのGDP(国内総生産)に換算すると先進国最低ランクという日本の経済に相通じるものがある。

 コロナ研究が停滞したことについては、「日本は衛生状態がよく、島国のため、感染症が流行しにくい。これまで感染症研究を軽視してきた」という専門家がいる。このように主張する人は、感染症以外の研究レベルは高いと考えているようだが、果たしてどうだろうか。

 医療ガバナンス研究所の山下えりかは、2013年1月から23年8月までに『ニューイングランド医学誌(NEJM)』に掲載された原著論文を対象として、筆頭著者が所属する施設の国名を調べた。

『NEJM』は世界最高峰の医学誌だ。論文を掲載されることは、世界中の研究者にとっての憧れだ。

 結果を図3に示す。この間に2277報の原著論文が掲載されていたが、日本の論文数は22報で16位だった。もっとも多いのは、アメリカで1092報だった。コロナワクチンや治療薬の開発が米国の独壇場だったのは、突出した実力を反映したものだ。

図3

 ついで、イギリス(202報)、カナダ(115報)、フランス(107報)、ドイツ(79報)、オーストラリア(78報)、オランダ(74報)、イタリア(42報)、中国(40報)、デンマーク(32報)、スイス(32報)、スウェーデン(27報)、南アフリカ(26報)、スペイン(26報)、イスラエル(23報)と続く。

 ちなみに、人口あたりの『NEJM』掲載論文数は図4のとおりだ。日本は38カ国中23位だ。コロナ論文数よりは上位に位置するが、悲惨な状況であることは変わらない。

図4

 残念ながら、これが日本の実力だ。日本の医学研究が停滞する理由について、政府の支援がないことを理由にあげる専門家もいるが、南アフリカ、スペイン、スウェーデンに負けているのだから、それが主たる理由ではない。

「厚労行政」に世界標準を

 何が、日本の医療の発展を阻害しているのか。それは国家統制だ。我が国では、厚労省が全国一律に診療報酬や薬価を決めている。これは「護送船団」として機能してきた。医療の場合、厚労省が、東京の中心部でも経営できる値段をつけているため、地方の医療機関は大儲けする。臨床研究を行い、新規サービスを開発しなくてもいい。製薬企業も、長期収載品が高額な薬価で守られてきたため、新薬を開発しない新薬メーカーが生き長らえることができた。現状は、戦後、護送船団方式で守られた金融機関が競争力を失ったのと同じ構造だ。その後、金融機関がどうなったかはご存じの通りだ。

 我々は何をすべきか。新しい厚労大臣に期待し、陳情することではない。医療界は、武見厚労大臣に献金して、便宜をはかって貰おうなどというせこい考え方を捨てるべきだ。そのような姿勢こそが、日本を長い間、停滞させてきた。我が国に必要なのは、福澤諭吉の「一身独立して一国独立す」の精神だ。この際、厚労行政に「世界標準」を採り入れてもらいたい。私が、武見氏に期待するところである。

 

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執筆者プロフィール
上昌広(かみまさひろ) 特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。
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