サンパウロ「リベルダージ」の日本人街を復活させた「日本文化の浸透力」

執筆者:栗田シメイ 2023年11月23日
タグ: ブラジル
エリア: 中南米
活況を呈する七夕のリベルダージ(提供:サンパウロ人文科学研究所の細川多美子常任理事)
 
今年は日本人のブラジル移住開始から115年の節目に当たる。日本人の移住は戦後をピークに減少し、3世、4世の割合が多くなるにつれ、日系社会の衰退を指摘する声も聞こえる。しかし、今でも推計190万人の日系人が暮らし、日本文化は広くブラジル社会へ浸透している。それを物語るのが、サンパウロの日本人街「リベルダージ」の復活だ。

 推計190万人の日系人が暮らすブラジル。その南部の都市サンパウロに位置する「リベルダージ」は、世界最大級の日本人街として知られる。赤い鳥居が立ち並ぶ、南米の日系社会のシンボル的な場所だ。もともと外国人旅行者から人気だったこの街は近年、ブラジル人にとっての観光スポットとして急速に発展し、未だかつてないほどの賑わいを見せている。ラーメン、ヤキソバ、スシ等の和食レストランやアニメグッズの専門店など日本にゆかりのある商店が続々と出店し、“日本らしさ“を求めるブラジル人が詰めかけているという。

 サンパウロ在住の日系人女性が、その変貌ぶりに舌を巻く。

「以前も週末は混雑していましたが、今のリベルダージは平日も多くの人で賑わっていて、駅から歩くのも一苦労。日系人がブラジル各地で日本文化を紹介するイベントを盛んに行うようになり、和食や日本アニメの人気が高まったことが背景にあります。ネット上や口コミで街の様子が広がり、リベルダージへ行けば“ホット”なものが見つかるとブラジル人が認識するようになっていった。リベルダージに行くこと自体が、彼らにとってはイベントなのです」

 2018年には日本人のブラジル移住110周年に際し、地下鉄名駅が「ジャポン・リベルダージ」へと変更された。

10年前に聞こえた「日系社会はいずれ消えゆく」という声

 しかし、10年前のリベルダージはこのような活況を見せる場所ではなかった。

 筆者は2013年に3カ月強の時間をかけて南米大陸を周遊した。当時ブラジルは、サッカーW杯やリオ五輪の開催を控え物価が高騰し、日系人が多く住み“富が集う場所”として認識されていたこのエリアでは、強盗や犯罪が多発していた。店舗には生々しい銃痕の後が残り、銃撃で窓がないタクシーの車両もあった。

 何より印象的だったのは、「日系社会はいずれ消えゆく」という声を少なからず耳にしたことだ。ヤキソバやスシの店舗はたくさんあったが、店に立っているのは日系人以外のアジア人で、中国系の商店も目立っていた。「チャイナタウンと化している」という声も多々聞こえ、ブラジル日本都道府県人会連合会会長(当時)の園田昭憲氏も、こう話していた。

「一昔前よりも、リベルダージにおける日系人の存在感は薄れているかもしれません。今は中国系の人々の勢いが凄いですから」

 1908年に始まった日本人のブラジルへの移住は戦後をピークに減少し、93年には海外移住者送出業務が終了した。以降、日本語の読み書きが出来る日系人は減少の一途をたどり、日系文化の衰退は中南米でもたびたび指摘されてきた。今では3世や4世の割合が多くなり、“日系”という意識が年々薄くなっていることも事実だ。

 ただ、筆者は園田氏の次の言葉が忘れられなかった。

「そうは言っても、メイド・イン・ジャパンの家電や和食は今でもブラジル人に人気があります。だからこそ、中国系や韓国系、台湾系の商店も日本製品を扱う。たしかに中国系の進出が進み、日系人の数も減りましたが、ブラジル人の日系人へのリスペクトは根強い。それは、オマツリやヤキソバやスシといった日本文化がブラジルに浸透していることからも明らかであると感じます」

 あれから10年が経ち、園田氏が語っていた日本文化の浸透は今、“日本人街の復活”という形で表出している。

地方へ行くほど感じられる日系人の影響力

 サンパウロ人文科学研究所が2016年~18年にかけてブラジルの日系社会の実態を調査した『多文化社会ブラジルにおける日系社会の実態調査』という資料がある。調査を中心的に行った常任理事の細川多美子氏は、上智大学でポルトガル語を専攻後、会社員を経てブラジルに渡り、30年が経つ。

「私はこの調査を行うまで、日系人や日系社会がそれほど強い影響力を持っているとは思っていなかったのですが、地方へ行くほど大きな影響力を持っていることがわかってきた。『この町は日系人が、日本人がつくってくれたから、今の繁栄があるんだ』という意見もたくさん聞きましたし、日系人が街を開拓して発展させてきたという歴史が住民に共有されている町がたくさんありました。さらに、サンパウロの日本人祭りが地方にも広がっていて、その町で一番大きい祭典が日系のお祭りだったりするのです」

 ブラジルには、「Kaikan」と呼ばれる言葉がある。日本の「会館」から派生した「日本文化の発信地たる団体」を指す造語で、前出の調査結果に目を通すと、「Kaikan」はブラジル全土に452を数え、最多はサンパウロ州の246で、パラナ州の72、リオデジャネイロ州の18と続くが、各地方にくまなく広がっているのは興味深い。調査結果の中には、こんな記載もある。

「様々な形で集団地を開拓した日本人・日系人にとって、居住地での団結力は必要不可欠だった。奥地の土地が大半であり、教育も娯楽もなく、自らの手でそれら施設を建設しなければならなかった。組織を構築した集団地は社会へと進化した。それが日系社会の根本になっている」

 ブラジルの日系社会の衰退を指摘する声は確かに多い。しかし、調査を終え、全土に散る日系人たちと直に接してきた細川氏にその点を問うと、首を横に振った。

「日系としての意識を持ち、日本文化を発信するイベントに関わっている人たちは、『日本的な精神や規律などを自分たちの精神的遺産として大事にしなければいけない』と考えています。そうした活動の成果の1つが、今のリベルダージでもある。和食、お祭り、野球など、多方面で日本文化はもはやブラジルという国と切り離せないほど広く浸透しており、日本文化に感銘を受けたブラジル人がそれらを継承してくれている面も確実にある。日系人の血が薄くなるからといって、日系社会の存在感までなくなるわけではないのではないかと私は思います」

日系人であることの誇り

 筆者は南米各国の日系社会を訪ね歩き、日本各地の県人会や移住者の方々と言葉を交わしてきた。

 パラグアイのイグアス移住地で出会った園田八郎氏(72)も、その1人だ。

 イグアス移住地は南米の日系居住地の中でも特に日本文化が色濃く残り、現在パラグアイで暮らす推計7000人の日系人のうち約900人が暮らす。園田氏は鹿児島に生まれ、開拓直後の1962年からイグアスに移り住み、イグアス移住史料館館長として、またペンションのオーナーとして、この地を訪れる日本旅行者やパラグアイ人たちに日系文化を伝えてきた。2016年にはパラグアイ日本人移住80周年に際してこの地を訪れた秋篠宮眞子内親王(当時)のアテンドも務めた。

 園田氏はこう言う。

「本当の意味での日系社会はあと何年もつのか、という危惧があります。4世、5世と世代が進むにつれ、若い世代ほどスペイン語を重視します。イグアス移住地ですら日本語を話せる人の割合は半数ほどで、日系人としての意識も希薄になっている。今でも日本から移住する方がいるのがこの地の特徴で強みですが、パラグアイの中でどういった形で日系文化を残し、それをどう後世に伝えていくのか、私自身も苦悩している面があります。

 私たちの生活は、助け合いの精神で成り立ってきましたが、実は私はずっとパラグアイに住むのが嫌で仕方なかったんです。南米の“日系人”と呼ばれる人々の大半が、自分の意思ではなく親都合の出稼ぎでこの地に来ている。駐在員でもない、現地人でもない、日本国民でもない。そんな立ち位置でアイデンティティを持つことが難しく、ずっとコンプレックスだった。

 ただ、この年になってようやく、自分がパラグアイで頑張ってきた意味を見いだせるようになった。日系人であるから、会える人がいる。貢献出来ることがある。もし移住をせずに日本にいたら、皇族の方々に接見したり、外務大臣表彰を受けたりするような人生ではなかったはず。そういった私の経験や日系人としての誇りを、これからも若い世代に伝えていけたらな、とも思うんです」

 先に紹介した調査では、「日系人であることを誇りに思うか」という質問に、約1000人のうち97%が「誇りに思う」と回答し、その多くが「とても」や「絶対的に」と強調されていた。

 日系社会は本当に消えゆく存在なのか——。この10年、筆者の胸の奥につかえていた疑念は今、少し晴れた気がしている。

カテゴリ: 社会 カルチャー
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執筆者プロフィール
栗田シメイ(くりたしめい) 1987年生まれ。広告代理店勤務などを経てフリーランスに。スポーツや経済、事件、政治、海外情勢など幅広く取材。南米・欧州・アジア・中東など世界40カ国以上で取材を重ねている。著書に『コロナ禍を生き抜く タクシー業界サバイバル』がある。
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