
【前回まで】潜水艦事故の2日前、ある計画を胸に渡中を決意する都倉は、繁森外務大臣の制止も突破した。日台関係の専門家である野添は、外務省を辞めて同行すると都倉に告げる。
Episode5 四面楚歌
4
事故当日――。
中国への入国も、その後ホテルへの移動も、まったく滞りなく進み、都倉は「偲ぶ会」会場の北京飯店に入った。
同行者全員が、ピリピリしているのをずっと感じていたが、会場に入ってからは、懐かしい旧友との再会で気持がほぐれた。
広い会場が埋め尽くされるほどの出席者が、三々五々にかつての仲間との再会を楽しんでいた。
都倉も、今や政府幹部や政治局員になった同窓生と旧交を温めつつ、目当ての人物の到着を待った。
会が始まってから1時間が経過しようとした頃だ。今回の秘密会談を仲介した日中友愛協会事務局長の王晴美が、近づいてきた。
「5分後に、携帯電話が鳴ります。日本から総務会長に急用という態です。そこから先は、先方が案内するそうです」
都倉は黙って手にしていた白ワインをあおった。今日はいくら飲んでも、酔わない。
欠席した同級生の話で盛り上がった時に、電話が鳴った。ディスプレイを見て、「ちょっとゴメン。日本からの電話」と言って、その場を離れた。
“廊下でお待ちしています”
それに、適当に応じながら、都倉は宴会場を出た。
廊下に出るなり小柄な背広姿の男が近づいてきた。
その間も、都倉は電話に向かって、適当なことを話し続けた。
その態のまま、男について行くと、彼は別の宴会場のドアを開けた。
部屋に入ると、懐かしい友が迎えてくれた。
華希宝首相だ。
「響子、ようやく会えた。また、美しくなったんじゃないか」
「希宝、相変わらずお世辞が下手ね。それより、まさかあの弱虫・希宝が中国のナンバー2とは、びっくりした」
室内には、華しかいない。二人は、懐かしく抱擁し、背中を叩き合った。
「まずは、白酒[バイジウ]で乾杯だ」
大学時代に飲み明かしたボトルを、華は掲げて見せた。
再会に乾杯すると、都倉は一気に酒を飲み干した。アルコール度数の高い酒が喉を焼く。
「残り時間は13分だ。それだけあれば、話はできるだろう」
「簡単よ。我々は、絶対にアメリカに加担しない。だから、日中はけっして戦火を交えない。それを、あなたと私で約束しましょう」
一方は首相だし、都倉は与党とは言え、単なる総務会長に過ぎない。
だが、華はそんな立場の差を気にする男ではないはずだ。
「好的[ハオダ]。交渉成立! それから、僕の親書を貴国の総理に渡してもらえないか」
「喜んで。内容は?」
華は2通の封筒を背広の内ポケットから取り出した。一方には封蝋がなされ、中国首相の刻印が押されている。
「封をしていないのは、コピーだ。読んでくれ」
中国語と日本語で併記されている。
「中華人民共和国と日本国は、国交回復後50年間、変わらぬ友好を築いてきた。未来永劫、平和の維持を誓う」
都倉が、中国語を読み上げた。
日本語でも、まったく同意のことが書かれていた。
そして、既に華の署名と印も押されていた。
「ありがとう。必ず、返事を持って来るわ。でも、私としては、もう一歩踏み込みたい」
華は白酒をグラスに注いで聞いている。
「中国は、台湾に軍事侵攻しない。それを、日本もサポートする」
「それは、無理だね。これは、そんな単純な話ではない」
「ウクライナの惨状を見なさいよ。中国も、世界の嫌われ者になるつもり?」
相手が首相であるのも構わず、都倉の口調は互いに激論を交わした学生時代のそれに戻っている。
「我々はロシアの愚行を繰り返さないよ。でも、台湾問題については、何の約束もしない。そもそもあそこは、中国なんだから」
「学生時代は、台湾なんてなくてもいい、って言ってたくせに」
「君だって、日米安保などという隷属条約は、即刻破棄すると息巻いていたよ」
「嫌なことを覚えてるのね」
「お互い国を背負うようになった。だから、できることとできないことがある。それより、我が国から、新たな提案がある――中日安全保障条約を締結しないか」……

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