8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に、長崎市は駐日イスラエル大使を招待しなかった。このエピソードは、イスラエルとガザ戦争をめぐり、日本と欧米の間に横たわる認識の違いを浮かび上がらせた。
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核脅威が高まる時代の、長崎市長「平和宣言」
長崎市の鈴木史朗市長が、式典で読んだ「平和宣言文」を聞いた。欧州や中東で戦争が続く中、鈴木市長の訴えには強い切迫感があり、聞く者の心に響く崇高な内容だった。私が住む欧州では、核戦争の脅威が高まっている。冷戦下の1980年代に向けて、欧州の時計の針が戻っているような印象を抱く。
日本の外では、被爆者たちの核廃絶への訴えはほぼ完全に無視されている。2022年にウクライナに侵攻したロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、「この戦争ではあらゆる手段を使う」と述べ、状況によっては核兵器を使用する可能性を間接的に示唆してきた。
プーチン大統領のアドバイザーの一人であるセルゲイ・カラガノフは、去年6月13日、「ロシア・イン・グローバル・アフェアーズ」というウエブサイトの中で、「第二次世界大戦の末期に、神は人類に核兵器を与えて、戦争を終わらせた。人類は核兵器の破壊力を目の当たりにした。このため人類は、75年間にわたって欧州で戦争を行わなかった。しかし欧米諸国は、核兵器の恐怖を忘れてしまった」と述べた。
カラガノフは、「欧米諸国が引き下がらない時には、ロシアは欧米諸国の複数の目標に核攻撃を実施するべきだ」と述べて、核兵器による先制攻撃を提案した。大統領のアドバイザーがこのような暴言を公表していることに、戦慄せざるを得ない。
ロシアの脅威の高まりに対抗するために、米国は2026年からドイツにトマホーク巡航ミサイルと、SM-6多目的ミサイル巡航ミサイルを配備することを決定した。これらのミサイルには通常弾頭が装備される予定だが、この内トマホーク巡航ミサイルには、核弾頭の装備も可能だ。中距離核戦力全廃条約で禁止されていたミサイルのドイツ配備は、1980年代後半以来だ。さらに一部のドイツの政治家の間からは、「ドナルド・トランプが大統領に再選された場合、欧州の防衛への関与を減らす可能性がある。英独仏では独自の核抑止体制を持つべきだ」という意見も出ている。
このように核使用の可能性が高まっているだけに、鈴木市長の演説には危機感が漲っており、聞く者の心に強く訴えかけた。欧州の人々は、核兵器が使われた時の被害について、我々日本人ほど知らない。広島と長崎で起きた悲劇を世界中に伝えるのは、日本人の任務だ。
ガザ攻撃に無言の抗議
さて長崎市は、この日の式典で世界中にもう一つのメッセージを送った。長崎市は、駐日イスラエル大使を式典に招待しなかった。イスラエル軍はガザ地区での攻撃を続け、市民に多数の死傷者を出している。鈴木市長は記者会見などでイスラエルを名指しで非難しなかった。だが長崎市のイスラエル不招待が、ガザでの無差別攻撃に対する抗議であることは想像に難くない。
長崎市の決定は、欧米諸国に不快感を与えた。長崎市が駐日イスラエル大使を招待しなかったことに「抗議」して、米国、ドイツなど6カ国と欧州連合(EU)は、大使を式典に参加させなかった。鈴木市長は、「イスラエルを招待しなかったのは、政治的な理由ではない。平穏かつ厳粛な雰囲気のもとで円滑に式典を実施したいから」と釈明した。これに対し米国のラーム・エマニュエル駐日大使は、「長崎市は今回の式典を政治的に使った」と反駁した。日本では長崎市のイスラエル不招待に賛同し、欧米諸国の反応に憤慨している人が少なくない。
イスラエル除外は常に政治的意味合いを持つ
欧米では、イスラエルを式典の参加者リストから除外することが、「非政治的な措置」であるという言い訳は通用しない。欧米では、イスラエルの招待・不招待は、常に政治的な意味合いを持つ。ガザの状況を見れば、長崎市がイスラエルに抗議のメッセージを送ろうとしたことは、理解できる。
ガザの保健省によると、去年10月7日から今年8月15日までに、イスラエル軍のガザに対する攻撃で死亡したパレスチナ人の数は約4万人、負傷者は9万2294人にのぼる。イスラエル軍はハマス幹部の殺害の名目で、学校、難民キャンプ、病院なども爆撃している。7月13日には、ハマス軍事部門の指揮官だったモハンマド・アル・デイフを殺害するためにイスラエル軍の戦闘機が、多くの難民が避難していた地域を爆撃し、市民ら90人が死亡し、300人が重軽傷を負った。イスラエル軍は8月10日にもガザ市で多くの市民が避難していた学校を爆撃し、100人を超える犠牲者が出た。死傷者の多くが女性、子どもである。ネット上には、学校の周辺に並べられた、激しく損傷した遺体の映像が流れている。
非戦闘員が瓦礫の中で頭を割られ、手足をもぎ取られて次々に死んでいく現状には、広島や長崎の惨状と重なり合う部分がある。鈴木市長は、「この状況を放置してはならない。イスラエル寄りの欧米の態度に異議を申し立てなくてはならない」と考えたのだろう。
欧米ではイスラエルのボイコットはタブー
なぜ長崎市と、欧米諸国の間にこのような対応の違いが生まれたのだろうか。その背景には、イスラエルという国への態度の違いがある。イスラエルの大使を式典に招かないことは、一種の政治的なボイコットである。日本ではあまり知られていないが、欧米の政府関係者や外交官の間では、イスラエルに対するボイコットは、タブーである。私が住んでいるドイツでも、タブー視されている。日本を除くG7諸国とEUが大使を式典に送らなかったのは、イスラエルがボイコットされた式典に大使を出席させると、その国はイスラエルに対するボイコットを支持または追認していると見られる恐れがあるからだ。
イスラエルとの関係を重視する米国のエマニュエル大使が、式典に出席しなかったのは、欧米の論理では当然のことである。
欧米ではイスラエルに対するボイコットはデリケートな問題だ。2005年に創設されたBDS(ボイコット、投資撤収、制裁)は、イスラエルに対する経済的・文化的ボイコットを呼びかける運動だが、米国では38の州がイスラエルに対するボイコットを禁止する法律を施行している。ドイツでは連邦憲法擁護庁が、BDSを過激組織の疑いで監視している。つまり米国やドイツではイスラエル排除は、BDSの一種と思われる危険があるので、細心の注意が必要だ。ドイツ政府は他宗教・他民族の差別を禁じているが、特に反ユダヤ主義的な発言や行為には厳しい態度を取る。
多くの日本人は、「欧米諸国はパレスチナ人に対しては配慮しないのに、イスラエルには気を遣い過ぎだ」と思うに違いない。だが良し悪しは別として、欧米ではこれが外交ルールとなっている。この不文律を破ることは、少なくとも欧米では容易に認められることではない。
欧米政府もガザの死者増加で苦境に
だが欧米諸国が、ガザ問題で苦しい立場にあることも事実だ。米国やドイツ政府は、「イスラエルには自衛権があり、ハマスの戦闘員と戦う権利がある」と主張する。だが同時に米国やドイツ政府も、イスラエルのガザ攻撃で民間人に多数の犠牲者が出ていることを問題視している。
両国はベンヤミン・ネタニヤフ政権に対して、「民間人の犠牲者を少なくするように努力するべきだ」とアピールしている。米国やドイツ政府、欧州委員会は、イスラエルがガザ攻撃で多数の市民を殺傷していることは問題だが、「イスラエルはハマスが実行した10月7日の虐殺事件での被害者でもある」という見方を取っている。
ハマスの戦闘員たちは10月7日に、イスラエルのキブツ(農業共同体)などを襲撃し、女性・子どもを含む1139人を残虐な方法で殺害した。被害者の女性の一部は、集団で性的暴行を加えられた。ハマスは200人を超えるイスラエル人を誘拐し、今でも約100人がガザに監禁されている。1948年のイスラエル建国以来、これだけ多くの市民が殺害されたり誘拐されたりしたのは、初めてだ。パレスチナ側の死者数が、10月7日事件でのイスラエル市民の死者数の約35倍に達しているため、日本の報道ではしばしば10月7日事件が軽視される。イスラエルにホロコースト以来最大の衝撃を与えた10月7日事件は、米国やドイツでは日本よりも重視されている。このため米国やドイツ政府は、「イスラエルは被害者でもある」という立場を貫いている。
だがガザ市民の死傷者数が極めて多い上に、イスラエル軍の無差別攻撃が終息する兆しが見えないことから、米国、ドイツなどイスラエルを支持している国の立場も苦しくなりつつある。それでもこれらの国々は、式典への不招待などのボイコットには踏み切らない。今年のパリ五輪でも、イスラエルはボイコットされなかった。
日本では、「人権を重視するはずのドイツがイスラエルを支持するのはおかしい」という批判をしばしば聞く。だが、ナチス・ドイツは1940年代に、欧州に住む約1100万人のユダヤ人の抹殺を計画し、実際に約600万人を絶滅収容所などで殺害した。これだけの大罪を過去に犯したドイツ人に対し、「イスラエルを断罪せよ」と要求するのは、無理な注文である。ドイツのアンゲラ・メルケル前首相、オラフ・ショルツ首相は「イスラエルの安全を守るのは、ドイツの国是の一つ」とまで宣言した。だがガザ地区で死者が増えるたびに、イスラエルだけではなく、米国やドイツ政府に対する批判も世界中で強まる。
イスラエル不招待、米国招待のダブルスタンダード
私は、長崎市が駐日イスラエル大使をボイコットするならば、なぜ同国に多額の軍事援助を与えている米国の大使もボイコットしなかったのか、と不思議に思っている。米国の外交問題評議会の今年5月31日の発表によると、1948年のイスラエル建国以来、米国は同国に合計3100億ドル(46兆5000億円・1ドル=150円)の軍事・経済援助を与えてきた。その内74.2%が軍事援助だ。
2023年10月にイスラエル軍のガザ攻撃が始まってからも、米国はイスラエルに兵器や弾薬などを含む125億ドル(1兆8750億円)の軍事援助を行った。イスラエルが約10カ月にわたる戦争を続けられるのは、米国の強力な援助のためである。世界の国の中で、米国がこれほど多額の軍事援助を与えている国は、イスラエルだけだ。
今イスラエルのガザ攻撃にストップをかけられる可能性がある国は、米国以外にない。米国がイスラエルに対する軍事・経済援助を一切停止したら、イスラエルは長期間にわたる戦争を継続できない。だが米国政府がイスラエルを見捨てる可能性は極めて低い。米国にとって、中東に位置し、イランなどに関する情報を収集しているイスラエルは、戦略的に重要な拠点である。民主党のカマラ・ハリス次期大統領候補も、「イスラエルは市民の死傷者を抑えるべきだ」としながらも、「イスラエルはハマスのテロリストと戦う権利がある」と語っている。親イスラエル派であるトランプが大統領に再選された場合、米国はイスラエルに対する軍事支援額をさらに増やす可能性が強い。
そう考えると、長崎市はガザ戦争での大量殺戮に抗議するためには、イスラエルだけではなく、米国大使も式典に招くべきではなかったのではないか。日本は、政治、経済、防衛で米国に大きく依存している。その重要性はイスラエルとは比較できない。米国大使をボイコットすると、政治的な反動が大きくなることを恐れて、米国大使を招待客のリストから削除しなかったのだろうか。イスラエルは米国ほどの影響力がないから、ボイコットする。米国を怒らせては大変だから、式典に招く。ダブルスタンダードと批判されても仕方がない。
ボイコットではなく討論を
私はイスラエルのガザ攻撃を支持しているわけではない。公式には否定されているが、仮に長崎市長にイスラエルに抗議したいと思う気持ちがあるならば理解できる。ある日本人は、「イスラエル不招待により、日本には、欧米とは違う基準があることを世界に示した」として、長崎市長を称えた。「イスラエルをボイコットしてはならないという欧米の外交ルールそのものを、疑うべきだ」という意見も聞いた。日本の市民の間ではガザ攻撃をめぐるイスラエル批判、パレスチナ人に対する同情心が、非常に強い。「日本企業はイスラエル企業との取引をやめるべきだ」とボイコットを呼びかける勢力もある。10月7日のハマスによるイスラエルに対するテロ攻撃についても、「イスラエルがパレスチナ人の土地を奪い、ガザで市民を長年にわたり抑圧してきたのだから、その反動が起きても無理はない」という、同情的な意見を耳にする。長崎市が米国や欧米諸国の反発を買っても、駐日イスラエル大使をボイコットしたことで、留飲を下げた人も多かったのではないかと思われる。
これに対し私は、長崎市は駐日イスラエル大使を式典に招くべきだったと思っている。その理由は、イスラエルが中東で唯一の核兵器保有国と見られているからだ。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は、イスラエルを米英仏、北朝鮮などとともに9カ国の核兵器保有国の一つに数えている(イスラエル政府は核兵器の保有を公式に認めていない)。
私は、世界の全ての核兵器保有国の首脳、官僚、経済人、市民は広島と長崎を訪れて慰霊式典に参加し、時間をかけて原爆資料館を見学するべきだと考えている。それだけに、長崎市長が今回駐日イスラエル大使を長崎に招かなかったことを残念に思う。実際広島市は、長崎市とは違って、駐日イスラエル大使をボイコットしなかった。
イスラエルに抗議したいのならば、学識経験者や長崎で原爆を体験した人々を交えたシンポジウムを開催し、イスラエル大使を招くべきだった。長崎市は、その場でガザ戦争について駐日イスラエル大使と正面から議論を行うべきだった。原爆攻撃を体験した市民には、駐日イスラエル大使に対して、核戦争の悲惨さを詳しく伝えてもらう。
イスラエル人ほど積極的に議論し、歯に衣を着せない発言をする人々は、世界でも稀なのではないか。米国人やドイツ人よりも発言が単刀直入で、相手の感情を忖度しない。いわば我々日本人の真逆の人々である。したがって、長崎市は駐日イスラエル大使をそうしたディスカッションの場に招くべきだった。駐日イスラエル大使は、自分にやましいことがないと思ったら、そのような場に出席するはずだ。シンポジウムに招待したのに駐日イスラエル大使が出席を断ったら、それはイスラエル側の問題である。
議論を避けて相手をボイコットするだけでは、欧米から「日本は異質な国だ」という印象を持たれるだけだ。世界で唯一の被爆国として、「非戦」をアピールするのであれば、むしろイスラエルに対して能動的に議論を挑むべきではないだろうか。