11月16、17日の2日間、東京都港区の建築会館で「現場からの医療改革推進協議会シンポジウム」を開催する。私と鈴木寛・東京大学公共政策大学院教授が共同で事務局を務め、医療に関わる当事者が参加し、様々な問題について議論する集まりだ。2006年に始まり、今年で19回目を迎える。過去には、福島県立大野病院事件、医療事故調査制度論争、医師不足対策、福島第一原発事故、新型コロナ対策などで、この会での議論を参加者が実行し、社会に普及したこともある。
近年、このシンポジウムでは、医師と製薬企業の利益相反を扱ってきた。2010年代初頭に問題となったノバルティス社が販売する降圧剤ディオバンを巡る不正事件など、医師と製薬企業の癒着は国内外で枚挙にいとまがない。
どうやら、このような問題は製薬企業に限らないようだ。最近は、医療機器メーカーと医師の癒着が相次いで事件化している。
今回のシンポジウムで取り上げるのは、医師とタバコ企業の癒着だ。シンポジストとして登壇するのは北海道で臨床医として働く小沼士郎医師である。
欧米メディアは次々に報道
小沼医師の経歴は面白い。1992年に東京大学医学部を卒業後、外交官試験に合格し、94年から外務省に奉職した。国際保健政策室長などを歴任し、西アフリカでエボラ出血熱が流行した際には、国連エボラ緊急対応ミッションの一環として日本政府から派遣された。
私は小沼医師と面識がある。東大医学部卒業生には少ない、腹の据わった人物であるという認識を持っている。
この小沼医師が、7月1日、英国の「調査報道局(TBIJ)」のインタビュー記事「科学を売り物に:フィリップ・モリスによるタバコ研究への資金提供網」(記事原文タイトルとリンク先は下記)に実名で登場し、米国を代表するタバコ会社フィリップ・モリス・インターナショナル(PMI)、および日本の子会社フィリップ・モリス・ジャパン(PMJ)と、日本の二人の研究者の癒着を糾弾した。この二人は東京大学特任教授、京都大学教授であり、京都大学の教授は臨床医でもある。
- 【TBIJ記事タイトルとURL】
“Science for sale: Philip Morris’s web of payments to fund tobacco research,”The Bureau of Investigate Journalism (July 1, 2024). https://www.thebureauinvestigates.com/stories/2024-07-01/science-for-sale-philip-morris-web-of-payments-to-fund-tobacco-research/
なぜ、小沼医師がタバコ会社を糾弾したのか。それは、彼がPMJで「癒着」の現場を目の当たりにしたからだ。
実は、小沼医師はPMJで働いたことがある。同社が提唱する「煙のない未来のビジョン」という考え方に共鳴し、2019年4月、医療・科学担当ディレクターとして就職したのだ。そこで見たのが、後述する「癒着」だった。
驚いた小沼医師は、「このことを上層部に報告したが、黙殺された」という。
小沼医師は元官僚だ。行政機構の動かし方は熟知している。東京大学、京都大学、厚生労働省、さらにタバコ会社に関わることだから財務省にも情報を提供したが、「彼らは動かなかった」(小沼医師)そうだ。その後、小沼医師はPMJから解雇される。
私がこの問題を知ったのは、海外のマスコミが報じたからだ。口火を切ったのは、英国の『ガーディアン』で、6月28日に「タバコ大手、非喫煙者を引き付けるために「科学を操作」したと非難される(Tobacco giant accused of ‘manipulating science’ to attract non-smokers)」という記事を掲載した。
これは、前日にオックスフォード大学出版局が発行する『ニコチン・アンド・タバコ・リサーチ』誌に英国のバース大学の研究者たちが発表した「「秘密にせよ」 流出情報はPMIとその日本支社が科学を金儲けのために不正に利用したことを示している(“Keep it a secret”: Leaked Documents Suggest Philip Morris International, and Its Japanese Affiliate, Continue to Exploit Science for Profit)」という論文を受けてのものだ。
同日には『英国医師会誌(BMJ)』、7月12日には英国の『ランセット腫瘍学』誌も、この問題を取り上げた。いずれも世界の医学界を代表する学術誌だ。この問題は、世界中の医師に知れ渡った。
別会社経由で受け取っていた資金
では、何が問題だったのか。医療界で特に問題となったのは、京都大学の教授のケースだ。この教授はPMJからの資金を、別会社を介して迂回させて受け取り、そのことを明示せずに学術誌にタバコに関する論文を発表していた。
やり方は巧妙だった。バース大学の研究チームによる論文、および一連の記事によると、この教授はPMJから4950万円(資金提供が行われたとされる当時=2017~18年の為替レートで44万5000ドル)を、禁煙補助剤の研究という名目で受け取っていた。
なぜ、PMJが禁煙補助剤の研究を促進するのか。それは、PMI・PMJが加熱タバコIQOS(アイコス)の販売に力を入れているからだ。
彼らが強調するのは、その安全性だ。PMIは、「紙巻たばこの煙から発生する成分を100とした場合、加熱式たばこの蒸気から発生する有害性成分の量は平均して90%以上低減されていることが実証されています」などの主張を繰り返している。従来型の紙巻タバコの有害性を強調することで、加熱タバコへの転換を誘導するという戦略だ。
この戦略は功を奏している。2023年度決算では、PMIの売り上げの4割をIQOSが占め、日本は世界最大の市場だ。日本の喫煙者の3割がIQOSを利用している。
ただ、この主張は医学界では受け入れられていない。加熱式タバコの安全性については多くの懸念が表明されており、日本呼吸器学会は「加熱式タバコや電子タバコが産生するエアロゾルには有害成分が含まれており、健康への影響が不明のまま販売されていることは問題である」、「加熱式タバコの喫煙者や電子タバコの使用者の呼気には有害成分が含まれており、喫煙者・使用者だけでなく、他者にも健康被害を起こす可能性が高い」との見解を発表している。これが現時点での医学界のコンセンサスだろう。
もちろん、医師・医学者は、自らの信念にもとづき、自由に意見をいう権利がある。たばこ会社と共同研究をしてもいいだろう。ただ、その際は、タバコ会社との関係を公開すべきだ。このことは医学界の常識である。
京大のケースの問題は、タバコ会社との関係を明示していなかったことだ。小沼医師がTBIJに提供した文書には、PMJが医薬品開発支援会社シミックに「疫学研究の実施計画および支援」という名目で振り込み、シミックから京都大学に渡っていることが記されている。このことを京大教授、シミック、PMJは知っていた。しかしながら、シミックと京都大学の間で交わされた文書には、この旨は明記されていない。こんなことをしていたら、患者からの信頼を失う。医学界での明白なルール違反である。
タバコ業界との繋がりがあるなら“掲載されなかったはず”の論文
タバコ業界からの資金提供については、さらに厳しい対応をとる組織もある。例えば、前出のBMJ編集部は「タバコ企業からの資金提供に関する方針」を公開し、その中で以下のように記載している。
「BMJ ジャーナルは、タバコ業界との金銭的つながりのないコンテンツを掲載している。タバコ業界が資金提供するコンテンツの除外という原則は、すべてのコンテンツに適用される。これは、私たちのジャーナルがタバコや電子タバコなどの関連製品の害を軽視する目的で業界に利用されることを避けるためである」
「BMJ ジャーナルは、タバコ業界によって全額または一部を資金提供された研究を排除する。また、著者がタバコ業界と個人的な金銭的つながりを持つ研究も排除する」
上記の方針に従えば、この京大教授の場合、BMJが出版する媒体に論文が掲載されることはないはずだ。ところが、同教授は2015年以降、11報の論文をBMJが出版する媒体に発表している。うち4つはタバコに関連するものだ。2022年3月には「職場での禁煙政策が、コロナパンデミック中の紙巻タバコの受動喫煙、加熱タバコからのエアロゾル暴露に与える影響(Impact of workplace smoke-free policy on secondhand smoke exposure from cigarettes and exposure to secondhand heated tobacco product aerosol during COVID-19 pandemic in Japan: the JACSIS 2020 study)」という論文を『BMJオープン』誌に発表した。
なぜ、この教授の研究が、『BMJオープン』誌に掲載されたのか。それは、この論文の利益相反の項目にはシミックの名前があるだけで、PMJはなかったからだ。
これは悪質である。医師として絶対にしてはならないのは、患者をだますことだ。タバコ会社から資金をえながら、その関係を隠してタバコに関する論文を発表するなら、医師の職業規範にもとる行為である。そのことが、英国からの発信をきっかけに世界中から非難を浴びた。
私は、京都大学、関連学会、厚労省、そしてメディアの動きをフォローした。ところが、総合情報誌『選択』が8月号で報じただけで、他は沈黙を貫いた。
関係者は、なぜ、議論しなかったのか。世界的たばこ企業のPMIを恐れたのだろうか。このあたり、1999年に公開されたマイケル・マン監督の映画『インサイダー』に詳しい。米国の大手たばこ企業B&W社を告発した元研究担当副社長とテレビプロデューサーの苦境が紹介されている。関係者はPMI・PMJを恐れたのかもしれない。
このような事情を考慮すれば、自らのキャリアをなげうって社会正義を訴えた小沼医師には頭が下がる。権力に迎合せず、国民の立場で行動する姿をみて、私は「医師の鑑(かがみ)」だと思う。11月のシンポジウムでどんな話をしてくれるか、今から楽しみにしている。