
日本の医療政策に欠けているものは何か。それは世界観と歴史観である。本稿で解説したい。
競争力を削ぐから「国産ワクチン」も実現しない
コロナパンデミックを経験し、多くの国民が感染症に関心を抱いている。厚生労働省は、安全保障としてワクチンや感染症治療薬の国産化を進めているが、おそらく実現しないだろう。それは、多くの国内製薬メーカーが、そんなことには関心がないからだ。ワクチンや治療薬を開発するなら、国産に拘ることなく、海外でやった方がいい。2023年度の主要国内製薬企業の海外売り上げ比率は、トップの武田薬品工業の89%を筆頭に、12社が50%以上である。
これは経済合理的な振る舞いだ。2023年の世界の医薬品市場は1兆6068億ドル(約233兆円)だ。日本は10.6兆円(約731億ドル)で、先進国の中では米国に次ぐ2位だが、米国の7102億ドルとは規模が違う。更に、今後も年率5%程度の成長が期待されている米国市場と、医療費抑制のためにマイナス成長の可能性が高い日本市場では状況が異なる。国産ワクチンや治療薬開発のために、日本に優先的に投資したい製薬企業はないだろう。この結果、国産ワクチンや治療薬の開発に従事するのは、海外で売れる薬が乏しい一部の国内メーカーが中心となる。厚労省の薬系技官に気を遣いながら、補助金を得るとともに、縮小する市場を奪い合う。前途は暗い。
現在の日本の実力で、世界に通用する国産ワクチンや感染症治療薬を開発することは不可能だし、海外メーカーが開発したワクチンや治療薬を優先的に供給されることはない。それは、ルイ・ヴィトンの新商品が、ニューヨークの5番街より先に、銀座の店頭に並ぶことを期待するようなものだ。
日本の医療を成長させるためには、世界の流れに適合しなければならない。日本の医療は、厚労省による価格統制、量的規制が残っている数少ない分野だ。医学部定員数から、47.3兆円(2023年度)の規模の医療の価格を、国会の監視を受けない中央社会保険医療協議会(中医協)が決めてきた。役人、族議員、業界団体の都合が優先され、様々な不都合が生じ、日本の医療の競争力を削いできた。
一理あるが小児科は淘汰
そろそろ、このような「官製談合」のあり方を変えねばならない。厚労省も改革を主導しなければならない。ところが、現状は違う。最近、このことを痛感するケースがあった。それは、感染症への対応だ。4月から急性呼吸器感染症、つまり風邪が感染症法の5類に認定される。
まずは、厚労省の主張だ。風邪は、ライノウイルスを筆頭に、季節性コロナウイルス、アデノウイルス、RSウイルスなど様々な病原体によって引き起こされる。風邪を5類に認定することにより、流行しやすいウイルスの動向を把握することができ、未知の感染症が流行しても、早期に探知できると主張している。
この説明は一理ある。これまで呼吸器感染症はインフルエンザ、RSウイルスなどが個別に指定され、定点報告されてきたが、今回の措置により感染症の流行状況を網羅的に把握することが可能になる。
グローバル化と円安により、日本には世界各地から観光客が押し寄せ、さらに新型コロナ後に世界中で様々な感染症が流行している状況を考えれば、感染症のモニタリング体制を強化することは時宜を得た対応だ。
これは世界の趨勢とも一致する。世界各地で感染症が蔓延している。現在、米国のテキサス州やニューメキシコ州で麻疹の集団感染が起こっている。海外から持ち込まれたもので、コロナ禍の予防接種率の低下などが影響し、感染拡大へとつながった。このことは、米『ニューヨーク・タイムズ』が2月22日付の記事で大きく報じている。
米国や欧州では、急性呼吸器感染症を包括的にモニタリングする体制が強化されている。米国疾病管理センター(CDC)の全国呼吸器・腸管ウイルス監視システム(NREVSS)は、インフルエンザ、RSウイルス、ヒトメタニューモウイルス(hMPV)、パラインフルエンザ、アデノウイルスなどを監視し、病院や検査機関からリアルタイムデータを収集し、データを開示している。
欧州も同様だ。欧州疾病管理センター(ECDC)のTESSy(欧州サーベイランスシステム)は、欧州連合(EU)全体でインフルエンザ、RSウイルス、hMPV、パラインフルエンザなどを統合的に監視し、データを公開している。
ただ、日本にこの体制を導入するには、いくつかの問題点がある。最大の問題は医療機関の負担増だ。特に、多くの風邪患者を診察する小児科への影響は大きい。
小児医療の体制強化は、少子化が進む我が国で優先順位が高い政策課題だ。ところが、厚労省や中医協関係者は、小児科医療を軽視してきた。クラウド型電子カルテCLIUSのコラムによれば、関東地方の2020年度の診療科別平均診療点数(1点10円)は、小児科は974点で、同コラムがまとめた12の診療科のなかで皮膚科、耳鼻咽喉科に次いで安い。内科1184点とは210点も違う。患者一人当たり、2100円も収入が違う。
小児科診療は手間がかかり、高コストだ。それなのに診療単価が安いのだから、多くの小児科が赤字となる。福祉医療機構(WAM)の経営サポートセンターが2022年3月に発表した調査によると、小児科診療所の45%が赤字経営だ。小児科の事業利益率はマイナス1.6%と、皮膚科(4.3%)、整形外科(1.7%)、内科(0.0%)より低い。
さらに、コロナ禍以降は、患者数が急減している。2019年に約86万5000人だった出生数は、2023年には約72万7000人まで約13万8000人(16%)も減った。このままでは小児科の淘汰は避けられない。今回の感染症法改定は、このような状況を見据えてのものだろうか。勿論、違うだろう。厚労省や関係者の都合が優先されたとしか思えない。
「日本版CDC」も引き継ぐ「感染症ムラ」の害
私が注目するのは、4月に発足予定の「日本版CDC」とされる国立健康危機管理研究機構(JIHS)だ。この機構は、コロナパンデミックの反省を踏まえ、国立感染症研究所と国立国際医療研究センターを統合し、内閣感染症危機管理統括庁と連携して、感染症対策を一体的に担う。今回の5類認定は、この動きに合わせたものだ。新組織の発足に合わせて、ポストと予算が増えるため、新たな事業を立ち上げたというのが真相だろう。
人事を見る限り、この組織には期待できそうにない。7人の理事(理事長、副理事長を含む)は、国立感染症研究所、国立国際医療研究センター、東京大学医科学研究所の医師と元厚労官僚によって占められている。いずれも、コロナ禍でPCR検査の抑制をはじめ、世界の常識とは隔絶した公衆衛生政策を遂行し、「感染症ムラ」と揶揄された組織だ。
理事長の國土典宏氏は、元東京大学肝胆膵外科教授で、退官後、国立国際医療研究センター理事長に就任した人物だ。危機管理の専門家ではないし、感染症の専門家ですらない。今回の組織再編で、JIHSの理事長に横滑りした。このような事実を知ると、JIHSは既存組織の看板を掛け替えただけであることがわかる。ところが、厚労省は2025年度予算案でJIHS創設のために新たに174億円を措置した。今国会でも大きな議論なく、予算や人事が認められるだろう。国会議員はもちろん、メディアも医療界も無関心だ。
私は、今回の措置は厚労省や「感染症ムラ」を焼け太らせることはあっても、医療現場や患者のためにはならないと考えている。それは、政府の感染症対策への基本姿勢が間違っているからだ。我が国の近代史に負うところが大きい。JIHSを発足させるなら、今こそ、感染症対策のあり方を議論すべきだ。
我が国の感染症対策を規定するのは感染症法だ。その雛形は、1877年(明治10年)に制定された「虎列刺病予防法心得(コレラ予防法心得)」だ。1897年(明治30年)に「伝染病予防法」となる。感染症対策の基本的な枠組は、国家の防疫のために、感染者・家族・周囲の人を強制隔離することだ。殺人犯でも、現行犯以外は、警察が逮捕するには裁判所の許可が必要なのに、感染症法では、実質的に保健所長の判断で感染者を強制隔離できる。これは人権尊重の観点から異様だ。
戦前、感染症対策は、内務省衛生局および警保局が担当していた。後者は治安維持法などを所管し、感染症対策の担当部署は衛生警察と呼ばれた。当時、抗生剤などの治療薬が存在せず、感染症対策が隔離一辺倒だったことはやむを得ない側面もある。残念なのは、戦後、伝染病予防法を廃止し、国民が検査や治療を受ける権利を保障した形で新しく立法すべきだったが、伝染病予防法の雛形がそのまま生き残ったことだ。ハンセン病、エイズ、さらにコロナに至るまで、感染者を差別してスティグマ化することになる。
これは役人にとっても都合がよかったのだろう。現行の感染症法は、強毒な病原体が侵入した非常事態に対応すべく、厚労省や関係者に強い権限を与えている。いわば戒厳令のような存在だ。一旦、権力者が強い権限を得たら、自ら手放すことはない。
現在、感染症法は、厚労省健康・生活衛生局感染症対策部感染症対策課が所管する。局長、課長ポストは医系技官の指定席だ。だからこそ、医系技官と「感染症ムラ」の医師たちが、コロナ禍では、世界標準の対策に対して、様々な理屈をつけて抵抗した。今回のJIHSも仕切る。
明治の「強制隔離」の名残が連綿と
隔離一辺倒の公衆衛生対応は、世界標準ではない。世界の公衆衛生の雛形は、19世紀に英国で生まれた。産業革命で都市に人口が流入し、コレラが流行した。医師のジョン・スノウは、コレラ患者の分布状況を分析し、井戸水が感染源と特定した。そして、上下水道の整備を訴えた。弁護士のエドウィン・チャドウィックは、貧困層の劣悪な社会環境が伝染病流行の原因と主張し、1848年の公衆衛生法成立に貢献した。彼らは公衆衛生の祖として、現在、世界の尊敬を集めている。このような社会的議論を受けて、ロンドン市などは上下水道を整備する。資金は資本家階級が、ロンドン市などの起債に応じた。
これが世界の公衆衛生をリードする英国の成功体験だ。成功体験は引き継がれる。コロナ禍でも、民間企業が開発したmRNAワクチン、遠隔診療、デジタル医療が、コロナ克服に大きな役割を果たした。
幕末の開国で、日本にも感染症が流入した。特にコレラが問題となった。残念なことに、当時の日本には、英国のような人材も資本もなかった。明治政府ができたのは、国家による強制隔離くらいだった。その影響が、感染症法という形で今も残っている。
今回の風邪の5類認定は、このような歴史的背景をベースに議論すべきである。感染症に強い国になるためにまずやるべきは、政府の権限を強化して「感染症ムラ」の医師たちにデータを提供することではない。患者中心の視点で、医療提供体制を強化することだ。これこそ、グローバル化した世界の専門家たちが追い求めていることだ。この立場に立つことで、世界と論点を共有することができる。日本の感染症対策の議論に必要なのは、世界観、歴史観である。