【前回まで】北朝鮮のミサイルが遂に東京湾に落ちた。タンカーが被弾し、死傷者多数。反撃態勢の整備を訴えようとする都倉防衛大臣に、制服組出身の樋口は冷静な対応を求めた。
Episode7 独立独歩
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官邸到着直前に、防衛省事務次官の辻岡から、“各幕僚長は市ヶ谷で待機、というご指示が官邸よりございました”というメールが届いた。
都倉が総理執務室に到着すると、南郷は人払いをした。
官房長官をはじめ主要閣僚は、顔をこわばらせて部屋を出ていった。
ソファに都倉を誘い、正面に陣取った南郷が口を開いた。
「私は、今晩、辞職する」
「総理、それは無責任が過ぎます!」
南郷が、「まあ、待て」と言いたげな身振りで、いきり立つ都倉を抑えた。
「最後まで話を聞いてくれ」
「失礼しました。伺います」
短慮な自分に驚き、そうとう精神的に参っているのだと自覚した。
「北朝鮮からのミサイルは、これまで何度となく我が国を脅かしてきた。振り返れば、新潟の新発田に弾着しかけたときが、分岐点だった。あのとき、我が国は北朝鮮と事を構えるべきだった。
だが、我々が行ったのは、抗議の声を上げることだけだった」
外交ルートからだけではなく、国連の安保理にも訴えた。だが、そのいずれもが、何の効果もないまま、その後も領海付近への弾着が繰り返された。
「国家の使命は、国民の命と国益を守ることだ。その最重要使命を、我々、いや総理は、果たしてこなかった」
新発田に撃ち込まれようとした時は、南郷は総理ではなかったが、「今すぐ、報復すべきだ!」と官邸に怒鳴り込んだと聞いている。
「あの時、私は大迫君を腰抜け呼ばわりした。もう少しで死者が出たかも知れないような攻撃をされて、静観するなんぞ、総理はおろか、国会議員の風上にも置けない。今すぐ辞任せよ! と迫ったんだ。
ところが、どうだね?
私自身が、仙台沖の公海上に撃たれても、抗議しかしなかった」
「ですが、総理は北朝鮮政府に、次は許さないと明言されました。それと同時に、レーダー開発費を補正予算に入れても下さいました」
「いや、私は腰抜けだった……」
都倉が反論する間もなく、南郷は続けた。
「敗戦から、80年。日本はずっと憲法に基づいて平和主義を貫き、戦争をせずにきた。それは、世界に誇れる偉業だった。だからこそ、今回、自国を攻撃されて、尊い国民の命を守れなかったのを、平和憲法のせいにするつもりはない。
私は、総理大臣失格なんだ」
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