女性自衛官が増えている。1954年の自衛隊発足当時は144人しかいなかった(当時は看護職域のみだった)が、2023年度末では約2万人にのぼる。割合にして全体の8.9%と、まだまだ多いとは言えないものの、70年前とは比べるべくもない。防衛省は2030年度までに全自衛官に占める女性の割合を12%以上とすることを目標に掲げている。
その昔、自衛隊の中には女性を活用することへの反対意見も多かった。そこには「女性は戦いの場では足手まといになる」といった、体力が劣ることを理由とした“排除”の目線もあったが、「戦争は男のすることで、守るべき女性に戦ってもらうなんて申し訳ない」といった“配慮”の目線もあった。
ごくわずかな女性自衛官しか存在していなかった時代には、男性自衛官から「女には任せられない」「子どもなんて産ませない」といった心無い言葉が投げかけられていたと聞く。それでも歯をくいしばりながら邁進した先達たちのおかげで、女性自衛官は評価され、活躍の場を増やしていった。2023年には、自衛隊初の女性の海将が誕生している。
女性自衛官が増えたのは、彼女たち自身の活躍によるところが大きいことは間違いない。ただし、それよりもっと切実な理由は「人口減少」だ。自衛隊は組織の性質上、外国人を入れることはできないし、シニアの活用にも限度がある。となれば、残るは女性しかいなかった。
イスラエルでは男女混成部隊が100人を射殺
軍隊への女性の登用は、世界的な潮流でもある。2000年には国連安全保障理事会が、紛争予防、紛争解決、和平プロセス、紛争後の平和構築、ガバナンスでの意思決定のあらゆるレベルにおいて女性を積極的に参加させることへの要請などが含まれた決議を採択。「平和」を構築するにあたっては、人口の半分を占める女性の存在が欠かせないというわけだ。
また、通常の作戦においても、女性兵士の活用が期待されている。たとえばNATO(北大西洋条約機構)は一貫して「ジェンダー視点の統合は、戦力の増強につながる」との視点を強調しており、年次報告書などで述べている。さらに女性の登用が難しいような特殊作戦部隊においてもさえも、女性が参加することが重要だとの声もある。その理由としては、女性だからこそ潜入しやすい、あるいは地域住民との融和を図りやすい場合があることや、イスラム過激派の一部では、「戦場で男性に殺されると殉教者になれるが、女性に殺されると殉教者になれない」との思想があるために女性兵士を恐れることなどが挙げられている。
このような考え方に沿って、かつては制限されていた戦闘行為に携わる職域・職種への門戸も開けてきた。米軍においては2015年、すべての職種と役職が女性に開放されることが決定。その決定に倣うかのように、自衛隊においても2015~18年にかけて、陸自の普通科(※諸外国の歩兵科にあたる)・機甲科や海自の潜水艦、空自の戦闘機などが女性にも開放された。いまや女性が就けないのは、母性保護の観点から特殊武器(化学兵器)防護隊の一部のみとなっている。
ロシア・ウクライナ戦争やイスラエル・ハマス紛争においても、女性兵士の活躍が度々報じられている。イスラエル国防軍の男女混成部隊であり、女性兵士が3分の2ほどを占める「カラカル大隊」は、10・7の奇襲攻撃の直後、4時間にわたるハマスとの戦闘で自隊に一人の犠牲者も出さず、100人以上を射殺したという。
同じ任務に就かせること=「平等」なのか
さて自衛隊の職域開放に話を戻そう。これは非常に画期的な出来事だったと言える。筆者の防衛大時代の同期にも、戦闘機パイロットを志しながら、性別の壁にはばまれて叶わなかった女性がいた。また10式戦車が好きだった筆者自身も、志望できるものなら機甲科を選んでいただろうと思う。「男性だけの聖域」に女性を入れることに対して、大きな抵抗感を覚えていた男性隊員もいたと聞くが、もはやその反対の声に時代の波を押し戻すだけの力はなかった。
だが職域開放は、当の女性自衛官にとって、単に喜ぶべき話というだけではない。たとえばいわゆる“歩兵”が所属する陸自の普通科は、何といっても体力が要求される。そしてどれだけ女性が努力してトレーニングしたとしても、同じように努力している男性と比べるとどうしても大抵の場合、体力面では劣ってしまう。それは生物学上、いかんともしがたい差異だ。
いまの自衛隊ではさすがに、内心はどうあれ表立って「女はいらない」と公言するような男性自衛官は激減している。多くの男性自衛官は、「女性自衛官は優秀だ」と高く評価する。だがそれは、男女の差異=体力の差異が問題とならない職域・職種において、という前提だ。
たとえば普通科の訓練において、約4kgの89式自動小銃はともかく、約13kgの個人携行対戦車誘導弾(LAM)を長時間担いだり持ったまま走ったりという行為は、女性にとってかなり厳しいものだ。さりとて「私は女だから、LAMなんて持てない」などと放言してしまえば、男性自衛官からの反感を買うことは明白だ。女性自衛官はここで、「必死に努力して何としてでも食らいつく」根性を見せることが求められる。
もちろんそれでも、女性自衛官自身が普通科を望み、鍛錬に鍛錬を積み重ねて配属されたのであれば、本人にとってはいいだろう。そうした先人の姿は、後進の希望ともなるはずだ。当の女性自衛官からも、「並の男性よりも体力のある女性自衛官が、自分のやりたいことができるようになって、楽しそうに仕事をしている。実際にそんな姿を見ると『いい時代になった』と思う」との声が上がっている。
しかし自衛隊は、そうやって先人たちが努力すればするほど、「あいつができたんだから、同じ女であるお前もできるだろ」と言われてしまう組織でもある。もし普通科を希望していない、あるいは適性のない女性自衛官が配属されてしまえば、それはその女性にとっても、周囲の男性自衛官にとっても、非常にしんどい状況になることは間違いない。
防衛大出身の女性幹部自衛官でも、「防大や幹部候補生学校のときは体力で優劣が付けられる面があってつらかった。しかし部隊に出てみれば、仕事で評価を受けられるようになり楽になった。もしいま自分が『普通科に行け』と言われることを想像したら、とても務まる気がしない」と話す人もいる。
能力ではない部分で、女性の戦闘職域への活用を是としない男性自衛官の意見も見受けられた。「近接戦闘を伴う職種に就くということは、捕虜になる可能性も高まるということ。男の自衛官が捕虜になったと仮定すると、たとえ最悪の結末を迎えたとしてもおそらく部隊の士気は上がる。しかし女の自衛官が捕虜になり、凌辱ののちに殺されたとなると、士気の著しい低下は避けられない」といった理由だ。
女性自衛官にとって、男性自衛官は“仲間”でしかない。だが男性自衛官にとっては、そもそも論として「女性は守るべきもの」という価値観が強固に根付いていることが多い。だからこそ、同じ仲間であっても、「男として守らなければいけない女を敵に奪われた」という事実が彼らを打ちのめすのだ。
育児との両立は困難
「普通科を含む戦闘職種に進む女性なんて、ごく一部にすぎない」という指摘もあるだろう。そこでもっと広汎に目を向けると、女性自衛官が増えてきたことで何より顕在化したのは、育児に関する問題だ。女性自衛官の場合、伴侶となる男性は圧倒的に男性自衛官が多い。同僚同士で結婚して子どもが生まれ……となるのはもちろんめでたい話だが、そこで多くの女性自衛官が壁にぶつかっている。
本来は仕事と同じく、子育てについても男女わけへだてなく担うべきだ。ないしは女性が主たる働き手であってもいいだろう。だが現実は、ともにフルタイムで働いていても、女性ばかりに育児の負担が重い社会となっている。その状況は自衛隊でも同じだ。
自衛隊ではいま、女性の活躍推進に力を入れている。それは決して嘘ではない。現在全国に8カ所の託児施設があり、フレックスタイムや短時間勤務なども取得することができる。「制度が整っていて周りにも理解がある。だからなんとか続けていられる」という声も少なくない。
子どもを持った女性自衛官の中には、「子どもの世話があるので転勤はしたくない」「子どもの面倒を見る人がいなくなるので船には乗れない」と話す人は多い。だがとくに幹部自衛官であれば、転勤も多く長時間労働も常態化しており、身軽に動くことのできる人材が求められる。そしてそのような人材の枠から外れた女性たちに、不満を覚える人たちもいる。民間でもありがちな「自分にしわ寄せがくる」といった不満に加え、「ここは軍事組織だ。平時はまだしも、有事のときに『子どもがいるので行けません』とでも言うつもりなのか」といった自衛隊特有の思いもある。
「育児との両立ができない」と自衛隊を去っていった女性は本当に多い。子どもが小さいうちに離れるケースだけでなく、ある女性は子どもが中学生になってから自衛隊を離れた。それは、「そろそろお前も転勤を受け入れて、自衛隊にちゃんと貢献しろよ」と言われたことがきっかけだった。「中学生なんてまだまだ手がかかる。それに子どもを抱えているからこそ、勤務時間内には人一倍努力し、成果も出してきたつもりだった。ただダラダラと部隊に残っている人は評価されるのに、私の努力は評価されないのか……」。それが許せなかった。
結果自衛隊に残るのは、「子どもがいても仕事をがんばります!」と言える“強い”女性か、ごく一部の「だって制度がそうなってるんだから、文句は国に言ってよ」と言える、これもある意味“強い”女性、そして「本当に男性自衛官のおかげで仕事ができています」と“謙虚”に話す女性が多くなってしまうことは、自然の帰結ではないだろうか。
そして若い女性自衛官たちは、「ロールモデルがいない」と愕然とする。キラキラと輝く強い女性自衛官を見ては、「自分はああはなれない」と思う。なんとかもがきながら子どもと向き合い、育児に手がかかる時期を脱したことで、「これからは仕事で恩返しをするんだ!」と誇りと充実感を持って仕事に当たっている女性もいる。ただ、これから家庭を持とうとする女性たちにとって、その姿は自分からまだ遠すぎて響かない。
残存するセクハラ問題
最後に、自衛隊のセクハラ問題にも触れておきたい。一般の方から、「自衛隊が必要なのはわかるが、最近のセクハラ報道を見ていると、自分の娘を入れるのは嫌だと思ってしまう」と聞くこともある。その念頭にあるのは、五ノ井里奈さんに対する悪質な性被害事件だ。
決して擁護するわけではないが、この事件に対しては当の自衛官たちも衝撃を受けた。このとき多くの現役自衛官に話を聞いたが、「あんなひどい話は聞いたことがない」「男性隊員は厳粛に処罰されるべき」というのが共通した見解であった。「いまは『これはセクハラに当たらないか』とびくびくしながら女性自衛官に接している」「すぐに通報されてしまうから、言動には気を付けないといけないと思っている」と話す男性自衛官の姿もまずまず見られる。
とはいえ、セクハラがゼロというわけではない。身体を触る、容姿をけなす、執拗に迫るといった悪質で許しがたいセクハラも少なからず存在している。また「男性だけのノリで話していたところ、それがセクハラと受け取られてしまった」というような、悪意のないようなセクハラもある。そして組織内の結束が強いがゆえに、上官に相談したところで「あいつも悪意があってやったわけじゃないから……」といった加害者側をかばうような言動が見受けられることもある。
ただ、少しずつ意識は変化している。少なくとも現在30代後半の筆者の同期の世代では、「セクハラなんてきょうびありえない」といった“普通”の感覚を有している。近頃はハラスメント防止にも力を入れている。教育を徹底し、セクハラ事案が発生した場合には厳正に対処する、それを繰り返していくしかない。
数が増えれば意見の重みは増す
このように女性自衛官はいろいろな困難を抱えているわけだが、それでも筆者は、自衛隊において女性を増やしていくことに賛成している。自衛隊には、ほかでは味わえないやりがいがある。数が多くなれば、その意見の重みは増す。ロールモデルも見つけやすくなる。セクハラも減っていくだろう。女性が働きやすい職場は、男性も働きやすい職場になるはずだ。また、平素からマイノリティ側に追いやられがちな女性の視点を取り入れることは、作戦上においても新たな視点を見出すことにつながっていくはずだ。
自衛隊で女性が働き続けられるための制度が整ってきたことは高く評価する。けれどいまは、女性が自衛隊に増えることのメリットや、出産・育児などで抜けてしまったときにどうするかなどについて、明確に語られているわけではない。「他省庁と横並びの女性活躍推進」ではなく、「自衛隊の女性活躍推進」施策を考えていくことが、いま強く求められている。