ROLESCast#17
韓国非常戒厳の背景と今後の見通し

執筆者:小泉悠
執筆者:山口亮
2025年3月1日
タグ: 韓国 尹錫悦
エリア: アジア
東京大学の小泉悠准教授が東京国際大学国際戦略研究所の山口亮准教授を招き、尹錫悦大統領の非常戒厳によって混乱する韓国政治について考察する。「先端研創発戦略研究オープンラボ(ROLES)」の動画配信「ROLESCast」第17回(2024年12月10日収録)。

※お二人の対談内容をもとに、編集・再構成を加えてあります。なお、この対談の収録後、12月14日に尹大統領の弾劾案が可決され、現在は憲法裁判所で弾劾審判が行われています。

 

小泉 今回は内政問題に揺れる韓国について、東京国際大学准教授の山口亮さんをお迎えしてお話を伺いたいと思います。

 12月3日の深夜に韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が44年ぶりに非常戒厳を発令したということですけども、なぜこんなことになってしまったのでしょうか?

 

山口 直近の背景としては、野党が大統領夫人(※金建希氏)に関する様々な疑惑を追及していたことに加え、複数の閣僚や政府機関、検察幹部などに対する弾劾手続きを進めていた。さらにはその野党が政府予算案の大幅減額を提案しました。これらに対しては大統領拒否権を行使できないので、尹大統領は追い詰められた結果、こういったかなり極端な手段をとってしまったと見られています。

 

小泉 内政運営に行き詰まることはどこの国の首脳もあると思いますけども、なかなか非常戒厳という措置まで出さないわけです。今回の戒厳布告を見ると、第1項においていきなり政治活動の禁止、第3項ではメディアを統制下に置くということを掲げています。かつての軍政を思い起こさせるような非常に厳しい措置だと思いますが、そこまで思い詰めていたということでしょうか?

 

山口 尹大統領としてはそう解釈していたと思います。ただ、政治問題に対しては政治解決しなければいけないというのが民主主義の考え方ですよね。ですから国民の反発も大きいです。韓国は1987年まではずっと独裁政権が続いていて戒厳令もあったのですが、民主化以降はそういうものから卒業したはずでした。この10年ほどは、さらに民主主義を発展させよう、もっと良い社会にしようという動きが活発に進んでいた。それをストップさせて民主化に逆行したことは非常に大きな問題です。

政治危機への民主主義的な対応

小泉 山口さんは韓国の大学で長く教えておられましたけど、周りの韓国の人たちは今回の件にはかなりショックを受けている印象ですか。

 

山口 そうですね、全体的に相当ショックを受けているし、なぜこんな手段を取ったのかと怒りも覚えている。

 深夜に起きた出来事なので、翌朝になって非常戒厳を知ったという人たちも結構いて、動揺は非常に大きかったようです。

 

小泉 気になるのはやはり今後ですよね。尹大統領は今も一応まだ大統領職に留まっていますけど、とてもこのまま持つという感じもしない。ではそこで政権が代わるのか、代わるとしてもそもそもどういう手続きで政権交代するのか。ちょっとその辺の見通しをお聞かせいただけませんか。

 

山口 大統領交代へのプロセスは大きく二つにわかれていて、弾劾で尹大統領が失職するか、あるいは与党から大統領に辞任してくださいと言うのか。二つのプロセスのどっちが先になるかは、ちょっとまだわからないところが多いです。

 さらに大統領自身の内乱罪の問題もありますので、その捜査を含めて今後もいろいろな事態が続いていくと見ております。

 

小泉 非常戒厳自体は6時間で終わったのですが、その後始末にはまだまだ長い時間がかかりそうだという感じですね。

 

山口 今回の戒厳令は本当に突っ込みどころ満載で、尹政権は自分の首を絞めたとも言えるわけです。 

 ただ、ここで一つ大きなポイントは、韓国では今回のように極端な形で政局が進むことがあるものの、同時に政治的な危機においても民主主義的な対応はできている。これは今までの弾劾問題でもそうでした。何か大きな問題が起きても、割と平和的・民主的な手段で解決していく国ではあるので、今回も安定的な形でリカバリーできればと思います。 
次の大統領選挙まで首相が大統領代行になると思いますが、情勢を立て直して保守勢力が汚名返上するには相当ハードルが高いでしょう。中には韓悳洙(ハン・ドクス)首相のことを「敗戦処理投手」と見なす声もある。

 最大野党の「共に民主党」やその他の野党は、待っていましたとばかりに弾劾決議案や戒厳解除に率先して迅速に動いた。そうすると国民は、民主主義の味方はやはり野党だと捉えるわけです。

 一方、与党である「国民の力」はこの事態への対応に関して及び腰でした。弾劾決議案のときも退席してしまった。もう少し穏やかな形で尹大統領に退任してもらうなど、彼らにも色々な考えや戦略があったとは思うのですが、それでもやはり、保守勢力に対する信用は相当失われたと思います。

北朝鮮は今のところ慎重姿勢

小泉 最後に2点伺いたいのは、日本や西側世界へのインパクトに加えて、北朝鮮へのインパクトです。

 前者に関しては、今回の尹大統領に対する弾劾決議案では、「北朝鮮・ロシア・中国を敵に回した」ということが一つ非難されています。それから、「日本中心の奇妙な外交政策を展開した」などとも言われている。非常戒厳そのものに対してだけではなく、尹大統領の外交安全保障戦略政策全体に対する非常に強い反発、敵意みたいなものが表れている気がします。仮にこの先、保守政権が維持できないとした場合、日本やアメリカに対する韓国の向き合い方はどうなると思われますか。

 

山口 そこはちょっと難しいところで、たしかに弾劾決議案には外交安全保障についても色々と書かれていましたけども、あれは野党側が自分たちの思いを感情的になって盛り込んだ気がします。この機会に現政権の気に食わないことを色々と入れてしまえ、というのを感じました。そのこともあって、与党が弾劾に応じなかった。

 ただし、韓国の世論調査を見ると、尹大統領の外交安全保障政策はそこそこの評価を受けていたわけです。ですので、今後例えば政権交代が行われた場合、それを全部ひっくり返すことができるのか。北朝鮮や中国の脅威も強まったし、北朝鮮とロシアが色々なことを一緒にやるようになった。安全保障状況も5年前、10年前とは全然違いますので、野党の弾劾決議案の内容に関して私はあまり現実的とは見ていません。

 

小泉 これから先、「韓国の新しい政権がどういう方向性を取るのか」というより、むしろ「日本としてどう働きかけるか」を考えるべきでしょうか。

 

山口 そうですね。おそらく北朝鮮も今回の事態を、認知戦を展開する絶好の機会と見ていると思いますし、間接的に危機を煽ったり便乗したりすることもできるでしょう。ただ、わざわざ自分たちが動かなくても、すでに韓国政治はひどい状態ですから、「勝手に潰れてしまえ」と思って静観しているかもしれません。

 

小泉 実際問題として、北朝鮮はこの非常戒厳にどのぐらい言及しているのですか。あまり北朝鮮の反応については聞かない気がしますが。

 

山口 目立った言及はないです。おそらく北朝鮮も今回の事態をじっくり見ておきたい。どのように展開していくのか見定めて、情勢を全部把握した上で対応を決めるつもりなのか、まだ今のところ大きな動きはありません。

 

小泉 韓国で政権交代が起きれば、次の政権は北朝鮮に対してある程度歩み寄る可能性もあるわけですから、今は強硬な態度を取らないでおこうという計算もあるのかも知れないですね。

 

山口 たしかに現在の最大野党である「共に民主党」は北朝鮮に歩み寄るグループではあります。

 さらに北朝鮮はすでに、韓国は統一の対象ではなく、南北は二つの敵対する国家だと宣言してしまっているので、そういった点でも新たな戦略を含めて検討しているのではないかと思います。

 

小泉 北朝鮮の出方にせよ韓国の新しい政治体制にせよ、具体的な次の動きが起き始めるまではどのぐらいのスパンで考えておけばいいでしょうか。1カ月とか半年とかではないと思うのですが。

 

山口 そうですね。先ほど申し上げた通り、大統領自ら辞任するのか、または弾劾か、北朝鮮もそれを見極めているのではないかなと。北朝鮮にも慎重な時と積極的な時があって、おそらく今はちょっと慎重になっているのではないかなと思っております。

 

小泉 どうもありがとうございます。非常に混迷していますけど、筋の通った見方を提供していただけたと思います。

カテゴリ: 政治
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
小泉悠(こいずみゆう) 東京大学先端科学技術研究センター准教授 1982年千葉県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修了。民間企業勤務を経て、外務省専門分析員、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員として2009年~2011年ロシアに滞在。公益財団法人「未来工学研究所」で客員研究員を務めたのち、2019年3月から現職。専門はロシアの軍事・安全保障。主著に『軍事大国ロシア 新たな世界戦略と行動原理』(作品社)、『プーチンの国家戦略 岐路に立つ「強国」ロシア』(東京堂出版)、『「帝国」ロシアの地政学 「勢力圏」で読むユーラシア戦略』(同)。ロシア専門家としてメディア出演多数。
執筆者プロフィール
山口亮(やまぐちりょう) 東京国際大学国際戦略研究所准教授 長野県佐久市出身。ニューサウスウェールズ大学(豪)キャンベラ校人文社会研究科博士課程修了。パシフィック・フォーラム(米)研究フェロー、ムハマディア大学(インドネシア)マラン校客員講師、釜山大学校経済通商大学(韓)国際学部客員教授を経て、2021年8月より現職。主著に『Defense Planning and Readiness of North Korea: Armed to Rule』(Routledge, 2021)。専門は安全保障論、国際政治論、比較政治論、交通政策論、東アジア地域研究。Twitter: @tigerrhy
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top