
徳岡孝夫さんが亡くなったと聞き、強いショックと共に言い知れない喪失感を覚えている。享年95、老衰死とのことなので、ある意味で大往生とも言え、訃報は驚くべきことではないのかもしれない。しかし、不世出のジャーナリストを失ったという喪失感はあまりにも大きい。
アメリカの新聞界では、記者の誰もが目指し、尊敬を最も集めるのはコラムニストだとよく言われる。徳岡さんはまさしく、そのコラムニストだった。
コラムニストは記者としての全経験と全取材を活かして、その時々のテーマについて、考えに考え尽くしたエッセンスを短い文章に凝縮させる。だからこそ、読者の心を掴むのである。
紙の時代の「フォーサイト」を読んでいただいたことのある読者であれば、徳岡さんの名物コラム「クオ・ヴァディス」を覚えていて下さるだろう。
あのコラムは、1990年3月に私が国際情報誌「フォーサイト」を初代編集長として創刊することになった時、「どうしても定番コラムが欲しい」と、徳岡さんに三拝九拝して始まったものである。人間や社会を見る目が確かで、国際経験も豊富で、洞察力に優れた徳岡さんのコラムが雑誌に不可欠と思ったからだった。以来、徳岡さんは20年以上にわたって、同コラムを連載していただいた。
「クオ・ヴァディス」は、ノーベル文学賞を受賞したポーランドの国民作家、ヘンリク・シェンキェヴィチの長編小説から取ったタイトルだった。ラテン語で「きみは、どこへ行くのか」という意味である。小説は、紀元1世紀、古代ローマの暴君ネロの時代を描いたものだが、徳岡さんの愛読書であったことを以前にうかがった記憶があり、この通しタイトルでのコラムをお願いした。
私としては冷戦後の流動的な国際情勢の中、「日本人よ、きみは、どこへ行くのか」という問いかけをこのタイトルに込めたつもりだった。まさにその狙い通り、徳岡さんは毎月日本人の在り方を鋭く問う名コラムを書き続けて下さった。
目に焼き付けた聖と俗
徳岡さんは、今はなき雑誌「諸君!」(文藝春秋の月刊誌)に30年近くにわたって匿名で連載された名物巻頭コラム「紳士と淑女」もお持ちだったが、こうした内容の濃いコラムを書けるような優れたジャーナリストは、いかにして生まれたのだろうかと、いつも考えた。
私の仮説はこうだ。「戦争」が徳岡さんを生んだのではないかと――。
徳岡さんは大阪出身で1930年生まれの戦中派である。出征こそしていないものの、勤労動員された工場で大阪大空襲にも遭い、九死に一生を得る体験もしている。少年時代から、戦争を生身で経験している。
旧制三高、京都大学を卒業後、1953年に毎日新聞に入社して、新聞記者になってから大きかったのは、海外特派員としてベトナム戦争を取材したことだ。
徳岡さんは正真正銘の「戦争特派員(war correspondent)」だった。少し自嘲気味に「戦争屋」とも称されたが、戦争の現場を見ずに、戦争や平和を得々と語る、いわゆる知識人を徳岡さんは最も嫌った。
徳岡さんはテト攻勢の過酷な戦場となったユエを取材したこともあるばかりか、1975年のサイゴン陥落の生々しい現場も目撃している。戦争の最前線に身を置いた徳岡さんの目に見えたのは、単純に北ベトナムとベトコン(南ベトナム解放民族戦線)が「善」で、南ベトナム側は「悪」というような単純な構造ではなかった。
北ベトナムの攻勢で避難せざるをえなかった大量の南ベトナムの無辜の民たちの姿を、徳岡さんはしっかりと目に焼き付け、克明に記録している。そして、戦場においてこそ人間の聖も俗も赤裸々になる姿を目撃しているのだ。
徳岡さんは「戦争」について、こんな深い考察を「新潮45」に書いている。
「人類はアベルとカインの昔から、ずっと戦争をしてきた。なぜ、そんなにも戦ったのか。なぜ理性は闘争本能を抑えきれなかったのか。

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