TICAD-9で見えてきた「日本主催」の限界と「合理化」への道筋――インドやASEANとの共催はあり得るか
第9回アフリカ開発会議(TICAD-9)が、8月20~22日に横浜で開催された。日本でアフリカに関する事柄がニュースになることは稀だ。しかし、日本が主催者となって日本で数年に一度だけ開催する会議であることから、TICADには、それなりの関心が集まったようにも感じる。
それにしても毎回のことだが、あらためてこの会議の目的が問い直された。具体的な成果が見えないという突き放した見方と、貴重な価値があるという指摘とがある。効果に関する疑念もあるが、やめるわけにはいかない、というのが総意ではある。
ただ今回は特に、「JICAアフリカ・ホームタウン」交流事業が、ナイジェリア政府側で「移民」政策と受け止められていた節があったことが、大きな騒ぎを引き起こした。事実関係の整理から、イデオロギー対立の要素に至るまで、複雑な事情がありそうだ。いずれにせよ背景には、そもそもTICADが何のために実施されているのかに関する認識の不明瞭性があると言える。
本稿では、TICADの意義を、日本外交の観点からとらえ直すことを試みる。その際、過去30年間の国際社会の変動、特に日本とアフリカの国際社会における位置づけの変化を、視野に入れていくことになるだろう。それによって今後のTICADの行方を考察する糸口を見出したい。
「援助」から「経済進出」へ:TICADの歴史と変遷
1993年の立ち上げ時から日本が主催国となり国連が共催をする形で、1998年第2回から国連(特に国連開発計画[UNDP])、世界銀行、アフリカ統一機構(OAU)との共催になった。2003年第3回から日本政府・国連・UNDP・世界銀行・OAUの後継であるAUC(アフリカ連合委員会)の共催体制になり、現在に至っている。
「アフリカ開発のための東京国際会議」という名称で立ち上げられたが、2008年の第4回から、日本で実施の際には横浜で開催されてきている。パシフィコ横浜の巨大展示場を借り切って、テーマ別イベントと銘打った大量の付帯イベントが開催され、民間団体の展示ブースが設置されることが習慣化している。
ただし日本とアフリカで交互に開催される仕組みともなっており、2016年第6回はケニアのナイロビで、2022年第8回はチュニジアのチュニスで開催された。そのため日本での開催は、2019年第7回以来、6年ぶりであった。
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