「議論の本位」とは何か
福澤諭吉の『文明論之概略』(明治8年)は『学問のすゝめ』と並んで、福澤の代表的な著作であり、「日本の文明開化の決定的な礎石」(歴史家・神山四郎)と位置づけられている。福澤はこの書で、西洋の事情を紹介することを超えて、西洋と日本の文明を比較しながら、自国の独立と民心の伸張の重要性を説いた。その巻之一の第一章に「議論の本位を定る事」を掲げている。
軽重、長短、善悪、是非等の字は、相対したる考より生じたるものなり。軽あらざれば重ある可らず、善あらざれば悪ある可らず。故に軽とは重よりも軽し、善とは悪よりも善しと云ふことにて、此と彼と相対せざれば軽重善悪を論ず可らず。斯の如く相対して重と定り善と定りたるものを議論の本位と名く。都て事物を詮索するには、枝末を払て其本源に遡り、止る所の本位を求めざる可らず。(中略)議論の本位を定めざれば、其利害得失を談ず可らず。
福澤が引用文の前段で説いているのは、「価値判断の相対性」(丸山真男『「文明論之概略」を読む』岩波新書)であり、後段では、議論するにあたっては、何が本質的な問題なのか、何が優先されるべきかという「本位」を定めなければならないということである。私にとって政治を議論する際、この一文は常に肝に銘ずべき指針だった。
2023年に自民党の派閥の政治資金パーティー問題が発覚した。まず浮かんだのが、この問題を論ずる場合の「議論の本位」とは何か、ということだった。それは、派閥が主催した政治資金パーティーのパーティー券をノルマ以上に売った議員には還付(キックバック)し、それを政治資金収支報告書に記載しなかったというものである。キックバック分は「裏金」と呼ばれ、自民党の金権体質そのものであり、長い間の「派閥政治」のもたらしたものだと厳しく批判された。しかし、そうだろうか。
政治資金パー券問題の本質
「派閥政治」批判は自民党批判者にとっては「葵のご紋」になってきた。そう言われれば、誰も異を唱えられない万能薬みたいなものである。いち早く反応したのが当時の岸田文雄首相だった。支持率挽回のチャンスだと思ったのだろう。自民党内で議論することをまったくしないで、いきなり「派閥の解消」を打ち出し、自らの派閥である「宏池会」の解散を表明した。しかし、私には、ポピュリズム(大衆迎合)的発想であり、拙速としか映らなかった。そもそも政治資金パーティー問題はなにゆえ起きたのか。派閥とはどういう関係があるのか。さらには派閥の功罪とは何なのか。自民党結党以来、不祥事が起きるたびに派閥の解消が唱えられながら、なぜ派閥は存続しているのか。議論すべき論点は限りなくあった。そう考えると、派閥解消の是非は、パーティー券問題の処理とは切り離してじっくり議論すべき課題だったのである。そのことを新聞やテレビで、「政治資金パーティー券問題の本位とは何かをまず定めなければならない」と声を大にして訴えても、世の流れは派閥解消歓迎の方向に傾いていった。
そうした中で、この問題の本質をもっとも的確に論じたのが中北浩爾中央大学教授だった。中北氏は、雑誌『公研』(24年1月号)で大要次のように語った。
今回の問題を理解しようとしたとき、私は丸山真男の「無責任の体系」という議論を想起しました。メディアなどでは、この事件を「令和のリクルート事件」と呼ぶ向きがありますが、違和感を禁じ得ません。リクルート事件は贈収賄事件です。今回の政治資金パーティー券問題は、贈収賄ではなく、政治資金収支報告書への不記載です。安倍派が総裁派閥としておごり高ぶって裏金化を始めたのではなく、派閥幹部が既成事実を追認し、一般のメンバーは権限がないということで追従した、小さな悪の積み重ねの結果です。派閥解消があれだけ叫ばれてもなぜ派閥はなくならないか。その現実を直視する必要があります。集団が有機的に機能するには適正規模があって、40人から50人ぐらいまでです。それ以上になると、全ての人を相互に認識するのが難しくなります。政治学者は、政党本位をかざして党執行部への権力集中を是とし、派閥を否定する傾向が強いのですが、そもそも自民党のような多数の国会議員を抱える政党に党内グループが存在しないということは不可能です。
我が意を得たりとばかり、さっそく私の読売新聞のコラム「五郎ワールド」で紹介した。自民党の派閥については古典的な研究がある。読売新聞政治部記者、渡邉恒雄が1958年、わずか32歳で書いた『派閥―保守党の解剖』(弘文堂)である。この書は6年後、『派閥―日本保守党の分析』(同)として改訂版が出されるが、処女作は2014年、56年ぶりに同じ弘文堂から復刊された。
『派閥』の先見性
この書は、徹底した実証研究と理論的考察が見事に結実した、政治研究の一つのモデルと言っていい。表紙裏に掲げられたシュテファン・ツワイクの『ジョゼフ・フーシェ』からの引用は、政治とは何かについての著者の基本的な認識を示している。
「彼の知っている党はただ一つ、これまでも忠実だったし、死ぬまで忠実であることを変えない党、すなわち有勢な党、多数党である」
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