韓国映画『シルミド』の空前のヒットが語るもの

執筆者:城内康伸 2004年7月号
エリア: アジア

三十年以上、「韓国史上最大のタブー」といわれてきた事件の封印が解かれた。選挙にまで影響を及ぼした映画の衝撃度。

 韓国で千二百万人が見たという映画『シルミド』が六月五日、日本でも封切られた。映画は、韓国で三十年余りにわたってタブー視されてきたある事件を題材にしている。私は五月初旬、同じ事件をテーマとするノンフィクション『シルミド――「実尾島事件」の真実』を上梓したが、取材を始めた一年半前には、映画が空前のヒットを記録するなどとは予想だにしなかった。事件の封印を解いた映画は、韓国社会に今も大きな波紋を呼んでいる。
 映画の下敷きになったのは、一九七一年夏に起きた韓国の特殊部隊による反乱事件である。
 一九六八年、時の朴正熙政権は韓国中央情報部(KCIA)主導の下に北朝鮮潜入を目的とした極秘の特攻部隊を創設した。しかし、計画は実行に移されることなく、過酷な訓練に耐えかねた隊員は教官たちを殺害し、ソウル中心部へと攻め上がった。シルミドとは、部隊の訓練施設があった孤島、実尾島の韓国語読みである。映画では、反乱の原因は南北情勢の変化によって北朝鮮潜入計画が白紙となり、部隊の抹殺指令が出たためとされている。
 映画は韓国では昨年末に公開された。若者から中高年まで幅広い人気を集め、今年一月末に観客動員数は史上最多の八百三十五万人を記録した。その後も順調に記録を伸ばし、鑑賞可能な年齢(十五歳)に達した韓国民三人に一人が見た計算となる千二百万人を突破した。
 空前のヒットは、反乱した部隊の訓練兵に対する国民の同情を生み、「民族分断と対立が生んだ悲劇を治癒する道は、真実を明らかにし、同じ轍を踏まないよう教訓とすることだ」(ハンギョレ新聞)など、事件の真相究明を求める声が高まった。
「実尾島事件は朴正熙政権で起きた。この国家暴力と人権蹂躙という、父親が残した過ちをどう考えるのかを明らかにすべきだ」――韓国総選挙の告示直後である四月四日、与党ウリ党の金槿泰・院内代表(当時)はソウル郊外仁川沖にある実尾島を訪問し、同行したマスコミを前に力説した。
 発言の矛先は、故朴大統領の長女で、保守系野党ハンナラ党の朴槿恵代表だった。金槿泰氏の実尾島訪問は表向き、「事件の犠牲者を追悼するため」という理由だったが、映画の人気を利用して故朴大統領の娘を代表に据えたハンナラ党に痛撃を与える狙いがありありだった。
 ウリ党は二月には、実尾島事件の真相解明を求める調査委員会を党内に発足させ、映画に拍手を送る世論を早々と味方につける作戦に出た。ウリ党は昨年十一月、金大中前政権の与党だった民主党と袂を分かってできた。政界の世代交代をうたっており、「学生運動あがり」の人物も多く、改革・進歩色が強い。旧軍事政権下での悲劇を世に問う映画は、同党にとって格好の追い風だった。
 四月十五日に行なわれた総選挙では、それまで四十九議席しかなく弱小与党だったウリ党が、定数の半数を超える百五十二議席を獲得して第一党に躍り出た。ハンナラ、民主の両野党が三月、盧武鉉大統領の弾劾訴追案を強引に可決させたことに対する国民の反発が、ウリ党勝利の最も大きな要因だ。しかし、映画の大ヒットの影響も少なからずあったはずだ。与党は選挙で「シルミド・カード」を切ったのである。
 ウリ党の躍進は、軍事政権時代からの流れを汲む保守派と改革派の対立をいっそう深め、保守派の後退を進め、社会主義政党進出を後押しすることにもなった。総選挙では、労働組合を基盤とした民主労働党が初めて議会進出を果たしている。半面、金泳三元大統領、金大中前大統領とともに「三金」と呼ばれた大物政治家、金鍾泌氏は政界引退を余儀なくされた。
 金鍾泌氏が総裁を務めた自民連は比例選挙で議員獲得条件の三%の得票を得られず、金氏は落選した。金氏は実尾島部隊の生みの親であるKCIAの初代部長であり、反乱事件当時の首相でもある。映画が彼のマイナスイメージを増幅させたことは疑いない。

「国防機密」の厚い壁

 実尾島事件については、韓国月刊誌『新東亜』の九三年四月号が、部隊の元教官がその内実を明かした原稿を掲載したことがある。匿名で書かれた「実尾島対北浸透部隊の最後」という題名の寄稿は「金日成暗殺」という部隊の目的に触れず、国内でも大きな話題とはならなかったようだ。映画を製作した康祐碩監督は、この記事を読んで映画化を思い立ったという。だが、実現までには十年待たなければならなかった。
 記事が掲載された時期は、東西冷戦が終わり、文民出身の金泳三政権が発足して間もない時期だった。八八年から五年間続いた盧泰愚政権で民主化が進んだとはいえ、韓国社会には、まだこうした事件を公に論じることができる雰囲気はなかった。
 国内には北朝鮮に対する警戒感が強く残っていた。韓国紙『朝鮮日報』が九五年に実施した調査では、北朝鮮の方が韓国より軍事力で優るとの回答は全体の約六割に及び、金泳三元政権は、九四年七月に金日成主席が死亡した後、北朝鮮に対して強硬姿勢に傾いていった。
 実尾島部隊創設を主導したKCIAの後身の国家安全企画部(安企部)の国内での暗躍も続いていた。国民はなお安企部の影を恐れた。『新東亜』の記事が出た当時、部隊の関係者らは「大変なことになる」と安企部や国防当局による追及を懸念した、と私に証言している。
 だが、九八年の金大中政権発足で韓国の北朝鮮に対する見方や態度は大きく変わった。金大中政権は北朝鮮との和解・交流を促進する宥和政策「太陽政策」を進め、二〇〇〇年六月の南北首脳会談以後、北朝鮮は韓国の敵ではなくなった。韓国の研究機関が同年九月に行なった調査によると、成人男女の六三%が金正日総書記に「好感を持つ」と答えている。
 安企部は九九年には「国家情報院」と名を変え、金大中前大統領は「内政に介入し国民を監視、弾圧する組織から国際経済情報の収集などに重点を移す」と表明。民主的な情報機関に性格を変えた。
 韓国では、北朝鮮に密かに潜入し情報収集やテロ活動を行なう「北派工作員」が、九四年までに一万三千人余り養成されたといわれる。固く口を閉ざし続けることを強いられた北派工作員が、自らの体験を語り始めたのも金大中政権が発足してからのことだった。
 昨年に発足した盧武鉉政権は、金大中前大統領の「太陽政策」をさらに発展させる姿勢をとる。そして、親北・学生運動を擁護してきた人物を国家情報院のトップに任命するなど、改革・進歩色の強い人物を政府要職に多数起用している。
 こうして振り返ると、韓国社会の変化が、映画『シルミド』製作の環境を整えたといえる。政治状況の変化で「暗い過去を直視しよう」という社会の雰囲気が生まれ、南北分断の悲劇を描いた映画が共感を呼んだのだろう。

国家は俺たちを放っておいた

 私は二〇〇二年晩秋から実尾島部隊についての取材を開始したが、目の前には常に「国防機密」という厚い壁が立ちはだかった。政治家や世論の関心もまったくなかった。取材関係者からは「日本人がなぜ?」という質問を必ずといっていいほど受けた。それでも、六十人余りの人々が証言してくれた。それは今だからこそ、のことだったろう。十年前では、取材はほぼ不可能だったと思う。
「四月に黄碩宗が死んだ」――拙著が出版されてまもない五月初め、実尾島部隊の元警備兵から連絡があった。
 黄碩宗氏は、部隊の訓練兵が武装蜂起した事件当日、島内に残っていて九死に一生を得た隊員の一人だ。空軍除隊後は、反乱事件当時の恐怖感が消えずに精神不安定となり苦しんでいた。近年は生まれ故郷の済州島で個人タクシー運転手として生計を立てており、昨年三月に初めて会った時、「故郷の美しい景色を写真に撮るのが道楽」だと言って、人なつっこい笑顔を見せたのが印象的だった。二度にわたる取材に加え、電子メールによる質問にも丁寧な返信をもらった。
「あんたの本を黄碩宗の遺族にも送ってやってほしい」。それが、元警備兵がよこした電話の用件だった。取材関係者には郵送したはずだったが、黄碩宗氏がうっかり抜け落ちていた。元警備兵は「遺族が、部隊にいた証を残しておきたいそうだ」と言う。さっそく拙著を送った。
 黄碩宗氏の最期を看取った元警備兵によると、昨年秋に肝臓癌がみつかった。亡くなる直前、「このまま死ぬのはやりきれない。あまりにも長い間、国家は俺たちを放っておいた」と病床で涙をこぼしたという。享年五十四だった。

しろうち・やすのぶ●早稲田大学法学部卒業。一九九三年から九六年まで東京新聞(中日新聞)ソウル特派員、二〇〇〇年から二〇〇三年十月まで再びソウル特派員、支局長を務めた。現在は、東京新聞社会部デスク。『シルミド――「実尾島事件」の真実』は宝島社より刊行。

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執筆者プロフィール
城内康伸 1962年、京都市生まれ。早稲田大学法学部卒。1987年、中日新聞入社。東京新聞(中日新聞東京本社)社会部で警視庁捜査二課を担当、サブキャップなどを務める。1993~1996年、2000~2003年、ソウル特派員、同支局長。その後、社会部デスク、北京特派員、外報部デスクを経て、再びソウル支局長、北京特派員に。現在、東京新聞(中日新聞)外報部編集委員。著書に『昭和二十五年 最後の戦死者』(第20回小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞)、『シルミド―「実尾島事件」の真実―』『猛牛(ファンソ)と呼ばれた男―「東声会」町井久之の戦後史―』、『金正恩の機密ファイル』など。
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