時勢柄キナ臭いテーマだが、アフリカとつきあうなかで考え続けてきたテーマでもある。
アフリカ大陸の国境線がなんだか変であることには、近代アフリカ史を勉強し始めると誰もが途端に思い至る。その理由を、19世紀末のベルリン会議でアフリカが植民地分割された経緯から知るのである。つまり、アフリカの国境線はもともとは植民地分割線であって、アフリカ人の社会とも国家とも関係ないのだ。サブサハラ・アフリカで最初に独立を勝ち取ったガーナのンクルマ初代大統領は、こんな国境は全廃して「アフリカ合衆国」を作ろうと主張していた。パンアフリカニズムである。アフリカ合衆国構想は早々に挫折したが、現在のアフリカ連合の前身「アフリカ統一機構」は、パンアフリカニズムへの配慮から「統一」の名を残していた。

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