「悔い」を糧に生き抜く
世代を超えた2人の物語
本書に「著名人の先祖について調べるテレビ番組」が出てくるが、実際に放送されている当該番組を見ると、人間の運命の不思議を感じずにはいられない。わたし自身、祖父母よりもさかのぼった先祖のことはよく知らない。でも先祖がいたから、今自分は生きている。それだけは確かだ。
本書は、明治生まれの馬橋(うまはし)清作と、100年の時を隔て現代に生きる清作の曾孫・あさひの物語を交互に描いていく。清作はもちろんだが、あさひも曾祖父のことは名前くらいしか知らない。決して出会うことのない2人は、どこか生き方が似ている。
幼い頃から争い事が苦手な清作は、いずれ兵役に服することを恐れていた。中学校の教師だった清作の父は、ロシヤの戦役に出征し、帰国後に亡くなった。家のために志願して行った戦争だったはずが、変わり果てた姿で戻った父を蔑(さげす)んだ身内の態度に、清作は「徴兵逃れ」を決意する。
公立中学校の教師になりたい娘のあさひと、多忙な教職に就く娘を心配する両親の気持ちがぶつかり合う。激務とわかりながら社会科の教師を目指す理由は、あさひが中学時代に出会った在日コリアンの転入生にあった。
日露戦争後、朝鮮から日本にやってきた隣人たちの多くは、炭鉱や工場などで働いた。彼らは日本の産業を支えたが、一方で母国語の教育を禁じられ、出自の差別を受け続けた。あさひが出会った転入生もそうした先祖を持つ1人だった。
故郷から逃げ、鍛冶職人として働いていた清作の元にも追っ手が来るが、彼を救ったのも朝鮮から渡ってきた女性だった。
朝鮮との関わりは、清作、あさひにとって偶然の出来事だった。その偶然が2人の生き方、運命を定めていく。
徴兵逃れした清作も、クラスメイトから差別を受けた転入生に何も言えなかったあさひも、その時はそれしかできなかった。一旦心に刺さった「悔い」は抜けない。
でもどれだけ苦しくても「悔い」は抜いてはいけないのだ。過去を直視し、これからを考える分岐点として共に生きていく。それを、読みながら痛切に感じた。
本書で清作がもっとも辛い場面で朝を迎えたときにこう言う。
「おお、おお。日の出じゃ」
どんなときも日は昇る。今は過去となり、今は未来へと繋がっていく。
まぶたの裏に日の出のまぶしさが残る。今を生きる実感をかみしめ、心をあらわれる思いがした。

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