Bookworm (51)

馳 星周『ゴールデン街コーリング』

評者:杉江松恋(書評家)

はせ・せいしゅう 1965年北海道生まれ。96年『不夜城』で小説家としてデビュー。近著に『アンタッチャブル』『陽だまりの天使たち ソウルメイトⅡ』など。

著者初の“自伝的小説”
酒場を舞台に密度の高い青春劇

 大人になることには痛みが伴う。
 アルコールはそれを和らげてくれる。しかし酒は、心を責め立てる危険な敵になることもあるのだ。馳星周『ゴールデン街コーリング』は、20歳の視点から全国有数の繁華街・新宿歌舞伎町、その中でも特筆すべき場所であるゴールデン街を描いた密度の高い青春小説だ。
 北海道生まれの坂本俊彦は、故郷にいるときからゴールデン街に憧れを抱いていた。冒険小説の書評家でもあるコメディアンの斉藤顕が、その地で小説好きの客が集う酒場〈マーロウ〉を開いていたからだ。大学に合格して上京した坂本は、同店でアルバイトを始める。しかし酒場の現実は彼を幻滅させた。斉藤は酒乱で、小説を読んでは吐く高尚な言葉とは裏腹に、エゴイストの顔を剥き出しにして周囲の人間を傷つける。
 本書は作者初の自伝的作品である。誰もが気づくように斉藤顕のモデルは、ゴールデン街に今も存在する〈深夜+1〉を開いた故・内藤陳だ。同店で働いていたことがきっかけになって馳は文筆活動を始め、1996年には『不夜城』を書いて小説家としてデビューする。冒険小説のロマンに憧れたはずの青年が、なぜ正反対の犯罪小説を書いて作家になったか、という問いへの答えも本書には含まれている。全篇が一つの小説論にもなっているのだ。
 馳は題材に適した文体を毎回選択する作家であり、本書でのそれは、傷つきやすい若者の心を代弁するかのように優しく、そして熱い。女性をデートに誘う場面のいじらしさ、裏切りにあって自暴自棄になった主人公の痛々しい姿など、この文体だからこそ映える場面が随所にある。
 さらに馳は、ミステリー的な興味を読者のための導線として本書に盛り込んだ。坂本が情報を求めて街を歩き回るのは、私立探偵小説のプロットを借用しているのである。アメリカ作家フレドリック・ブラウンにThe Fabulous Clipjoint(素晴らしい安酒場)という長篇がある。邦題は『シカゴ・ブルース』。父を殺された青年が犯人捜しを通じて成長していくという内容だが、その原題は本書にこそふさわしい。酒場そのものが主役ともいえる小説である。
 理不尽な斉藤は清濁両面を持ち合わせた大人の象徴であり、坂本が真の意味で子供時代から脱却するためには彼という壁を乗り越えなければならない。安ウイスキーの臭い漂う酒場の片隅で、静かにその闘いが繰り広げられるのだ。かつて同じように壁を越えた、すべての読者に。

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