列強は「開国」以来、徳川幕府・大君と条約をとりむすんだ。それなら条約を履行する責任も、もっぱら大君の政府が負うはずである。ところが幕府は、条約を調印するにあたって勅許を申請し、外交権の独占を自ら否定してしまった。いわば内外整合しない行為である。
「二重」の一元化
こうした事態の根柢には、かつてマシュー・ペリーも記し、列強の外交を主導した初代イギリス駐日公使ラザフォード・オルコックも言及する、日本の「二重」の政体が作用していた。「皇帝」がふたり存在したばかりではない。「聖職的」「精神的」でしかなかった天皇が、にわかに「世俗的」「政治的」な力量をもちはじめたのである。
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