
撮影年不詳ながら、義江との離婚、独り立ちを決意した頃のあき(自伝『ひとり生きる』(ダヴィッド社、1956年より)
その知らせは、NHKの演芸班にかかってきた1本の電話でもたらされた。
昭和34(1959)年2月、日本文芸振興会が主催する第7回菊地寛賞を『私の秘密』が受賞した。
菊池寛賞はもともと文芸や映画などに送られてきた賞であったが、時代である。テレビというメディも選考対象となり、『私の秘密』が選ばれた。
その知らせをプロデューサーの樋口徹也が聞いたのは、名古屋だった。NHK名古屋放送局が開局目前となり、『私の秘密』の公開生放送を行うための下準備に来ていたところだった。

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