安全保障にも直結「ワクチンナショナリズム」を傍観する日本

執筆者:鈴木一人 2021年2月12日
インドネシアでは、中国製ワクチンが使われている (C)AFP=時事

 

 昨年1月に日本で最初の感染者が報告され、それ以降、拡大し続ける新型コロナウイルス感染症。全世界では1億人以上が感染し、230万人以上が亡くなっている。

 なかでも先進国ではアメリカやイギリスなど、感染症研究の先端と言われた国々で多数の死者(アメリカ46万人以上、イギリス11万人以上)を出しており、感染が拡大するたびにロックダウンなどの厳しい措置を取らざるを得ない状態になっている。

 そんな中で、希望の光となっているのがワクチンである。これまでの開発法ではなく、ウイルスのmRNA遺伝子を改編するという手法を使って、通常なら数年から十数年かかるようなワクチン開発を1年かからずに成し遂げた。

 しかもその有効性が90%を超える高いものであり、感染する可能性についても相当程度低くなれば、これまでのような強度の高い、ロックダウンのような措置を取らなくても、新規感染者数を低下させ、実効再生産数(1人の人が何人に感染させるか)を1以下に減らすことができるようになるため、感染の収束を一気に早めることが期待されている。

 世界中に感染が広がるパンデミックであることは、世界中がワクチンを求めることを意味する。しかし、ワクチンは民間企業が多額の投資を行って開発し、大幅な生産能力の増強にも費用をかけている。そのため、希少性の高いワクチンを獲得する競争が起こるのは市場経済の不可避的な作用であり、その結果として一部の国にワクチンの配布が偏ることになってしまう。

 ところが、一部の国でワクチンが接種され、感染が収まったとしても、他の国で感染が拡大してウイルスが変異すれば、ワクチンの効かないウイルスとなって、再度変異株が輸入され、感染がぶり返す可能性ももちろんある。ゆえに、ワクチン接種が1国で完了しても、それは感染が完全に収束したことを意味しない。

COVAXという枠組み

 こうしたワクチンを国際的に公平に分配するため、ワクチンと予防接種を推進する官民協力枠組みであるGAVIアライアンスや、世界保健機関(WHO)などが共同で新型コロナワクチン分配のために立ち上げたのが、「COVAXファシリティ」と呼ばれる枠組みである。これは先進国などの豊かな国が資金を提供し、ワクチンを共同購入して、貧しい国々に分配するというものである。2020年12月時点で190カ国が参加しており、ファイザー社やアストラゼネカ社(インドの会社がライセンスを受けて生産するものを含む)のワクチンを共同購入することになっている。

 2月3日時点では、COVAXに提供されたワクチンは合わせて3億3720万回分であり、これを2021年の第1四半期に各国に分配する予定である(詳細はこちらの表を参照)。

 分配は人口に比して配分される。人口1.6億人のバングラデシュには1280万回分であるが、人口700万人のラオスには56万回といった形である。だが全体を見るとワクチンの配分を受ける145カ国の人口の3%しかカバーできず、当然ながら、これではワクチンによる集団免疫を形成し、感染症を収束させることは難しい。

「ワクチンナショナリズム」の誕生

 このCOVAXにおけるワクチン供給の少なさは、ワクチン生産が追い付かないために起きた現象というだけではない。一言で言えば、豊かな国が自国でのワクチン接種を推進するため、大量のワクチンを確保しているからである。

 デューク大学の統計によれば、EU(欧州連合)は全体で15億回分、アメリカは12億回分、イギリスは4億回分、カナダは3億3千万回分、日本は3億1000万回分の契約を成立させている。これはあくまでも契約数であり、製造されたワクチンは契約のタイミングや内容によって順番が前後するため、これらのワクチンを全て入手しているというわけではない(日本はまだワクチンの認可が下りていないため、接種は始まっていない)。

 これに対し、途上国ではCOVAXを通じた配分しか期待できず、比較的豊かな国々、例えば南アフリカ共和国やウクライナであっても、それぞれ150万回分、180万回分の契約しかなされていない。

 このようなワクチンの配分の偏りには、豊かさとともに、ワクチンへの期待や認識の違いもあると考えることができよう。アメリカや欧州各国では感染の爆発的拡大を抑えられず、罰則付きのロックダウンを実施し、多くの倒産や失業を生み出し、経済支援に巨額の資金を要した。

 特に欧州では、数度にわたるロックダウンによって経済的な疲弊は激しく、このまま感染が収まらなければ、倒産件数の上昇や失業率の高止まり、マイナスの経済成長が続くことになる。それを避けるためにもワクチンしか出口がなく、国民の間でもワクチンに対する期待は大きい。アメリカにおいても、「ワクチンチェイサー(追っかけ)」と呼ばれる、予約なしでもワクチンが接種できる場所を探して移動し続ける人がいるなど、期待感は非常に高い。

 しかし、欧米においてはそれだけ需要が高いにもかかわらず、ワクチンの供給が不足しており、それにより政府に対する不満が高まっている。特にファイザー社のワクチンはマイナス80度という低温での保管が必要で、一度接種するために室温に戻すと、限られた時間の中で接種しなければ有効性が失われるため、ワクチン接種の手順が混乱している際には、ワクチンを余らせ、廃棄せざるを得なくなったということもあった。

 このような状態で、各国は自らの国内需要に対応してワクチンを供給する圧力を強く受けており、国内での接種分をCOVAXなどの国際的な枠組みに回すことが非常に難しい状況にある。豊かな国々は、まずは自国の接種を進めるべく、大量のワクチンを確保するための契約を結んでいるのである。これが「ワクチンナショナリズム」と言われる現象を生み出しているのである。

浮上したワクチンの「北アイルランド問題」

 この「ワクチンナショナリズム」の中でも、様々な政治的思惑が重なって混乱を極めたのがEUの状況であった。

 EUは各国間のワクチン争奪戦を統制し、公平にワクチンをいきわたらせるため、また、この機に乗じて国際保健外交や危機管理における権限強化を目指すため、ワクチンの一元的管理を主張した。また、欧州委員長に就任してから、イギリスのEU離脱(ブレグジット)などにかかりきりで、十分な成果を挙げられていないウルズラ・フォンデアライエン委員長の個人的な思惑もあったであろう。いずれにしても、EUが製薬会社と交渉し、ワクチンを確保する役割を担うこととなった。

 しかし、EUの執行部である欧州委員会は、これまで製薬会社との交渉経験が乏しく、国際的なワクチン調達には慣れていなかった。そのためEUは、アストラゼネカ社が契約通りにワクチンを供給できないとの連絡を受けると、烈火のごとく怒り、そして慌てふためくこととなった。イギリスの製薬大手であるアストラゼネカがイギリスへのワクチン供給を安定して行っているのに、EUに対しては供給不足にしているのは、あたかもブレグジットによってイギリスがEUから離脱したために、嫌がらせをしているかのような受け止め方がなされていた。

 実際は、欧州委員会の官僚制的手続きにより、ワクチン供給が不足している場合の措置を講じていなかったことや、その他の契約上の不備が指摘されており、フォンデアライエン委員長の指導力の問題として見られている。そのこともあり、EUは域内で生産されたワクチンの域外輸出を禁じ(日本など一部契約に基づく輸出は許可している)、域内で生産されたワクチンを独占して域内での供給に回すと判断した。これは典型的な「ワクチンナショナリズム」であるとして批判されている。

 さらに、フォンデアライエン委員長は他の委員や加盟国に相談することなく、英EUの離脱協定における北アイルランド議定書の第16条を起動させたということで批判を浴びている。

 これは、イギリスがEUを離脱する際に、アイルランドと地続きの北アイルランドはEUのルールが適用される地域として扱い、アイルランドと北アイルランドの国境管理を行わないという議定書だが、第16条には、社会的な安定のために国境管理を実施することもある、という条項が入っている。当初は第16条を起動せず、北アイルランドにもEUからワクチン供給を行うという予定であったが、フォンデアライエン委員長は独断で第16条の起動を判断し、この点も物議をかもしている。

中国・ロシア・インドの戦略的輸出先

 このように先進各国が「ワクチンナショナリズム」に走り、途上国とのワクチン格差が明らかになる中、途上国に積極的にワクチンを輸出している国々がある。それが中国・ロシアとインドである。

 中国とロシアは自国で開発したワクチンを国内に配分すると同時に、ワクチンのアクセスに苦しんでいる国々に提供している。デューク大学のデータベースによると、中国はタイに200万回分、ミャンマーに30万回分、カンボジアに100万回分に加え、ベトナムやインドネシアなどの東南アジア諸国、セルビアやハンガリーなどの欧州各国、ブラジルやアルゼンチンの南米諸国などに対し、戦略的にワクチンを輸出している。ロシアもカザフスタンやウズベキスタンなどの旧ソ連諸国、ハンガリーやセルビアなどの旧共産圏諸国、ベネズエラやボリビア、ブラジルなどの南米諸国にも輸出している。また、つい先日イランへの輸出も行ったところであり、中東地域にも進出している。

 それに対し、インドはジェネリック薬品の製造経験や高い技術力を活かし、アストラゼネカ社のワクチンをライセンス生産するCovishieldと、地元のバーラト・バイオテック社が開発したCovaxinというワクチンを生産している。このうちCovaxinはブラジルなどに輸出されており、CovishieldはCOVAXなどに提供されている。インドは中露ほど明確に戦略的な輸出を行っているわけではないが、ブータンやネパール、スリランカやセイシェル、バングラデシュといった近隣諸国に輸出し、自らの影響力を強める意図を感じさせる。

製薬にも「護送船団方式」の弊害が

 このように、今やワクチンは単なる感染症対策のツールとしてだけでなく、国民の期待に応え、国際的な影響力を行使する手段となっている。

 一方日本は、いくつかの民間企業や大学がワクチン開発に取り掛かっているが、2月から接種が始まるワクチンは全て外国産であり、また、各国と比べても承認のスピードが非常に遅い。国内では緊急事態宣言が発令されており、ワクチンに対する懐疑的な見方もあることから、欧米諸国と比較するとあまりワクチンを求める圧力は強くないが、それでも日本のワクチン戦略の欠如に不安を持つ人も多いであろう。

 日本は欧米諸国と比較して製薬会社の規模が小さく、研究開発に対する投資額は極めて小さい。さらには、政府が支援する新規感染症対策のためのワクチン開発に向けての研究開発費も、欧米諸国と比べると少ない。日本の場合、これまで感染症対策は日本国内の問題というよりも途上国における感染への対処という「国際協力」の枠組みで捉えられることが多く、自国の戦略的手段としてのワクチンという位置づけはしてこなかった。

 さらに、日本の製薬会社は厚生労働省の規制の下に「護送船団方式」でビジネスを行うという産業政策が染みついており、危機時に機動的にワクチン開発を行うという態勢が取れていなかった。その背景には、少子高齢化が進む中で日本の製薬市場が縮小しており、将来に向けてのワクチン開発の技術基盤を維持する余裕がなく、また、「護送船団方式」によって輸出による市場拡大のインセンティブが低かったということもあるだろう。

 こうした中で、日本は将来に向けて、どのようなワクチン戦略をとっていくべきなのだろうか。国民の生命に関わる問題で、各国が露骨に「ワクチンナショナリズム」を前面に出して国益を主張する中、日本は「国際協力」という枠組みだけでワクチン戦略を考えていて良いのか。今回の新型コロナ対応をめぐる問題は、感染症にとどまらない、より広いリスクと安全保障の問題に関する問いを投げかけている。

 

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執筆者プロフィール
鈴木一人(すずきかずと) すずき・かずと 東京大学公共政策大学院教授 国際文化会館「地経学研究所(IOG)」所長。1970年生まれ。1995年立命館大学修士課程修了、2000年英国サセックス大学院博士課程修了。筑波大学助教授、北海道大学公共政策大学院教授を経て、2020年より現職。2013年12月から2015年7月まで国連安保理イラン制裁専門家パネルメンバーとして勤務。著書にPolicy Logics and Institutions of European Space Collaboration (Ashgate)、『宇宙開発と国際政治』(岩波書店、2012年サントリー学芸賞)、編・共著に『米中の経済安全保障戦略』『バイデンのアメリカ』『ウクライナ戦争と世界のゆくえ』『ウクライナ戦争と米中対立』など多数。
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