医療崩壊
医療崩壊 (48)

コロナ変異株危機に「ゲノム医学」専門家を投入せよ

執筆者:上昌広 2021年4月5日
エリア: アジア
臨床研究が進まずコロナ研究では「三流国」に   (c)時事通信フォト

日本に大きなダメージを与えたのは、やはりPCR検査抑制政策だったのではないか。ワクチン接種でも「一人負け」が続く中、その歴史的原因と状況打開の道筋を考える。

   新型コロナウイルス(以下、コロナ)の感染が拡大し1年が経過した。世界と比較して、  日本の対策はどう評価できるだろうか。本稿で論じたい。

   新型コロナウイルス(以下、コロナ)対策の主たる目的は国民の生命を守り、経済を維持することだ。これは、人口あたりの死者数と国内総生産(GDP)の変化を用いれば国際比較が可能になる。

   まずは日本だ。2020年の人口10万人あたりのコロナによる死者数は2.6人、GDP対前年比はマイナス4.8%だった。前年の2019年のGDPは0.3%の増加だったから、差し引きマイナス5.1%の影響となる。本稿では、この値を「GDP変化率」と定義する。

 

   諸外国はどうだろうか。表1にG7諸国との比較を示す。死亡数がもっとも多いのはイタリアで122.7人、日本の47.2倍だ。もっとも少ないドイツ(40.3人)でも日本の15.5倍となる。欧米先進国の死者数は桁違いだ。

   一方、経済ダメージは、死者数ほどの差はない。もっともダメージが軽微なドイツになると「GDP変化率」はマイナス5.5%で、日本(マイナス5.1%)と大差ない。

   このように考えると、日本の特徴は、死者数の抑制にはある程度成功しつつも、経済ダメージは深刻と言えそうだ。「日本型モデルの成功」と手放しで褒めることはできない。

 

   このことは東アジア諸国と比較した場合、顕著になる。表2をご覧いただきたい。「GDP変化率」も死者数も、日本は東アジアでもっとも悪い。

   東アジアで特記すべきは台湾だ。徹底した水際対策を実施して、国内へのコロナの侵入を許さなかった。驚くべきことに「GDP変化率」はプラス0.3%だ。コロナ流行下で経済成長が加速したことになる。

   コロナ流行当初、「感染対策と経済対策はトレード・オフの関係にある」という主張が繰り返された。日本政府は経済を維持するため、渡航制限や緊急事態宣言などの発令が遅れた。今から振り返れば、この対応は経済的に合理的ではなかったようだ。むしろ、コロナ流行下での最大の経済対策は感染対策である可能性が高い。

 

   このことは北欧の経験からも言えそうだ。表3をご覧いただきたい。注目すべきはスウェーデンだ。この国は集団免疫獲得を目指して感染対策を緩和した。ところが、スウェーデンの「GDP変化率」はマイナス4.2%で、ノルウェー(マイナス1.6%)より悪く、フィンランド(マイナス4.2%)と同レベルだ。感染を恐れた多くの国民は、政府の方針に従わず、経済活動を自粛したことになる。

重視すべきは「感染者数あたりのPCR検査数」

   では、日本は何をすべきだったのだろうか。国民が不安に陥ったのは、地域でコロナが流行しており、自らがコロナに感染するかもしれないと考えたからだ。国民が知りたかったのは、コロナの正確な流行状況だ。

   コロナ感染はPCR検査で診断される。地域の正確な流行状況を知るには、無症状者も含めて多くの人に検査しなければならない。ところが、日本政府は「PCR検査は1%程度の偽陽性があり、過って隔離すれば甚大な人権侵害を引き起こす」「PCR検査数を増やせば、医療が崩壊する」などと主張し、検査数を抑制した。私が知る限り、このような対応をした国は日本だけで、状況は現在も改善されていない。

 

   表4は、コロナ第3波真っ最中の昨年12月の人口10万人あたりのPCR検査数を示す。日本は1007件で、PCR検査件数が公表されていないカナダを除き、G7諸国で最下位だ。日本についで少ないドイツの約7分の1である。ちなみに、日本のPCR検査数はアジア諸国と比べても少ない。韓国(2040件)の約半分だ。

   日本では欧米の事例を引き合いに、PCR検査を増やしても意味がないという人がいる。例えば、昨年11月25日の衆議院予算委員会で田村憲久厚生労働大臣は、「アメリカは1億8000万回検査しているが、毎日十数万人が感染拡大している。(中略)アメリカ、ヨーロッパでは、日本以上に検査を行っているが、感染拡大は日本以上に起こっている」という旨を答弁している。

   これは的外れだ。世界でPCR検査数を評価する場合、重視されるのは感染者数あたりの検査数だ。昨年12月2日には、医療政策研究のトップ・ジャーナルである『ヘルス・アフェアーズ』誌が「第1波ではPCR検査体制の強化が各国での流行を抑制した」という論文を掲載し、感染者数あたりのPCR検査数を増やすことが、有効性が証明された唯一の対策と結論している。

   必要なPCR検査数は、感染拡大の状態によって異なる。感染者数あたりのPCR検査数を増やすということは、より多くの無症状感染者を検査することになる。コロナ感染の抑制に貢献するのは当然だろう。ちなみに、韓国は38.6件、台湾は131.5件だ。表4には示していないが、ニュージーランドは1265件、オーストラリアは2465件、中国は6262件(中国は昨年7〜12月、それ以外は昨年12月の数字)だ。コロナ感染制御に成功している国の感染者数あたりのPCR検査数は、日本とは桁違いだ。

   繰り返すが、コロナ感染はPCR検査によってしか診断できない。検査を抑制すれば、感染の実態はわからず、国民は不安になる。逆もまた然りだ。PCR検査数を増やすことで、過度な自粛を避けることができる。厚労省のPCR抑制政策は、日本経済に大きなダメージを与えた可能性が高い。

日本にワクチン開発ができない「本当の理由」

 

   問題はこれだけではない。PCR検査をしなければ、コロナ感染者を同定できず、患者がいなければ臨床研究は進まない。図1をご覧いただきたい。昨年12月28日現在、OECD(経済協力開発機構)加盟諸国および中国が発表したコロナ論文数を示している。日本は13位。G7では最下位だ。人口あたりの論文数では、スロバキア、ラトビア、メキシコ、中国についで下から5番目だ。コロナ研究の領域では「三流国」と言わざるを得ない。

 

   ツケを払うのは国民だ。例えば、ワクチン接種だ。コロナ感染を収束させるには、多くの国民にワクチンを接種し、集団免疫を獲得するしかない。世界は猛烈な勢いでワクチン接種を進めている。図2をご覧いただきたい。ここでも日本の一人負けだ。

 

   なぜ、こうなるのか。それはコロナワクチンが「最先端科学の結晶」とも言える存在で、日本には開発力がないからだ。表5はコロナワクチンの開発に成功した企業・機関と、その本拠が存在する国を示す。アメリカ、中国、イギリスなどコロナワクチンの開発に成功した国からは多数の論文が発表されている。コロナ研究の裾野が広いことがわかる。

   これには長い歴史的な経緯も影響する。ビオンテックが存在するドイツを除き、ワクチン開発に成功した国は第二次世界大戦の戦勝国だ。ワクチン開発が軍隊と密接に関係していることが影響しているのだろう。

   余談だが、戦前、日本から北里柴三郎、志賀潔、野口英世など一流の細菌学者が生まれたのは、日本陸軍と密接に連携した伝染病研究所(伝研)が存在したからだ。伝研を創設したのは北里で、志賀と野口は伝研で細菌学を学んだ。戦前、伝研はワクチンや抗血清の研究、開発、検定、販売を独占した。戦後、この独占体制を嫌った連合国最高司令官総司令部(GHQ)が伝研を分割し、現在の国立感染症研究所(感染研)と東京大学医科学研究所となる。その後、日本の感染症研究はゆっくりと衰退する。

   話を世界に戻そう。現在、世界のワクチン市場は米ファイザー、メルク、英グラクソ・スミスクライン、仏サノフィなどのメガファーマの寡占状態だ。敗戦国のドイツ、日本からは世界的ワクチンメーカーは育っていない。このような歴史的経緯を知ると、日本が置かれた状況は厳しく、「日本でのワクチン開発、治験など現実離れした話(本庶佑・京都大学特別教授)」というのも頷ける話だ。

mRNAワクチンを支えるのは遺伝子工学

   ただ、やりようはある。注目すべきは、mRNAワクチンを開発した独ビオンテックだ。この企業は、もともとはmRNAを用いたがん治療ワクチンを開発するバイオベンチャーだった。がん研究や遺伝子工学の専門家が主導する。2018年には、この技術をインフルエンザワクチンに応用する研究開発に着手しており、コロナ流行後はコロナワクチンの開発に参入した。その後の展開はご存じの通りだ。米ファイザーと連携して臨床開発に成功し、現在、ワクチン開発では一人勝ちと言っていい。

   患者それぞれの遺伝情報に基いた治療法を「個別化医療」という。主にがん治療を中心に発展した。ビオンテックは、がん治療ワクチンの開発で培ったノウハウを、コロナワクチンに応用し、成功した。

中村祐輔氏   (c)時事

   実は、個別化医療の分野をリードするのは日本人だ。昨年、米メディアは、個別化医療の開発に貢献したとして、中村祐輔・がん研究会がんプレシジョン医療研究センター所長・東京大学名誉教授をノーベル生理学医学賞の最有力候補として紹介した。

   私は、中村教授のような人物を、もっとコロナ対策の司令塔に「活用」すべきと考える。中村教授のようなゲノム医学の専門家は、喫緊の課題である変異株対策においても重要な役割を果たすはずだ。

   変異株対策の中核はPCR検査とシークエンス(遺伝子配列の解読のこと)だ。ところが、この分野でも日本は見劣りする。米バイデン政権は2月17日、「頭金」として2億ドルを投じ、シークエンス能力を現在の月7000件から週2万5000件に強化すると表明したが、現在、日本で検査できるのは最大で800件/週だ。これでは変異株が蔓延していても、認識できない。日本には、中村教授らが培った十分なシークエンス技術があるが、現状では上手く活用できていない。このままでは、日本国民は益々、コロナの流行を不安に感じ、経済は委縮しつづける。

   コロナ克服を目指し、各国は総力戦を展開している。その中心は科学力だ。日本のコロナ研究体制は、ゼロベースで見直すべきである。

カテゴリ: 医療・サイエンス
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執筆者プロフィール
上昌広 特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。
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