ウクライナ「銃後の砦」リビウの薄氷の「平穏」

執筆者:村山祐介 2022年4月8日
避難民と支援物資が行き交うウクライナ西部リビウ。いわば銃後の砦であるこの街では、人々が深い悲しみや憤りを内に抱えながら辛うじて「平穏」を保っている。ジャーナリストの村山祐介氏が取材した。

 

 ウクライナ西部の比較的戦禍の少ないリビウは、東部から避難してきた人たちと、欧州などからの支援物資が行き交う交通と物流の要衝だ。

リビウ中央駅=3月23日、ウクライナ西部リビウ(撮影:村山祐介)

 オーストリア・ハンガリー帝国時代の20世紀初頭に建てられ、欧風の装飾が随所に配されたリビウ中央駅。欧州への玄関口となってきたこの駅には侵攻直後から、戦地から欧州へ逃れる人々が殺到した。

 私が訪ねた3月下旬には落ち着きを取り戻していたものの、ポーランド行きの疎開列車はなお空席待ちで、薄暗い通路に女性と子どもら数十人の行列ができていた。駅員が「立ち席のみ15人」と声を張り上げると、赤ちゃんを抱いた母親が足早にプラットホームに向かった。

 ウクライナ鉄道によると、西方へ疎開する人は侵攻直後に一日19万人に達したが、いまは4万人ほど。一方で、様々な事情を抱えて戦地に近い東方へ戻る人の姿も目立つ。

「息子が気を病んじゃった」と話した老婆

 炊き出しのテントが並ぶ駅向かいの広場で、ベンチに座っていた老婆もその一人だった。

 ロシア国境に近いウクライナ第2の都市で、激戦地となった北東部ハルキウから逃れていた。

「息子が気を病んじゃったから、今から列車で家に戻んなきゃいけなくなったんだわ。お金もないっていうから、私が面倒みなきゃ」

これから激戦地ハルキウへ戻ると涙ながらに語るエカテリーナ・デミドコ=3月23日、ウクライナ西部リビウ(撮影:村山祐介)
 

 エカテリーナ・デミドコ(68)はそこまで一気に話すと、下唇をかみ、ハンカチで涙をぬぐった。地元に残った息子が連夜の空爆のストレスが重なって、正気を失ったのだという。妻や15歳の息子と一緒だが、電気も水道も止まったまま。街の出入り口に位置する家はロシア軍の支配下にあり、戦車が配置されている。

「うちが最前線になっちゃった」

 住民避難用の「人道回廊」を利用するのか尋ねると、力なく言った。

「ロシア軍は撃ち続けているんだから、危険に変わりはないのよ」

 東部ルガンスク州から逃れた店員アンナ・ゴゴレバ(40)も、幼い子を連れて東方に戻る列車を待っていた。

 激しい空襲で2週間も地下室暮らしを余儀なくされ、爆撃のたびに夫が子どもに覆いかぶさった。意を決して近所の母子ら約30人で6台に分乗して脱出したが、体の自由が利かない父、怖くて地下室から出られない母とともに夫は地元に残っている。

 いったんポーランド国境近くまで逃げたものの、アンナは一緒に逃れたママ友が身を寄せる東部ドニプロまで戻ることを選んだ。「夫たちは家にいるし、小さな子のいるママ友同士の方がやりやすいもの」

17歳のボランティア少年

 人口約70万人のリビウには侵攻後、20万人規模の避難民が身を寄せた。市内にはそんな彼らを支援する拠点が点在している。その中核を担っているのが、中心部の博物館を活用した支援センターだ。入り口では数十人が支援物資を求めて待っていた。

 心理療養士トビトラ・カテリナ(21)は、欧州最大級の原発が攻撃を受けた中南部ザポリージャから来たばかりで、ひとまず教会に身を寄せている。

「物も必要ですし、住むところも探しています」

 施設の中は医薬品や生活用品、食料品など、国内外から寄せられた物資が山積みになっており、ボランティアが交代で仕分けや発送作業にあたっている。

支援センターの説明をするダニロ・シドラック=3月23日、ウクライナ西部リビウ(撮影:村山祐介)

 取材に応対してくれたダニロ・シドラックは、私と英BBCのカメラを前に流暢な英語で説明した。

「東部に向かう特別なトラックを手配しています。ご存じの通り戦地ですから。主に医薬品、食料、衣類の3つを扱い、100トン以上の人道支援物資を輸送しました」

  実は17歳の高校生ボランティアだと後から聞いて驚いた。

 奥の倉庫で作業を仕切っていたリリヤ・ポポビッチ(37)は、午前はボランティア、午後はIT企業管理職の二足の草鞋をはく。支援だけでなく、経済も回し続ける必要があると思ってのことだ。

「できる限り働いて、できる限り力になりたい。子どもたちが帰って来られるようにしたいんです。地下にこもるのではなく、親子で外でサッカーを楽しめるようにしてあげたい」

 そう語ると、うっすらと隈ができた両目からこぼれた涙を指でぬぐった。

市街地の後景に立ち上った黒煙

 ロシア軍の侵攻によって彼らの日常は奪われた。それでもリビウでは、人々が涙をしまいこんで辛うじて「平穏」を保っている。

 市内は午後10時までの夜間外出禁止令が出ており、レストランの営業はほとんどが午後7時までで、アルコール販売も禁じられているが、繁華街は賑わい、オープンエアのカフェでくつろぐ人たちも多い。

 いたるところでロックバンドやフォークギターなどの路上演奏も行われており、最初はあっけにとられた。だが、足元に置かれた投げ銭用のケースには「3割を軍へ」と寄付をうたった紙が貼られており、ミュージシャンなりの戦い方なのだと気づいた。

オーケストラの野外演奏に喝采を送る市民=3月26日、ウクライナ西部リビウ(撮影:村山祐介)

 3月26日の土曜日には、オペラハウスの前でオーケストラによる大規模な屋外演奏会も開かれた。バイオリン弾きや声楽家ら総勢80人規模の楽隊を、スマホを手にしたその数倍の群衆が取り囲む。演奏を終えて指揮者らが壇上で抱擁しあうと、「ブラボー」との声と拍手がわき上がった。

 その調べを数回、空襲警報のサイレンが遮る。大方はもう慣れていて慌てる様子もない。

 しかし、演奏会の約2時間後、中心部からわずか3キロの住宅街にある石油備蓄施設にロシア軍のミサイルが着弾して炎上し、巨大な黒煙が上がった。隣国ポーランドのワルシャワで演説するジョー・バイデン米大統領へのけん制だった、とみられている。5人がけがをしたという。

「無事か?」という知り合いの米国人カメラマンからの電話で着弾を知った私が路上に出ると、世界遺産の市街地の後景に数十メートルの黒煙が立ち上っているのが見えた。

ミサイルが着弾して炎上する石油備蓄施設=3月26日、ウクライナ西部リビウ(撮影:村山祐介)

撮影をやめさせようとする警官

 しばらく黒煙の方向に小走りで向かいながら近くにいた初老の男性(62)に声をかけると、「こっちじゃない。現場は山の向こうだ。来た道を戻りなさい」と教えられた。

 抜け道がないかと細い道に入ると、中年男性に私が手にしていたカメラを見とがめられ、スマホを手に「警察を呼ぶぞ」とすごまれた。被害状況が伝わるとロシア側を利する、と考えている人も少なくなく、警官にもしばしば呼び止められた。

 来た道に引き返すと、ブブっとクラクションが鳴り、紺色のセダンが止まった。ずいぶん早い警官の到着だと半ばあきらめて近づくと、運転席にいたのは先ほどの初老の男性だった。

「歩くには遠い。乗って行け」

 現場を見下ろす山頂には多くのメディア関係者が集まっており、私もそこで車を降ろしてもらった。だがここでも、記者と撮影をやめさせようとする警官が押し問答になっており、結局、撤収することにした地元記者は引き上げ際、私にすまなそうに話した。

「事実を伝えに来てくれたのに、こんなことで申し訳ない」

 翌日、改めて着弾した現場周辺を訪ねると、住宅街は鼻にツンとくる油のにおいが立ち込めていた。近くに住む市職員の女性(30)はこう話した。

「最初の着弾があって10秒後に2発目、その3秒後に3発目がきました。この辺りは住宅ばかりで、ほらあそこ。子どもがたくさん住んでいるので心配しました」

 指を差した200メートル先に10階建ての集合住宅群があった。

銃弾と戦車だけが戦争ではない

 薄氷の上に成り立つリビウの「平穏」。それを住民目線で記録して世界に向けて発信することで、プロパガンダが飛び交う情報戦に一石を投じようとする人もいる。

 120カ国以上訪れた旅行ブロガーのオレスト・ズフ(34)。自ら旅した海外の魅力を、ウクライナ人に向けて、ウクライナ語で伝えてきた。だが、侵攻を境に発信を逆方向に変えた。

 いまは自ら見聞きした地元リビウの日常を、世界に向けて、英語で発信している。「情報の空白がある」と感じたためだ。

旅行ブロガーのオレスト・ズフ=3月25日、ウクライナ西部リビウ(撮影:村山祐介)
 

「派手な見出しと爆撃や戦車の写真ばかり。戦争を知ってもらうには大切なことですが、それだけが戦争ではありません。比較的安全なリビウは人道支援の拠点になっていたり、政府機関が移転してきていたり、そういうことも最前線の兵士を支える舞台裏になっている」

 自らの発信を「メディアの軍のようなものです」とも表現した。

「戦争は銃弾とタンク(戦車)だけではありません。サイバー軍など様々な分野で並行して進んでいます。ここで起きているすべてのことを記録して現実を示すことで、ウクライナの現状を多くの人に伝えたい」

 

カテゴリ: 政治 社会
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執筆者プロフィール
村山祐介(むらやまゆうすけ) ジャーナリスト。1971年、東京都生まれ。立教大学法学部卒。1995年、三菱商事株式会社入社。2001年、朝日新聞社入社。2009年からワシントン特派員として米政権の外交・安全保障、2012年からドバイ支局長として中東情勢を取材し、国内では経済産業省や外務省、首相官邸など政権取材を主に担当した。GLOBE編集部員、東京本社経済部次長(国際経済担当デスク)などを経て2020年3月に退社。米国に向かう移民を描いた著書『エクソダス―アメリカ国境の狂気と祈り―』(新潮社)で2021年度の講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。2019年度のボーン・上田記念国際記者賞、2018年の第34回ATP賞テレビグランプリのドキュメンタリー部門奨励賞も受賞した。
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