日本の医薬品産業を「有事の盾」に育てるマスタープラン

執筆者:阿部圭史 2022年9月30日
タグ: 日本
エリア: アジア
診断薬・治療薬・ワクチンの3つがMCMの「三種の神器」(C)Markus Mainka/stock.adobe.com
危機管理医薬品(MCM)確保は国民を守る最重要事項だ。だが、医薬品産業の競争力が高いとは言えない日本にとって、効果的な産業政策なしには経済安全保障の「有事の盾」を備えるのは難しい。その具体的ヒントは、半導体・防衛・金融など、他の産業の取り組みの中にちりばめられている。

 

経済安保から危機管理医薬品(MCM)を考える

 前回の記事で、危機管理医薬品(MCM)に関する政策体系では、国家安全保障局が主体となってMCMバリューチェーンの全体像を管理し、MCMのポートフォリオマネジメントを行うべきであると述べた。内政上の対応はかくあるべきである一方、外政上の対応は、「日米バイオディフェンス」など、日米の二国間関係を中心にMCM政策協力を実施すべきであると述べた。

 また、MCM政策体系は、国家安全保障として重要であるから、同盟国や、G7等の同志国との連携を通じて確実な調達確保を担保するという点で、経済安全保障としても重要である。したがって、本稿では、経済安全保障の観点からMCM政策体系をどのように考えるべきかについて述べたい。

 本年5月、経済安全保障推進法が国会で成立した。同法に基づき設置された「経済安全保障重要技術育成プログラム」では、我が国にとって重要な先端技術を如何に見定めるかという問題意識の下、20の重点技術分野と4つの領域を同定している。20の重点技術分野には「化学・生物・放射性物質及び核(CBRN)」が含まれ、4つの領域にはバイオ領域が含まれている。CBRN領域に広がるMCM政策体系を経済安全保障の観点から考えることの重要性に関する政府の認識が示されていると言えよう。

 しかし、前回の記事で紹介したように、日本は、CBRNという特殊な事案を全て経験している稀有な国であり、CBRNに関する知見を豊富に持っているにもかかわらず、CBRNを対象とする充実したMCM政策体系を持っているわけではないというのが現実である。

MCM充実を阻害する「官」の要因と「民」の要因

 MCM政策体系は、医薬品産業の技術力・生産力に支えられている。一般的に、日本の医薬品産業は国際競争力が高くないと言われている。その中でも特にMCMについては、いつ起こるかわからない危機に備えるための製品を生産するという特性上、市場性が低く(要するに儲からない)、民間企業が自然体の経営判断で参入できる領域ではないため、尚のこと日本の医薬品産業が苦手とする領域であると言って良い。

 政府が国家安全保障のため、経済安全保障のためにMCM政策を推進したいと如何に声高に叫んでも、民間企業が存分に活躍できるビジネス環境を整備しなければ、掛け声だけで終わる。結果的にMCMが確保できなければ、国民を守ることはできず、政府の責任は果たされない。

 要するに、我が国におけるMCMの充実は、政府による強固な産業政策の有無にかかっている。企業が継続的に事業を行い、確実に収益を上げられるビジネス環境を政府が整備できるかという点が、最も重要なのである。

 政府でMCM政策を主に取り扱うのは厚生労働省だが、元来社会保障を専門領域としているため、安全保障というものに対する観念は相対的に高くない(安全保障が専門ではないので、ある意味当然ではある)。さらに、厚生労働省の薬事政策と経済産業省の産業政策の連携不足といった縦割りや、薬価引き下げを通じた医薬品産業に対するビジネス上の圧迫、薬事上のインセンティブ付与施策の不足など、総じて産業振興的観点が不足しており、企業のビジネスにとっては未だ好環境にないのが現実である。我が国のMCM政策が充実しない理由で、「官」の要因に帰せられる部分は大きい。

 このような「官」の要因に加えて、「民」の方の要因も考慮せねばならない。日本の医薬品産業は、中小メーカーが多く存在しており、総じて規模が大きくないこともあり、欧米の主要企業と比して個社としての国際競争力は高いとは言えず、世界的な医薬品産業の産業形態の転換(垂直統合型から水平分業型へ)の波に乗り切れているとも言いにくいと言われている。MCM領域への参入方法は複数の形式があると思うが、例えば、個社としてMCM領域に参入できるほどの規模と収益力を携えた企業を我が国として保持するには、業界構造の転換・再編も必要なのかもしれない。その場合、例えば相対的な中小再編による「メガ」化は、平成の金融業界における銀行の統廃合にヒントがあるかもしれない(銀行の「メガ」バンク化、製薬企業の「メガ」ファーマ化)。

 このように、我が国が充実したMCM政策体系を持ち、有事の際に確実に国民を守る体制を構築するためには、官民双方の課題を洗い出し、克服する必要があろう。

半導体産業、防衛産業と共通する課題

 国際的な競争力は相対的に高くないが、国家の安全保障上重要となるため、国内の産業基盤を守り強化せねばならない産業。そういう観点では、MCM政策体系の考え方は、昨今、経済安全保障の観点から、我が国が国を挙げて強化に取り組んでいる半導体産業や防衛産業と全く同じ構図である。

【半導体産業】

 半導体産業は、医薬品産業より10年早く、研究開発から製造までを個社が一気通貫で担う「垂直統合型」から、バリューチェーンの各工程を複数社で分業する「水平分業型」の産業構造へと移行した。その目的は、メーカー個社の投資リスクを減らすことであった。

 半導体産業を担う企業は、大まかには、素材企業、製造装置企業、製造を担わず設計のみを行うファブレス企業と、半導体製造・量産を担うファウンドリー(受託製造)企業などに分かれる。水平分業型となった医薬品産業を担う企業も同様で、従来の研究開発型の製薬企業に加え、バイオベンチャー、CRO(受託臨床試験機関)、CMO (医薬品受託製造企業)/CDMO(医薬品受託開発製造企業)、医薬品原薬企業、医薬品卸企業など、数多く存在する。

 昨今、我が国の半導体産業振興の目玉施策と言われているのは、ファウンドリーの世界最大手であり、卓越した技術力で突出したシェアを持つ台湾積体電路製造(TSMC)の熊本への誘致である。半導体製造・量産能力を国内に有しておくことは、国内の産業政策上、安全保障上、重要である。一方、我が国の半導体産業は、素材や製造装置のメーカーに比べ、製造・量産能力については国際的な競争力に乏しいと言われている。したがって、国内の製造・量産能力強化及びそれに随伴する素材メーカーの競争力保持のため、TSMCを誘致したのである。

 水平分業型となっている医薬品産業のうち、MCMバリューチェーンを構成するどの要素に国として集中的に投資するのか決めることは重要だ。全要素に広く薄く支援しても、効果は薄かろう。例えば、半導体産業では、製造を担うTSMCという個社に集中投資したように、MCM政策においてもCMO /CDMOに集中投資するという方策もあり得るかもしれない。

【防衛産業】

 我が国の防衛産業は、少数の大企業(プライムメーカー)を頂点として、その下に個別の技術・部品を提供する中小企業(ベンダー)が連なる構造である。とは言え、プライムメーカー各社における防衛部門の事業規模はその他の民生部門と比較して小さく、重工系メーカーで10%、電機系メーカーで2~3%に過ぎないと言われている。これは、メガファーマにおけるワクチン部門と似たような構造である(事業規模の小ささもあり、「ワクチンは儲からない」と言われてきた)。

 昨今、防衛産業では、大手企業の撤退が相次いでいる。例えば、2019年には、自衛隊車両を製造してきた重機メーカーのコマツが軽装甲機動車から撤退する旨が報じられたし、本年は自衛隊に航空機部品等を生産していた島津製作所の撤退が報じられた。各社にとって、防衛装備品に関する事業は概して利益率が低く、優良なビジネスではない。また、防衛装備品の調達は政府予算の単年度主義の下で行われるため、今年度の政府予算が獲得できても来年度は獲得できずに政府から梯子を外されるおそれもあることから、民間企業から見れば事業の予見可能性に乏しく、そこに投資しようという経営判断には繋がりにくい。これまで「お国のため」という使命感で事業が継続され、政府もそれに頼ってきたが、もはや通用しなくなってきているという。

 かつて我が国の防衛産業は、武器輸出三原則の下で、純粋に自衛隊のためだけに防衛装備品を開発・製造してきた。販売先は自衛隊オンリーであり、装備品を購入する原資となる自衛隊予算も国内総生産(GDP)比1%というキャップで抑制されているため、事業としての大きな拡大は見込まれず、国際的な技術開発競争にも晒されにくい。しかし、2014年に防衛装備移転三原則が閣議決定され、他国との防衛装備品の国際共同開発や輸出等ができるようになった。例えば、次期戦闘機開発のために、日英伊の国際共同開発の枠組みが設定されている。輸出については、これまで国際競争力がなかったからか、すぐには輸出の大幅拡大には繋がらず、時間がかかるようである。

 MCMについても同様で、「お国のため」というだけでは、医薬品業界の経営陣が自然な経営判断としてMCM領域の充実を図ることはない。繰り返しになるが、企業にMCM領域で存分にビジネスを展開してもらうためには、まずは政府が積極的に前述の「官」の阻害要因を除去し、企業が収益を上げられる環境を整備することが必要である。

 例えば、平時におけるMCMの政府調達について、MCMに特化した基金の構築などを通じて複数年度の調達予算を組むことで、企業にとって事業の予見可能性を高めることが必須だし、MCMを開発・製造する企業に対して薬価や薬事規制上のインセンティブ(「プル型インセンティブ」という)を付与することも必要だ。「プル型インセンティブ」は、医薬品の「使用量」と「売上」が連動する現行の制度と異なり、「使用量」と「売上」を制度的に切り離し、市販後の収益に関する予見性を高める。例えば、企業がMCMに関する研究開発上の一定のマイルストーンを達成したら政府が報奨(アワード)を支払ったり、動画配信サービスのNetflixのように「使用量」と関係なく企業に対して常に定額を支払い続けるサブスクリプション型の支払い形式が挙げられる。このように、「プル型インセンティブ」は、平時には「使用量」がほとんどないMCMに対しては最適なビジネスモデルを提供できる。

「オールジャパン」は幻想

 経済安全保障の観点からMCM政策体系をどのように考えるべきか。半導体産業や防衛産業から得られる教訓は、以下の2つの重要性である。

① 技術・経営・政策のトライアングル

② 国際的なMCMバリューチェーンで我が国が担うべき要素への集中投資

 

① 技術・経営・政策のトライアングル

 技術だけあっても、経営がなくては事業として成立せず、国際競争を勝ち抜けない。経営だけでも、技術がなくては製品ができない。技術と経営の2つ(企業の内部環境)が整っていても、政策を通じてビジネスに適した環境(企業の外部環境)を作らなければ、そもそもビジネスとして成立しない。技術・経営・政策のどれか一つが欠けても機能せず、我が国のMCM政策体系は破綻する。MCM政策においては、産業政策や装備調達という視点が不可欠であり、経済産業省や防衛装備庁が培ってきた知見が活かされるべきだろう。昨今、厚生労働省では医薬産業振興を重視した組織改編が行われたこともあり、これを機に経済産業省や防衛装備庁との連携が深まることを期待したい。

 

② 国際的なMCMバリューチェーンで我が国が担うべき要素への集中投資

 国際的な水平分業という産業構造の中で、「オールジャパン」は幻想である。半導体産業や防衛産業同様、MCMバリューチェーン上の全要素を我が国の企業が担うと考えることは、能力的に非現実的だ。したがって、経済安全保障の観点から、我が国の企業が、同盟国や、G7等の同志国の企業とMCMバリューチェーンを共同で担うことを前提として、MCMバリューチェーンのどの要素を主に握るべきなのか(比較優位を持っているのか)という命題に答え、その要素を構成する企業を集中的に支援する必要があるだろう。

 MCM政策体系は、国家安全保障として重要であり、それゆえ、経済安全保障としても重要である。これらを担保するためには、政府が産業政策を通じて、企業が継続的に十分な収益を上げられるビジネス環境を整備できるかという点にかかっている。そして、MCM領域における産業政策を考える際には、医薬品産業だけ見ていては十分な解が得られない。本稿で触れた半導体・防衛・金融など、他の産業にこそ、そのヒントがちりばめられている。

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執筆者プロフィール
阿部圭史 政策研究大学院大学 政策研究院 シニア・フェロー、医師。専門は国際政治・安全保障・危機管理・医療・公衆衛生。1986年生まれ。北海道大学医学部卒業。ジョージタウン大学外交大学院修士課程(国際政治・安全保障専攻)修了。国立国際医療研究センターを経たのち、厚生労働省入省。ワクチン政策や診療報酬改定等の内政政策、国際機関や諸外国との外交政策、国際的に脅威となる感染症に関する危機管理政策に従事。また、世界保健機関(WHO)本部で感染症危機管理政策、大量破壊兵器に対する公衆衛生危機管理政策、脆弱国家における人道危機対応に従事。外資系コンサルティングファームでコンサルティング業務に従事。著書に、『感染症の国家戦略 日本の安全保障と危機管理』、『新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書』(共著)。
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