特殊災害「CBRN」をすべて経験した日本にリアリズムは根付くか

執筆者:阿部圭史 2022年9月1日
エリア: アジア
地下鉄サリン事件が発生した1995年3月20日、防毒マスクを着け霞ケ関駅の構内に入る自衛隊員 (C)時事
自然災害とは異質の脅威――化学(Chemical)・生物(Biological)・放射性物質(Radiological)・核(Nuclear)による被害を、日本はすべて経験するという特殊な歴史を持っている。しかしそれらから国民を守る武器、危機管理医薬品(MCM)に関する政策体系は未整備の状況が続いてきた。国家安全保障局による統括と、バイオディフェンスの現場で育った日米同盟の深化を急げ。(こちらの『生物学的脅威から国民を守る「バイオディフェンス」戦略に遅れた日本』から続きます)

 

 前回の記事(『生物学的脅威から国民を守る「バイオディフェンス」戦略に遅れた日本』)では、生物学的脅威に対するバイオディフェンス政策の要としての危機管理医薬品(MCM)について述べた。しかし、実はMCMとは、バイオディフェンスに限らず、公衆衛生分野の危機管理全般で使用される武器であり、用語である。

 一般的に、公衆衛生分野の危機管理が対象とする脅威は「CBRNe+自然災害」と捉えられる。CBRNeとは、化学(Chemical)・生物(Biological)・放射性物質(Radiological)・核(Nuclear)・爆発物(explosive)といった脅威の頭文字をとったものである。特にCBRNへの対処は、通常の自然災害とは異なる事態対処や装備品等が必要となることにちなみ、CBRNを総称して「特殊災害」とも呼ばれたりする。eは、時にCBRN全体に共通し得る要素である。

 Cの事象には地下鉄サリン事件、Bの事象にはCOVID-19パンデミックやサル痘アウトブレイク、Rの事象には東海村JCO臨界事故や福島原発事故、Nの事象には広島・長崎への原爆投下が挙げられる。これらの脅威による危機への事態対処は、発生源を如何に抑え込むかという点に加え、「如何に多くの国民を救えるか」という国民保護が焦点となる。したがって、危機によって傷病を負った国民を救うための武器、即ち危機管理医薬品(MCM)が必要となるのである。

有事に向けて行う政策体系

 我が国が経験したCBRN事案を見てみよう。

【Cの事案】

 1995年に東京で発生した地下鉄サリン事件は、化学兵器のサリン(有機リン化合物の神経ガス)を利用した無差別テロ事件である。オウム真理教が、地下鉄車両内でサリンを散布し、多数の被害者が発生した。被害者は、ホームに倒れて口から泡を吹き、瞳孔が縮瞳。搬送された病院では、PAM(有機リン系農薬の解毒剤)が投与された。最終的に14人が死亡、6000人以上が重軽傷を負い、陸上自衛隊の化学防護隊も除染に出動した。世界各国でMCM政策を論じる際に必ずと言って良いほど引用される事案である。

 地下鉄サリン事件では、地下鉄という警備が手薄な「ソフトターゲット」が狙われた。2020年東京五輪でも会場以外に駅や観光名所等のソフトターゲットが狙われるかも知れないことから、地下鉄サリン事件の教訓もあり、厚生労働省は、化学テロがあった場合の備えとして研修を受けた消防隊員など医師以外による解毒薬の自動注射器使用を可能とした。

【Bの事案】

 2014年から2016年まで続いた西アフリカを中心とするエボラ出血熱アウトブレイクでは、治療薬やワクチンがなく、1万人以上が死亡した。しかし、その後、エボラワクチンの研究開発が進み、2018年から2020年まで続いたコンゴ民主共和国を中心とするエボラ出血熱アウトブレイクでは、エボラワクチンが導入され、多くの人々を救った。

 2020年に発生したCOVID-19パンデミックは、2022年8月時点で、約6億人の感染者と、約640万人の死者を出した。COVID-19パンデミックにおけるゲーム・チェンジャーとなったのは、ワクチンである。2020年1月末のWHO(世界保健機関)による緊急事態宣言から約1年弱でワクチンが完成し、主に重症化予防効果を発揮することで、世界中の命を救ってきた。

 また2022年には世界的なサル痘アウトブレイクが発生し、同年7月にはWHOが緊急事態宣言を出した。サル痘には、天然痘ワクチンが発症予防効果を及ぼすとされている。天然痘は既に撲滅され、地球上には存在しないとされているが、いつ天然痘を利用した生物テロが起こらないとも限らない。したがって、我が国を初めとする各国は、天然痘ワクチンを備蓄している。

【Rの事案】

 1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工施設「JCO東海事務所」で、核燃料サイクル開発機構の高速実験炉「常陽」で使うウラン燃料の加工作業を行なっている最中に、作業の誤りからウラン溶液が臨界に達し、臨界事故が発生した。臨界に達したことを示す青白いチェレンコフの光と共に中性子線が発生し、作業員3人が被曝。最終的に2人が不幸にしてお亡くなりになった。その治療過程で実施されたのは、被曝した方に対する全身の集中管理と、造血幹細胞移植に代表される免疫治療である。

 2011年3月11日に発生した東日本大震災の巨大津波によって引き起こされた福島第一原子力発電所事故では、放射性物質の漏出によって多くの被爆者が発生することを考慮し、甲状腺に蓄積しやすい放射性ヨウ素131を防ぐ安定ヨウ素剤や、放射性セシウムの体外排出を促進する薬剤プルシアンブルーなどの準備が進められた。そして、原発への事態対処にあたった自衛官に安定ヨウ素剤が投与されるなどの対応が行われた。

【Nの事案】

 1945年8月6日、広島に原爆が投下され、多くの方々が一瞬にして亡くなったことに加え、数えきれない方々が「原爆症」に苦しんだ。しかし、人々を救う医薬品がない。そこに、赤十字国際委員会(ICRC)のマルセル・ジュノー駐日主席代表(スイス人医師)が15トンの医薬品を運び込む。当時入手困難で、日本人が想像だにしなかったペニシリン、乾燥血漿、ブドウ糖リンゲル液、サルファ剤、DDT等。これによって多くの方々が救われたという。同氏の人道主義を讃える碑が、広島平和記念公園内にある。

   PAM、エボラワクチン、COVID-19ワクチン、天然痘ワクチン、安定ヨウ素剤、プルシアンブルー、ペニシリン……。これら全てが、危機管理医薬品(MCM)である。政府は、これらの研究・開発・製造を企業に促し、企業から買い上げ、備蓄し、有事に国民を守るために放出する。平時から有事に向けて行うこの営みが、MCM政策体系である。

 上記で述べたいずれの事案でも、MCMのエンドユーザーである最前線の現場の医療従事者は、有限のMCMを最大限活用し、自らの身の危険を顧みず多くの国民を救うべく奮闘してきた。MCMは、バイオディフェンスで使用される武器であると同時に、バイオディフェンス(B)に限らず、CRN事案でも活用され、国民を救う武器なのである。

国家安全保障局が果たすべき統括機能

 日本は、CBRNという特殊な事案を全て経験している稀有な国である。それゆえ、日本こそCBRNに関する知見を豊富に持っており、CBRNを対象とする充実したMCM政策体系を持っている。

 と言いたいが、そうでもない。

 前回の記事でも述べた通り、日本のMCM政策体系には、相当程度の偏りがある。

   バイオディフェンスの中だけでも、ワクチンだけでなく、MCM三種の神器(診断薬・治療薬・ワクチン)それぞれのMCMバリューチェーンについて体系的に論じた戦略があるわけではない。いわんや、CBRN全体を包括的にスコープに入れたMCM戦略をや、である。さらに、MCM政策体系は、政府と企業が密接に連携して進めねばならない政策領域だが、政府と企業ががっぷり四つで取り組んでいるわけでもない。この点は、防衛産業を見習うべきだろう。

 英国人の国際政治学者E. H. カーは、名著『危機の二十年』の中で大戦間(1919-1939)の国際状況について概観し、前半十年は国際連盟に代表される理想主義的思想が跋扈し、後半十年は究極的なリアリティへと急降下したことに鑑み、健全な政治的思考は「理想」と「リアリズム」が共に存するところにのみ姿を表すと述べつつも、平素からリアリズム(現実主義)に基づく政治を行う重要性を説いている。

 2011年から現在まで続く約10年は、CBRNに関する「危機の十年」であった。2011年の福島原発事故(R)、2011年から続くシリア内戦において複数回に亘って使用された化学兵器(C)、2014年の西アフリカを中心とする世界的なエボラ出血熱アウトブレイク、2018年のコンゴ民主共和国を中心とするエボラ出血熱アウトブレイク、2020年のCOVID-19パンデミック(B)。そして、2022年には、ロシアがウクライナに侵略し、ウラジーミル・プーチン露大統領は核の使用を躊躇しない姿勢を表した(N)。その上、本稿を執筆している2022年8月末現在、ウクライナのザポリージャ原発が攻撃を受けており、チェルノブイリ原発事故のような破滅的な放射性物質の漏出(R)が懸念される危険な事態にある。

 岸田文雄総理は、本年8月6日に行われた広島平和記念式典で、「核兵器による威嚇が行われ、核兵器の使用すらも現実の問題として顕在化し、『核兵器のない世界』への機運が後退していると言われている」と述べつつ、「『厳しい安全保障環境』という『現実』を『核兵器のない世界』という『理想』に結び付ける努力を行ってまいります」と決意を語った。

   理想を掲げつつ現実に対処するためには、核を含むCBRNに関する世界の脅威を直視しつつ、万が一にも我が国に脅威が及んだ際に、国家と国民を守る体制を整備してかねばならない。E. H. カーがいう、リアリズムに基づく政策立案である。国家の独立を守るためには防衛政策の充実が欠かせないし、国民の安全を守るためには国民保護政策の充実が欠かせない。国民保護政策の一環としての我が国のMCM政策体系を成熟させるためには、まずはCBRNを包括的にスコープに入れたMCMの戦略文書を作ることから始める必要があるだろう。

 MCM政策は、現在は主に厚労省が所管している。経済産業省もMCMを製造する企業に対し、製造設備の補助を行うなど、事業戦略支援を展開している。しかし、両省の政策に連携はなく、断絶していると言って良い。

 筆者が官僚だった際、MCM政策の米国側カウンターパートは、ホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)の大量破壊兵器対策部局であったことがある。すなわち、NSCがCBRNに関するMCM政策を包括的に統括しつつ、それに基づき、個別の省庁が具体的な計画に落とし込んで実行しているのである。このような彼我の政策体系の成熟度の違いに、歪な感覚を抱いたものである。

 MCM政策体系は、国家安全保障として重要であるから、同志国によるサプライチェーンの構築を通じて有事の際の確実な調達を担保するという点で、経済安全保障としても重要である。したがって、我が国もそれらを統括する国家安全保障局でMCM政策を統括してはどうか。国家安全保障局が、脅威認識を踏まえてMCM政策体系の絵を描き、それに基づき、厚労省や経産省といった個別の省庁がMCMバリューチェーンを構成する要素を分担して実行することが理想形だ。要するに、国家安全保障局が主体となってMCMバリューチェーンの全体像を管理し、MCMのポートフォリオマネジメントを行うのである。

 このような体制が整えば、日米間でのMCMに関する政策調整も円滑になるのではないかと考える。

日米バイオディフェンスの「希望の同盟」

 本年7月に不幸にしてご逝去された安倍晋三元総理は、2015年4月29日、米国ワシントンDCで行われた米国連邦議会上下両院合同会議において、「希望の同盟へ」と題した演説を行った。演説を行った議会の場内には、太平洋戦争最中に硫黄島に上陸したローレンス・スノーデン海兵隊中将(当時大尉)と、硫黄島守備隊司令官の栗林忠道大将を祖父に持つ新藤義孝国会議員が並び、安倍総理は「熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました」と述べ、日米同盟を「希望の同盟」と呼ぼうと、議会の聴衆に語りかけた。歴史的な演説である。当時演説を聞いた筆者も、胸が熱くなったことを今でも覚えている。

出所:首相官邸公式 YouTubeチャンネル「『希望の同盟へ』米国連邦議会上下両院合同会議  安倍総理演説ー平成27年4月29日』より
出所:同上

 バイオディフェンスの世界でも、心の紐帯が結ぶ友によって「希望の同盟」が築かれてきたことは余り知られていない。前回の記事で、集団生物防衛(Collective Biodefense)を目的として構築されたMCMに関する国際的な枠組みは、あくまで日米の枠組みが主軸となる点を述べた。そして、日米は、2007年より「日米メディカルバイオディフェンスシンポジウム」(以下「日米バイオディフェンス」という)という枠組みを継続しており、有効に機能していることに触れた。

 このシンポジウムこそ、一人の日本人と、一人の米国人が、その友情で作り上げてきた舞台である。竹内勤(たけうち・つとむ)氏(1945–2018)と、アーネスト・タカフジ氏(1944–)である。

 竹内氏は、1970年に慶應義塾大学医学部を卒業後、同大学の寄生虫学教室の助手となり、1973年に米国国立衛生研究所(NIH)の客員研究員となる。NIHで3年の時を過ごし、一度帰国するも再度渡米、NIHで更に1年半に渡り研究に従事する。その後、慶應義塾大学医学部教授(熱帯医学・寄生虫学)に就任。長らく感染症領域における国際的なリーダーとして、WHOの各種委員も務めた。また、2000年頃から同大学グローバルセキュリティ研究所で活動を開始し、それまで臨床医学の一領域であった感染症を、国家安全保障の文脈に位置付ける作業に奔走した。その一環で力を注いだのが、テロ対策や新興・再興感染症対策など、国家安全保障の観点から感染症を取り扱う日米の研究協力の枠組み「日米バイオディフェンス」である。2011年に長崎大学熱帯医学研究所所長に就任し、2014年に聖路加国際大学公衆衛生大学院特任教授に就任してからも、日米バイオディフェンスの発展に精力的に力を注いだ。竹内氏は、最近は珍しい親分肌の愛国者。筆者も、そのお人柄に惚れ、ご指導を仰いだ一人である。

「日米バイオディフェンス」の米国側カウンターパートであるアーネスト・タカフジ氏は、ハワイ出身の日系米国人であり、米国のMCM政策のキーマンである。ハワイ大学を卒業し、ニューメキシコ大学メディカルスクールを出て医師となった後、1972年に米陸軍に入隊。1992年には、米陸軍基地フォート・デトリック内に設けられた米陸軍感染症医学研究所(USAMRIID)所長(大佐)となる。30年以上に亘り米陸軍に従事した後、2005年には、NIHを構成する国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)のバイオディフェンス研究部長に就任。10年もの期間務めた後、2015年に引退した。

 お二人の出会いは、タカフジ氏がUSAMRIIDの所長を務めていた時分に、竹内氏とマラリア研究についてのディスカッションをしたのがきっかけだったという。その後、2001年の米炭疽菌テロ事件を経て、日米両国でバイオディフェンスに関する何らかの取組みをしようと両国政府が決め、それぞれ代表を任命したところ、旧知のお二人であった。運命的な巡り合わせである。

 日米バイオディフェンスは、竹内氏とタカフジ氏が、その長年の友情によって作り上げた枠組みであり、日米の友情の証しである。お二人が日米両国国民を思い、2007年にゼロから始めた日米バイオディフェンスは、時を経るに従い、両国政府の参加者も増え、今では両国のMCM政策の対話に欠かすことのできない枠組みとなっている。

 バイオディフェンスにおけるMCM政策に関する日米協力に精力を傾けたタカフジ氏は2015年に引退。竹内氏は、2010年代後半は闘病生活を続けながらも病床に関係者を集め、日米のバイオディフェンス協力を熱心に後押しされていたが、残念ながら2018年3月にご逝去された(享年72)。

 今後、我が国のMCM政策体系の成熟に伴い、バイオディフェンスおけるMCM政策についての日米の枠組みが、CBRN全体へとスコープを広げることが期待される。日米のバイオディフェンスにおける協力がCBRN全体へと昇華したとしても、「希望の同盟」の下、心の紐帯が結ぶ友によって作られていくことを望んでやまない。

左:竹内勤氏、右:アーネスト・タカフジ氏。日米バイオディフェンスシンポジウムにて
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執筆者プロフィール
阿部圭史(あべけいし) 政策研究大学院大学 政策研究院 シニア・フェロー、医師。専門は国際政治・安全保障・危機管理・医療・公衆衛生。1986年生まれ。北海道大学医学部卒業。ジョージタウン大学外交大学院修士課程(国際政治・安全保障専攻)修了。国立国際医療研究センターを経たのち、厚生労働省入省。ワクチン政策や診療報酬改定等の内政政策、国際機関や諸外国との外交政策、国際的に脅威となる感染症に関する危機管理政策に従事。また、世界保健機関(WHO)本部で感染症危機管理政策、大量破壊兵器に対する公衆衛生危機管理政策、脆弱国家における人道危機対応に従事。外資系コンサルティングファームでコンサルティング業務に従事。著書に、『感染症の国家戦略 日本の安全保障と危機管理』、『新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書』(共著)。
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