日本は次のパンデミックに耐えられるか|健康危機管理の司令塔創設により情報と政策を「統合」せよ

執筆者:相良祥之 2022年6月8日
エリア: アジア
新型コロナウイルス感染症は日本でこれまで3万人以上の国民の命を奪ってきた yoshi0511/Shutterstock.com
コロナ禍が日本に突きつけたのは、パンデミックという有事にあたって、その全体像と情勢変化を統合し得る司令塔が存在しない現実だ。SARS、新型インフルエンザの流行時にも露呈した“現場頼み”は解消されなかったことになる。岸田文雄政権の公約「健康危機管理庁」が創設に向けて動き出す中、統治機構改革の必須ポイントを提示する。

見えなかった全体像

 昨年8月下旬、菅義偉総理(当時)はコロナ対応について「感染全体がどうなるか、いわば全体像をあらかじめ把握することが難しかった」と振り返った(「文藝春秋」2021年10月号)。新型コロナウイルス感染症が発症前や無症候でもステルスで感染拡大することに加え、度重なる感染の「波」や変異株、mRNAワクチンなど状況を一変させるゲームチェンジャーが出現したことは政府の危機対応を難しくした。

 しかし根本的な問題は、情勢が刻一刻と変化し、いつ終わるとも知れないコロナ危機において、その全体像とともに「切れ目」のない対応策を総理大臣という国の最高指導者に向けて示す司令塔が政府に備わっていなかったことである。

 岸田文雄総理は昨年9月の自民党総裁選への立候補にあたり健康危機管理庁(仮称)の創設を提唱していた。その輪郭が少しずつ明らかになってきた。

 新型コロナウイルス感染症は日本でこれまで3万人以上の国民の命を奪ってきた。この国家的危機における最大の教訓は、パンデミックをはじめ健康危機に対峙するための戦略もオペレーションも、そしてそれを稼働させるガバナンスも、事前に十分な備えがなかったことである。平時モードから有事モードに切り替えようにも、その切り替えるべき有事の仕組みそのものが脆弱だった。

 日本はこれまでのコロナ対応を包括的に検証し、備えが欠けていた日本の健康危機管理を抜本的に強化していかなければならない。パンデミックをはじめ健康危機にアジャイル(機動的かつ柔軟)に対応できる司令塔機能の強化は、喫緊の課題である。

 司令塔機能の在り方としては健康危機管理庁のみならず、健康危機管理局/室といった複数のオプションがあり得る。いずれの場合も鍵となるのは、政府中枢で情報と政策を「統合」し、対応の重心を決める統治機構改革が実現できるか、である。

「現場」の力に頼った綱渡り

 健康危機管理体制の強化は、2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)や2009年の新型インフルエンザ(A/H1N1)などのアウトブレイクのたびに、日本で繰り返し指摘されてきた長年の宿題である。日本はこれまで、この宿題に真剣に取り組んでこなかった。感染症に対する平時からの備え(プリペアドネス)が十分でなく、情報と政策を統合する司令塔を政府中枢に作っておかなかったことで危機対応の選択肢はせばまった。政府は新型コロナという脅威に対し場当たり的な判断の積み重ね、「泥縄」的な対応(レスポンス)を続けざるを得なかった。

 政策当局者も手をこまねいていたわけではない。新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)を改正し、内閣官房に新型コロナウイルス等感染症対策推進室(コロナ室)を立ち上げ、地方自治体と連携しながら緊急事態宣言を発出してきた。感染症法や予防接種法、検疫法を改正し、検査キャパシティを増強し、デルタ株やオミクロン株の出現にあわせて医療提供体制を強化し、ワクチン接種も進めてきた。

 その政府が頼りにしたのは医療機関や保健所など現場の奮闘、感染症危機管理の経験を持つ専門家、そして国民の協力であった。逆にいえば、現場、専門家、国民の協力がなければ、より多くの国民がコロナの犠牲になっていた。綱渡りの危機対応だったのである。

 さらに、2年半にわたり続いてきたコロナ危機の最中にも、アフリカではエボラ出血熱が流行し、新たにサル痘の感染も拡大している。コロナ危機が収束したとしても、コロナより深刻な感染症が発生する可能性もある。感染症だけではない。かつて日本はオウム真理教による地下鉄サリン事件という化学テロを経験した。北朝鮮など周辺国による核兵器、生物兵器、化学兵器の使用が日本を脅かすシナリオも想定しておかなければならない。

 しかし、このままではコロナ収束とともに、経験は風化し、教訓や好事例は忘れ去られ、コロナに対峙してきた政策当局者や医療関係者も感染症対策から離れ、ふたたび喉元過ぎれば熱さ忘れるとなってしまうのではないか。鉄は熱いうちに打たねばならない。今こそ包括的な検証とともに、コロナ危機で逐次増強してきた内閣官房や厚労省の機能を整理し、しっかりと組織化すべきである。

カギは内閣官房の総合調整権限

 日本には、次の健康危機に備え対応するための戦略とガバナンス、オペレーションを総括する組織が必要だ。官邸の指揮下で情報と政策を統合する健康危機管理の司令塔を内閣官房に常設すべきである。内閣官房の総合調整権限を用い、健康危機管理の基本方針・重要事項に関する企画立案、そして総合調整に専従する組織である。

 我が国の健康危機管理体制において司令塔が果たすべき役割は三つある。

 第一に、平時から情報と政策を統合し、有事には危機対応の重心をアジャイル(機動的かつ柔軟)に決めることである。パンデミックのような国家的危機への対応にあたっては、行政の縦割りを排し、官民の総力を挙げた対応が求められる。「情報を統合する」とは、新興・再興感染症の発生状況、ウイルスや細菌など病原体の特性、国内すべての感染者やクラスターのデータ、医療提供体制、世界保健機関(WHO)や在外公館(大使館)からの感染状況報告、世界の研究者が発表するエビデンス(科学的知見)、米国など同盟国や同志国からのインテリジェンス、これらを集約し、専門家とともに脅威を統合的に分析し、リスクを評価するということである。「政策を統合する」とは、感染制御と社会経済活動のバランス、政権の他の政策アジェンダとの優先順位も見極めながら、国がとるべき対応の重心を定め、戦略を策定し、オペレーションを計画することである。いずれも重要なことは、コロナ危機で経験したような予測不可能なことが起きても、アジャイルに軌道修正し、ひるまず、ダイナミックに手を打っていくことだ。行政の「無謬性神話」は危機管理の敵である。

 第二に、中央政府と地方自治体で緊密に連携し、有事には危機対応の集権化をはかり、中央による現地支援を迅速に展開することである。感染症法に基づく現行の体制は、明治30年(1897年)に伝染病予防法が施行されてから120年以上、地方自治体がその地域で感染症を抑え込むことを基本としている。地方分権が進み、中央が地方に明確な指揮命令権限を有しない現状を踏まえ、中央政府が危機対応に適した法体系を整備し、明確な行動指針を出すことに加え、地方の課題や好事例を中央が吸い上げ共有していくフィードバックの仕組みが必要である。同時に、感染者情報などデータ収集・分析基盤の整備、感染症危機に対応できる保健医療人材の動員と展開については、中央政府の指揮命令権限を明確にし、集権化すべきである。コロナ対策担当大臣と別に大臣が任命されたワクチン接種についても、内閣官房の司令塔が統合的に所掌すべきだ。

 第三に、健康危機の発生や脅威の変化にも柔軟に対応できるよう、国としてレジリエンス(強靭性)を確保することである。キャパシティの重要性と調達困難になるリスクに応じ、平時から確保すべきコアキャパシティと有事に投入するサージキャパシティとを分類し、備えを変える。コアキャパシティであるサーベイランスと検査の体制、感染症指定医療機関や保健所は、平時から練度を高めておく必要がある。サージキャパシティとしては保健医療人材や病床、マスクなど個人防護具(PPE)が該当し、平時は他の用途のために稼働している、あるいは物資であれば備蓄しておきつつ、有事となれば迅速に投入できるようにする。治療薬やワクチンなど医薬品については経済安全保障の施策とも重複する。この観点からも、やはり内閣官房の司令塔で統合的に調整を進める必要がある。

NSS設立を良い前例に

 日本には、情報と政策を統合した統治機構改革の良い前例がある。国家安全保障局(NSS)だ。2013年、安倍晋三総理(当時)は総理大臣の下で外交・軍事・インテリジェンスを有機的に総括するため国家安全保障会議(NSC)を設立し、その事務局として内閣官房に常設のNSSを設立した。それまで外交と防衛は、制度上、分断されていた。内閣官房には安全保障危機管理室があったが、これは阪神淡路大震災の反省から防災に重心が置かれた組織だった。しかし北朝鮮不審船の出没や、北朝鮮による弾道ミサイル発射事案など、外交と防衛が連続し、多くの関係省庁との調整が必要な事案が発生した。そこで外交と軍事の司令塔を設置する必要性が認識されていった。NSS設立により、有事において政治指導者が、政治と外交の枠内で自衛隊を戦略的に指導し、運用する体制が整った。外交と軍事を「総括し調整する司令塔」が総理官邸内にできたのである。(兼原信克『安全保障戦略』)。

 健康危機について、政府中枢で情報と政策を統合する司令塔は、どのような組織とすべきか。

 現実的なのは、内閣官房コロナ室を発展的に改組し、これまで内閣官房にあった国際感染症対策調整室、新型インフルエンザ等対策室(インフル室)、内閣府の健康・医療戦略推進事務局、そして厚労省の「新型コロナウイルス感染症対策推進本部」を集約する形である。厚労省の対策推進本部には、医療体制やサーベイランス、PCR検査、保健所支援、そしてクラスター対策など、コロナ対策で中核を担う機能が集約されている。コロナ対策の総合調整にかかわる役割を内閣官房に集約する形になる。

 我が国は、検査キャパシティの増強、無症候者から重症者まで重症度に応じた医療提供体制の整備、日本全国でのワクチン接種など、情報と政策を統合して総力戦でなければ乗り切れなかった問題に多々、直面した。

 こうした経験の教訓は、司令塔が総合調整をになう関係機関が多岐にわたる、ということである。官邸や都道府県知事、内閣官房副長官補室(内政、外政)、厚労省、専門家助言組織、日本医師会など医療関係団体はもちろん、NSS、総務省、財務省、経産省、外務省、防衛省、文科省、そして内閣情報調査室などインテリジェンス・コミュニティ、危機の初動では内閣官房の事態室、さらには内閣府に新設される経済安全保障推進室、製薬企業とともに、健康危機管理について情報と政策を統合すべきだ。

司令塔機能、3つのオプション

 健康危機管理の司令塔として新設する組織には3つのオプションがある。

 報道によれば、政府は健康危機管理庁(仮称)を内閣官房に新設する方向だという。トップは官房副長官クラスをトップとし、ナンバー2は厚労省で医療・保健の重要施策を専門的観点から統理する事務次官級の医務技監が兼務するという。

 我が国の危機管理の本丸は内閣官房のNSSと事態室であり、これに近いことは必須である。司令塔は、内閣官房の総合調整権限を用い、企画立案と総合調整に専従すべきである。「庁」となることで司令塔が日々の予算執行に追われるべきではない。あくまで実働部隊は厚労省など関係省庁、そして地方自治体だ。平時に無理に人を集めてもムダになる可能性が高く、また厚労省などと兼務の職員が多くなれば、実体のないハリボテの組織になってしまう。

 NSSが政府内で一目置かれている理由は、内閣官房に外務省、防衛省、警察庁、経産省などから第一線の職員が集結し、自らの出身官庁の立場にとらわれず、我が国の外交・安全保障政策を推進することに誇りをもったチームが形成されてきたからである。目指すべきは、健康危機管理政策について、NSSと同様に総理直属で高い士気を持った人員を集めた、強いチームである。

 司令塔には司令塔の役割がある。司令塔は、健康危機という最悪の天候のなかでも飛行機、すなわち現場のキャプテンが安全に航行を続けられるよう、政府の関係省庁を束ね、企画立案と総合調整に徹するべきだ。内閣官房において最新の情勢を分析し、新しい脅威があればアジャイルに危機対応の重心を変え、行政及び医療提供体制のオペレーションを改善するよう指揮統制するのが司令塔の仕事である。

 そのための組織として、さらに二つのオプションが考えられる。

 一つ目は「健康危機管理局」。局長は内閣官房副長官(事務)の直下に置き、国家安全保障局長や内閣危機管理監と同格とする。いまは次官級である内閣官房コロナ室長から格上げとなる。

 二つ目は「健康危機管理室」。内閣官房副長官補(内政)の下に置き、コロナ室と同様に室長は次官級だが、コロナのみならず健康危機を幅広く所掌する。

 内閣官房で情報と政策を統合し、NSSや事態室、内調とも緊密に連携する観点からは「健康危機管理局」を創設するのが望ましい。

 あわせて重要なことは、トップの局/室長も、その下の次長や審議官も、NSSのように専従の幹部を配置することである。局/室長は健康危機においては統合幕僚長に相当する。有事には最高指揮官である総理大臣のもと、行政を常時指揮する統合司令官に相当するポストも置く必要がある。いずれにせよ司令塔の幹部は兼務では務まらない。

 この際、コロナという国家的危機を経験した政策当局者の経験を無駄にするようなことがあってはならない。歴史的に重要な外交・安全保障問題や東日本大震災、熊本地震を担当した行政官と同じく、コロナ危機対応の担当者は日本政府にとって何ものにも代え難い貴重な人材である。各省縦割りでなく、国として危機管理という専門性を尊重した横断的な人事が望まれる。平時から健康危機管理の専門性を有する人材を幹部として登用し、有事には司令塔から統合司令部に相当する組織へ切り替え、関係省庁から危機管理の経験者を招集する仕組みを整えるべきだ。

 そして有事には、総理が健康危機管理担当大臣を任命する。感染制御と社会経済活動とのバランスを見極めながら、対応の重心を決めるのは政治家の役割である。さらに大臣室には、政府外から補佐官や参与として専門家を登用できる権限を持たせるべきだ。コロナ対策では感染症対策や経済政策の専門家から構成される専門家助言組織が政府の意思決定を支えた。しかし日本では、諸外国で一般的な専門家の免責事項があいまいで、専門家には2年半以上、過重な負担がかかり続けた。また日本でも舞台裏では厚労省の元職員、民間のデータサイエンティスト、AI(人工知能)やシミュレーションの研究者など幅広い人材が活躍していた。しかし権限が不明確で、本業を犠牲に手弁当で活動していたケースも多かった。有事に政府内外の知見を集結し、長い危機にも持続的に対峙できるよう、政治任用の制度を整備すべきである。

 まだ続くコロナ危機、そして次の健康危機に備え、日本は健康危機管理の司令塔機能を強化し、情報と政策を「統合」しなければならない。3万人以上の国民が犠牲になったコロナ危機の経験を踏まえ、今度こそ、健康危機管理ガバナンスの強化という長年の宿題に向き合うべきである。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
相良祥之(さがらよしゆき) 公益財団法人 国際文化会館 アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)主任研究員。1983年生まれ。研究分野は外交・安全保障政策、経済安全保障、制裁、国際紛争、健康安全保障。民間企業、JICAを経て国際移住機関(IOM)スーダン(2013-2015)、国連事務局政務局 政策・調停部(2015-2018)、外務省アジア大洋州局北東アジア第二課(2018-2020)で勤務したのち現職。著作に『新型コロナ対応・民間臨時調査会(コロナ民間臨調)調査・検証報告書』(共著、2020年)など。国連ではニューヨークとスーダンで勤務しアフガニスタンやコソヴォでも短期勤務。東京大学公共政策大学院修了。ツイッター:https://twitter.com/Yoshi_Sagara
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