ここのところ日本の新聞や雑誌を見ていると、「台湾有事」という文字が見当たらない日はほとんどない。実際に有事が起きた場合、日本はどうすれば良いのか、というシミュレーションもいろいろな研究機関などによって頻繁に行われている。
筆者は、最近、台湾での研究生活を終えて帰って来たが、台湾での報道ぶりと比べても、日本での「台湾有事」の盛り上がりは著しい。またその議論の中身も特異で違和感を感じる。
そうした議論のほとんどは、台湾をどう防衛するか、ではなく、日本が台湾有事に巻き込まれないためにはどうしたら良よいか。あるいは、万が一巻き込まれても、被害を最小限に食い止めるのには、どうしたら良いか、という点に焦点が絞られている しかし、それで本当に充分なのだろうかという疑問を感じるのだ。そうしたアプローチで、日本の自由と安全、繁栄といった国益は守れるのだろうか。
日本に欠けている「戦略目標」論
一般論として、戦争に向けた準備をするには、まず、「戦略目標」を立てなければならない。何を達成すべき目標とするかだ。台湾有事に関していえば、日本は要するに 台湾を最終的にどうしたいと思っているのか、ということだ。武力侵攻の日本への波及を防ぎさえすればそれで良いのか。もし、台湾が中国に「統一」されてしまっても仕方ないと、はなから諦めるのかだ。その点について、突き詰めた議論は、政府内、国会でも見られない。日本の台湾有事論は、いわば、何となくの「巻き込まれ防止」論に見える
戦略目標を立てたら、次にそれを達成するための「方法と手段」を考えるという段取りになる。そこで初めて、有事シミュレーションで取り上げているような、自衛隊をどう関与させるか、米軍との協力をどの程度まで、どう実施するのか、という話になる。今、国会で盛んに議論されている「反撃能力」もこうした 「方法と手段」の一つだ。
最終的には、台湾との連携、協力をどうするかを考えなければならないはずだが、日本の議論でこの部分は決定的に欠けている。日本政府の定める、台湾との関係の枠組みが、「非政府間の実務関係」に限定されているからだ[1]。防衛省・自衛隊は、台湾との連携を表立って検討することもできない。その結果、日本での議論は「台湾不在の台湾有事論」となってしまっている[2]。
日本で現在進められている台湾有事論は、肝心の「目標」をきちんと設定することなく、台湾との連携もなしに、「方法と手段」だけを議論しているというのが実態だ。いわゆる「事態認定」や、反撃能力も、最終的に台湾でどのような状況(“end-state”)を生み出すために使おうとしているのか、それが明らかになっていない。こうした、いびつな議論の立て方は、当然、さまざまな弊害を招く。
「台湾不在」の弊害
まず、台湾と日本との間で、大きな期待のギャップを生んでしまっている。日本は台湾を防衛するとは言っていないのに、台湾側の世論の多くは、有事になれば自衛隊が駆けつけてくれて、防衛を手伝ってくれるものと思っている。
2021年11月に、台湾の民間シンクタンク、台湾民意基金会が公表した世論調査によると 中国が台湾に武力侵攻した場合を想定し「日本は出兵して台湾防衛に協力するか」と質問すると、回答した台湾市民のうち58.0%が「見込みがある」と答えたという。「見込みは無い」は35.2%だった[3]。
ちなみに 台湾でのこの種の世論調査の中には、日本の出兵に対する期待が、米国に対する期待を上回る結果が出たものもある。一方で、日本での世論調査では……
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