医療崩壊 (77)

今冬流行拡大必至でも、厚労省コロナワクチン「ファイザー一本化騒動」の愚

執筆者:上昌広 2023年8月1日
エリア: アジア 北米
厚労省は、新型コロナワクチンのファイザー製一本化に突き進もうとしたのだが(写真は加藤勝信厚労相)(C)時事
厚労省はワクチンをファイザー製に一本化する方向で調整してきた。結局モデルナ製も2割購入することになったが、米中の需要が高まれば、このままでは十分な量を確保できずに国民はリスクに晒される。

 新型コロナの夏場の流行が拡大している。筆者は、「ナビタスクリニック新宿」で外来診療を担当しているが、最近は発熱患者が増え、その約半分はコロナ感染だ。ナビタスクリニック新宿は新宿駅ナカという特殊な立地のため、受診者の多くは若年者だ。幸い、皆さん、軽症で問題なく治癒する。

 コロナ感染の拡大は東京に限った話ではない。感染症法上の位置づけが5類に変更され、感染の全貌が掴みにくくなったが、札幌市が公開している下水サーベイランスのデータ(図1)では、6月末に既に昨夏の最高レベルと並んでいる。その後、一時的に改善したものの、最近は再び急増している。他の地域も状況は大差ないだろう。そしてこの調子なら、今冬はさらに大きな流行がくるだろう。

図1 札幌市HPより

 我が国のコロナ対応の問題は、老衰や誤嚥性肺炎による、高齢者の死者が激増したことだ。感染を恐れて、自宅に閉じこもった高齢者が健康を害したためで、これは高齢社会ならではの問題だ。これに対応するには、高齢者にワクチンを接種し、日常生活を続けてもらうのがいい。

ファイザー「優位性」の説明は不正確

 7月28日、厚労省は、秋以降に接種予定の変異株対応コロナワクチンとして、米ファイザー社から2000万回接種分、米モデルナ社から500万回分を購入することで合意したと発表した。これは迷走の末、大きな禍根を残す決着だった。その実態を、背景も含めて解説したい。

 実は、当初、厚生労働省は、コロナワクチンの供給を米ファイザー社製に一本化しようとしていた。

 医薬業界誌『日刊薬業』が7月1日号で、以下のように報じている。

「今年の秋冬シーズンに向けて政府が購入する新型コロナウイルス予防用mRNAワクチンを巡り、厚生労働省がファイザー製ワクチンへの一本化を検討していることが分かった。モデルナ製ワクチンの購入量をゼロにするのか、減らすのかといった詳細は不明。背景には、モデルナ製の廃棄が多いことや、予算の効率化などがあるようだ」

「厚労省は政治家への根回しを始めた。厚労省の説明資料には、ファイザー製ワクチンの優位性が列挙されている。具体的には▽ファイザー製の方が発熱などの副反応発生率が低い▽ファイザー製の方が接種希望者が多い▽有効期限に差がある▽ファイザー製は5〜11歳の小児適応を持つ▽モデルナは過去に配送トラブルがあった▽従来株では免疫原性や臨床的有用性に有意差がないとの研究報告がある―ことが列挙されている」

 厚労省の説明は正確ではない。例えば、副反応の強さだ。ワクチン接種開始当初こそ、米モデルナ製ワクチンの副反応が問題視されたが、その後、この問題は改善した。米疾病管理センター(CDC)が発行する『MMWR』は、今年1月13日号に、オミクロンBA.4/5対応2価ワクチン接種初期に、米国のワクチン副反応データベース「v-safe」ならびに「VAERS」に報告されたデータを調べ、モデルナ2価ワクチンとファイザー2価ワクチンで副反応の頻度や中身に大きな違いは認められなかったという論文を掲載している。CDCの研究チームの報告だ。

 また、ファイザー製より、モデルナ製ワクチンの方が有効だったとの報告もある。昨年10月、英国の研究チームが英『ランセット』誌に発表した約3000万人を対象としたコホート研究(仮説として考えられる要因を持つ集団と持たない集団を追跡し、両群の疾病の罹患率または死亡率を比較する方法)によれば、3回接種後の重症転帰(入院および死亡)は、性別や年齢などのリスク因子によらず、モデルナ製ワクチン接種群で低かったという。

 モデルナ製ワクチンの優越性は、英オックスフォード大学や米ハーバード大学を中心とした約300万人を対象としたコホート研究でも示されている。この研究は、今年3月『英国医師会誌(BMJ)』で公開され、話題になった。

 私は、以上の研究を根拠に、ファイザー製よりモデルナ製のワクチンが優れていると主張するつもりはない。研究対象や時期が違えば、異なる結果になることもあるだろう。現に、そのような報告も存在する。このような状況から言えることは、両者に決定的な差がないということだ。

ワクチン確保の観点でリスク

 それなら、ワクチンの供給先を一本化することは、ワクチン確保の観点からリスクを負うことになる。実は今、日本で議論すべきはこの点だ。

 現在、世界中で流行しているのはオミクロン株XBB.1.5やXBB.1.16と称される変異株だ(図2)。従来のオミクロン株と比較して、このような変異株は感染力が強く、従来型のワクチンが効きにくい。今年1月、東京大学医科学研究所の研究チームが、英『ランセット感染症誌』に発表した研究によれば、XBB.1.5は従来型のXBB.1と比べて、実効再生産数(Re)が1.2倍高く、血清中の中和抗体に関しては、従来型のBA.2やBA.5と比べて、極めて高い免疫逃避能を持つと報告している。

図2 7月17日現在の世界の変異株の流行状況(英オックスフォード大学が提供する“Our World in Data”より)

 同様の研究結果は、他の研究チームからも報告されており、ファイザーやモデルナはXBB.1.5やXBB.1.16を対象とした新たなワクチンの開発を進めている。

 6月22日にモデルナ、23日にファイザーが米食品医薬品局(FDA)にXBB.1.5系統対応ワクチンを承認申請した。日本でも、両社とも、XBB.1.5系統対応ワクチンを厚労省に承認申請している。

 接種対象者は、ファイザーは生後6カ月以上、モデルナは12歳以上を想定しているなど、若干の差はある。厚労省は、今年9月から5歳以上の人を対象に行われる予定の追加接種で、このような変異株対応のワクチンを使用する予定だ。

 この状況で、ワクチンをファイザー製に一本化するのは無茶苦茶だ。理由は2つある。

 一つは、両社ともXBB.1.5系変異株に対する治験は小規模で、しかも抗体産生量などの血液データしか保有していない。ワクチン接種では、抗体価が上がっても、感染を予防できないことがある。両社のワクチンが、実際にどの程度、XBB.1.5変異株の感染や重症化を予防するかは、現時点では明らかでない。

 二つ目は、ファイザーやモデルナの開発した変異株対応ワクチンが有効でも、世界中に供給できるだけ、つまり日本に十分量を供給できるだけ、生産できるかはわからない。途中で不足する事態が起きてもおかしくない。

冬場の本格流行に備える

 特に、今冬は変異株対応ワクチンの需要が急増する可能性がある。それは、冬場の本格流行に備え、米中がコロナ対応に本腰を入れているからだ。

 5月24日、モデルナの米国本社は、中国の上海に資本金1億ドルで「モデルナ(中国)バイオテック」を登記したことを公表した。

 昨冬、ゼロコロナ政策を放棄した中国では、コロナが蔓延し、多くの死者を出した。弱毒であるはずのオミクロン株で大勢が亡くなったのは、中国製の不活化ワクチンの効果が低いからだ。国際交流・貿易を正常化し、経済活動を強化したい中国政府にとって、今冬の流行に備えて、有効なワクチンの確保は喫緊の課題だ。モデルナ中国法人の設立は、中国政府がモデルナ製ワクチンの確保に動き出したことを意味する。中国の人口規模を考えた場合、世界のワクチン需要は急増する。

 米国も同様だ。来年の大統領選を控え、米国政府は今冬のコロナ対応に余念がない。昨年9月には米国の保健当局が、冬の流行に備え、年1回のコロナワクチン接種勧奨とする方針を明かし、今年6月にはFDAが、XBB.1.5を接種勧奨すると表明している。今秋以降、米国でもコロナワクチンの需要が急騰することは必至だ。

 さらに、米国のコロナ対応をリードしたアンソニー・ファウチ前米国立アレルギー感染症研究所所長などは、コロナだけでなく、インフルエンザやRSウイルスなども大流行すると予想し、その準備を進めてきた。インフルエンザワクチンに加え、今年5月にはFDAが英グラクソ・スミスクラインとファイザーが開発したRSウイルスワクチンを承認し、年内に60歳以上や持病を有する人を対象に接種を開始予定だ。このような状況をファウチ氏は「トリプルデミック対策」と称している。

 このあたり、日本の状況とは全く違う。「製薬企業にとって米中は特別な二国で、それ以外の先進国は横一線(外資系製薬企業幹部)」というのが現状だ。今冬、米中を中心に世界中で需要が高まった場合、日本が十分量のコロナワクチンを確保できる保証はない。ファイザー一本化など、論じている場合ではない。あまりにも世界の情勢に無頓着だ。

 昨夏、厚労省のコロナ専門家会議委員、アドバイザリーボードのメンバーを務めた和田耕治・国際医療福祉大学教授(当時)が、ファイザーに転職し、一部のメディアは利益相反を批判した。まさかとは思うが、このような人間関係が、ファイザー製一本化に影響しているのならば重大な問題だ。

 厚労省の幹部は、ファイザー一本化の必要性を強調した資料を作成し、国会議員に根回しした。流石に、このやり方には、多くの関係者が反発した。そして、「全体の2割をモデルナ製としてお茶を濁した」(厚労省関係者)のが実態だ。これでは、問題は全く解決しない。ファイザー製ワクチンに問題が生じた場合、米国や中国と競争して、必要量のモデルナ製ワクチンを確保できないからだ。多くの国民をリスクに晒すことになる。

 今冬のコロナワクチン確保は、世界情勢を踏まえて、安全保障の観点からの議論が必要だ。

 

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執筆者プロフィール
上昌広(かみまさひろ) 特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。
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