ハマス大規模テロ――なぜドイツはイスラエルを支持するのか

執筆者:熊谷徹 2023年10月20日
エリア: 中東 ヨーロッパ
メルケル前首相が15年前にイスラエル議会で語った「国是(Staatsräson)」をショルツ首相も強調した[イスラエルへの支持と連帯を示すデモに参加する人々=2023年10月14日、ドイツ・フランクフルト](C)AFP=時事
ハマスによるイスラエルに対する大規模な攻撃は、ドイツ人たちにも強い衝撃を与えた。ショルツ政権はイスラエルを全面的に支持する姿勢を、米国と肩を並べる形で打ち出した。その背景には、ナチスによるユダヤ人虐殺を決して相対化せず、国家として永久に責任を認めるという「国是」がある。

 ドイツのオラフ・ショルツ首相は10月8日、「我々はイスラエル側に立つ。私はベンヤミン・ネタニヤフ首相と電話で会談し、強固な連帯と支援を約束した」という声明を発表した。ショルツ首相は「ハマスのテロリストたちは、イスラエル人の家に押し入り、子どもも含めて市民を無差別に殺害し、ガザ地区に連行して人質にした。その行為は野蛮であり、我々を憤激させる。このような所業を正当化するものは、何もない」と述べ、ハマスを厳しく非難した。

 さらにショルツ首相は、「私は、家族、子ども、友人を殺された多数のイスラエル市民、負傷した人々、ハマスのさらなる攻撃に怯えている人々に思いを寄せる。ドイツは皆さんの味方だ」と述べた。

子ども、女性も無差別に虐殺

 10月14日付のウォールストリート・ジャーナル電子版によると、ハマスが10月7日に始めた大規模テロによるイスラエル側の死者数は、約1300人に達し、約4300人が重軽傷を負った。イスラエルは1948年の建国以来、多くの戦争を経験してきたが、これほど多数の民間人が数日間の攻撃で死亡したのは初めてである。イスラエルのイチャーク・ヘルツォグ大統領は、「ホロコースト(ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺)以来、これほど多くのユダヤ人が殺されたのは初めてだ」と衝撃を露わにした。

 ハマスのテロリストたちはガザ地区を囲むフェンスを約30カ所で破ったり、小型エンジン付きのパラシュートでフェンスを越えたりして、イスラエル南部の約20ヶ所の市町村、共同農場(キブツ)などを襲った。

 ある家では、夫と妻が押し入って来たテロリストに射殺された。10歳の長男は、自室に隠れていたために生き残った。あるイスラエル人の夫婦は、2人とも軍の将校で、自宅に武器を持っていた。彼らは2人の子どもを自宅の秘密の避難室(イスラエルでは万一に備えてこのような部屋を持っている家庭が多い)に隠れさせると、自動小銃でテロリスト7人を射殺したが、自分たちも殺された。41歳の医師は、共同農場から逃げずに、傷ついた住民の手当てをしているところを、テロリストに射殺された。彼は4人の子どもの父親だった。

 ガザ地区との境界から約5キロの所にあるレイム共同農場の近くでは、音楽祭が開かれ、イスラエル人の若者たちが早朝からテクノミュージックに合わせて踊っていた。そこにAK47型自動小銃を持ったテロリストたちが襲いかかり、逃げ惑う若者たちを次々に射殺した。ある若者はスマートフォンで父親に電話し、「パパ、すぐに警察を呼んで。私の周りは殺された人だらけだ」と叫んだ。父親は「すぐに電話を切って、死んだふりをしなさい」としか言えなかった。乗用車のドライブ・レコーダーには、若者たちが撃ち殺される様子が録画されていた。イスラエル軍が約9時間後に到着した時、現場には264人の射殺体が残されていた。死んだふりをして助かった若者は、イスラエルのメディアに対して、「テロリストたちは、イスラエル人を撃ち殺す際にゲラゲラ笑っていた。彼らは楽しんでいた」と証言している。

 ベーリ共同農場でも多数の市民が殺され、多くの建物が放火されて焼け落ちていた。イスラエル側は、ウエブサイトで民間人が虐殺された共同農場の現場写真をネット上で公開している。女性や子どもが血まみれになって横たわっている。血で覆われた床やベッド。射殺されて歩道に放置された市民の遺体。イスラエル政府は、ネット上に流している広報ビデオの中で、ハマスとテロ組織イスラム国(ISIS)を同列に並べている。

200人を超えるイスラエル人・外国人が人質に

 バイデン政権の発表によると、死者の中には22人の米国人も含まれている。その理由は、イスラエルが二重国籍を認めているからだ。外国に住むユダヤ人も、希望すればイスラエルのパスポートを取得できる。米国のユダヤ人の中には、この国に移住する者が少なくない。共同農場で働いていたネパール人、タイ人、フィリピン人の労働者たちもハマスの凶弾に倒れた。

 イスラエル国防省の10月20日の発表によると、ハマスのテロリストたちは約200人のイスラエル人・外国人を誘拐してガザ地区に連行し、人質にした。その内30人が未成年で、20人が60歳を超えている。10月20日付のロイター電子版によると、少なくとも20人の米国人が10月7日以来行方不明になっている。10月14日のドイツ外務省の発表によると、ドイツ国籍も併せ持つイスラエル市民8人が人質にされている。

 ハマスは、「イスラエル軍がガザ地区への総攻撃を始めた場合、人質を処刑してその映像をインターネット上に流す」と発表した。人質には、米国人、ドイツ人も含まれている。米国が、テロリストとの近接戦闘や人質救出のための訓練を積んでいる特殊部隊デルタ・フォースとネイビー・シールズの隊員をイスラエルに送り、イスラエル軍のガザ地区での救出作戦を支援するという報道もある。10月18日のドイツ公共放送連盟(ARD)の報道によると、ドイツ連邦軍も、人質救出や対テロ戦闘に習熟した特殊部隊KSKをイスラエルに近いキプロスに派遣した。イスラエル軍も、200人近い人質を敵地から救い出すという作戦の経験はないからだ。

 イスラエル軍の発表によると、ハマスは10月7日以来、約2200発のロケット弾を、イスラエルに向けて発射した(ハマスの発表は、5000発)。イスラエルの防空ミサイルシステム「アイアン・ドーム」も、これだけ多数のロケット弾を全て迎撃することはできなかった。一部のロケット弾はイスラエル南部の住宅街や病院などに落下し、死傷者を出した。

 同国のネタニヤフ首相は、10月7日に戦争状態を宣言し、30万人の予備役兵士を動員した。彼は「この戦争は試練に満ちたものになり長期化する」と断言した。普段は余裕に満ちたネタニヤフ氏の表情には、苦悩と狼狽がはっきりと表れていた。

 いま多くのイスラエル人たちは、自国内で起きた惨劇に茫然としている。私の知人のイスラエル人女性は、「これは悪夢だ」と語った。イスラエルの主要都市・テルアビブ在住の作家リジー・ドロンさんは、ドイツの日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)のインタビューで、「私はこの国が安全な故郷だと思っていたが、それは間違いだった。イスラエルが自分の祖国であるという気持ちが薄れた。ハマスの大規模テロ以降、この国は以前と違う国になってしまうだろう」と語っている。

 イスラエルの都市・ハイファに住むオファー・ワルトマンさんも、ARDのニュースサイトで「10月7日以来、悪い夢を見ているかのようだ。時間が経つにつれて、家族や友人を殺されたり誘拐されたりした人々からの報せが届く。この野蛮な出来事を、どうやって子どもたちに説明したらよいのかわからない」と不安をぶちまけている。これらの証言から、10月7日の大規模テロはイスラエル人にとって、米国で2001年に起きた大規模テロ9・11に匹敵する出来事であることがわかる。イスラエル人たちからは「10月7日以降のイスラエルは、それ以前のイスラエルとは違う国になった」という声をよく聞く。つまり彼らは、民家にテロリストが押し入り、市民を虐殺するような事態がイスラエル国内で起こるとはこれまで夢にも思わなかったのだ。10月7日は、イスラエルの「不敗神話」、「安全神話」を打ち砕いた。

「イスラエルの安全を守ることはドイツの国是」

 さて10月8日にショルツ首相が発表した声明の中に、興味深い言葉がある。それは、「イスラエルの安全を守ることは、ドイツの国是(Staatsräson)だ」という言葉である。これはアンゲラ・メルケル前首相が今から15年前にイスラエル議会(クネセト)で行った演説の中で使った言葉である。

 2008年3月18日、メルケル首相(当時)は、クネセトで約24分間にわたって演説した。イスラエルが建国60周年を迎えたことに敬意を表わすためである。この演説は、ドイツとイスラエルの歴史の中で最も重要な演説の一つである。

 彼女の演説の中では、歴史認識が重要な位置を占めた。ドイツの首相が、ナチスによる弾圧の最大の被害者、ユダヤ人たちの前で歴史認識について語る。これは、地雷原を歩くような、緊張を強いる作業だ。

 クネセトの演壇に、黒いスーツに身を固めたメルケルが立った。普段は冷静沈着な態度で知られるメルケルも、さすがにこの日は、緊張のために顔をこわばらせていた。彼女は、慎重に言葉を選びながら、こう語った。

「(ナチスによる犯罪という)ドイツの歴史の中の道徳的な破局について、ドイツが永久に責任を認めることによってのみ、我々は人間的な未来を形作ることができます。つまり我々は、過去に対して責任を持つことにより、初めて人間性を持つことができるのです」

「ドイツの名の下に行われた大量虐殺により、600万人のユダヤ人が犠牲になりました。このことはユダヤ人、欧州、そして世界に表現しようのない苦しみをもたらしました。ショア(ユダヤ人大量虐殺)は、我々ドイツ人を恥の気持ちで満たします。ショアは、人間の文明を否定した行為であり、歴史に例がありません。私は犠牲者、そしてユダヤ人を救った人々の前に頭(こうべ)を垂れます」。メルケルはこう述べて、ユダヤ人たちに対して謝罪した。

 さらにメルケルは、「ナチスの残虐行為を相対化しようとする試みには、敢然と立ち向かいます。反ユダヤ主義、人種差別、外国人排斥主義がドイツと欧州にはびこることを、二度と許しません」と誓った。そして彼女は、「このドイツの歴史的な責任は、ドイツの国是の一部です。ドイツ首相である私にとって、イスラエルの安全を守ること、これは絶対に揺るがすことができません」と断言した。

 この言葉によって、ドイツはイスラエルが紛争に巻き込まれた場合、原則としてイスラエル側に立つというメッセージを全世界に送った。

 イスラエルの国会議員たちは、演説が終わると席から立ち上がり、長々と拍手を送った。

 メルケルの演説は、イスラエルの知識人の間で高く評価された。ハイファ大学国家安全保障研究センターのダン・シュフタン教授は、私とのインタビューの中で次のように述べて、この演説を称賛した。「メルケルは、イスラエルが占領地域に入植地を建設していることについては、批判的だ。このためネタニヤフ首相とも仲が悪い。しかし彼女は、この演説によって自分がイスラエルの友人であり、将来もイスラエルの側を離れないという姿勢をはっきり示した。私はベルリンでメルケルに会った時、『あなたの演説には感銘を受けました』と伝えた」。

 シュフタン教授は、私とのインタビューの中で、「我々イスラエル人は、ドイツ人が歴史から教訓を真に学んだことを理解している」と断言した。彼は「メルケル首相の謝罪は、本物だ。ドイツ人は過去についての教訓を非常に良く学んだために、平和主義の傾向が強くなり、国外での軍事活動に消極的だ。私は、ドイツがすでに民主主義国家になっているのだから、紛争地域での平和維持軍に参加し、国際的な危機管理についてもっと積極的な役割を果たしてほしいと思っている」と語る。彼によると、ドイツの多くの市民の間で根強い平和主義は、ナチス時代の過去を反省する思想が根付いたことの裏返しである。

ハイファ大学安全保障センターのダン・シュフタン教授はメルケル前首相に対して中東問題に関するアドバイスを行っていた [写真:筆者撮影]

ナチスの犯罪に対する負い目

 ショルツ首相は、メルケル前首相の路線を継承して、ハマスによる大規模テロという危機的な事態において、イスラエル支持の姿勢を改めて打ち出した。ドイツのイスラエル寄りの姿勢の背景には、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺に対する「負い目」があるのだ。

 読者の中には、「ショルツ首相の声明にはパレスチナ人に対する同情が表われていない。『天井のない牢獄』と呼ばれるガザで多くの市民が苦しんできたこと、2008年のイスラエル軍のガザ侵攻によって、多数のパレスチナ市民が死亡したことに対する怒りと憎しみが、今回のハマスの攻撃につながった」と考える人もいるだろう。多くのパレスチナ人は、「イスラエルこそテロ国家」と考えているに違いない。だが現在のところ、ドイツを含むEU(欧州連合)加盟国の政府は、一丸となってイスラエルを支持している。主要メディアでも、「イスラエル人とパレスチナ人の紛争は、どっちもどっち」とか「イスラエルも悪い」という論調は全く見られない。

 ドイツ政府は、イスラエルに対する軍事支援にも踏み切る。ドイツ国防省の10月12日付の発表によると、同国のボリス・ピストリウス国防大臣は10月12日、「イスラエルからリースされている2機の「ヘロン」型ドローンを返還する他、軍事資材や医療物資も供与する」と語った。

 同国の緑の党の議員たちの間からも、イスラエルに対して武器を供与するべきだという意見が出ている。同党のアンナレーナ・ベアボック外務大臣は、「イスラエルは自衛する権利がある」と語った。

 イスラエルは1967年6月の六日間戦争で、エルサレム東部やヨルダン川西岸などを占領した。国連の安全保障理事会は同年11月に採択した決議第242号の中で、イスラエルに対して占領地からの撤退を要求した。イスラエルはこうした決議を無視して、ヨルダン川西岸地区に、イスラエル人の入植地を建設している。占領地域に住むイスラエル人の数は、60万人に達する。欧州諸国は、「イスラエルの入植地建設は国際法に違反する行為だ」として批判してきたが、イスラエルに対して経済制裁などの厳しい措置は取らなかった。つまり、国際法に違反する状態が長年にわたって放置されてきた。このこともパレスチナ人が「国際社会はダブルスタンダード(二重標準)を使っている。我々は忘れ去られている」という不満を抱く原因となっている。しかもイスラム諸国は1970年代に比べるとパレスチナ問題に強い関心を抱いていない。21世紀には、むしろイスラエルと経済関係を深めたいと考える国が増えている。2020年9月にアラブ首長国連邦が米国の仲介でイスラエルと外交関係を樹立したのは、その一例である。

 読者の中には、「パレスチナのテロ組織やヒズボラ(神の党)から攻撃されると、なぜイスラエルは不釣り合いなほど強大な軍事力を投入し、倍返しで反撃するのか」と不思議に思う人が多いだろう。確かに、過去のガザ地区での戦闘の詳細を読むと、民間人に死傷者が出ても気にしないイスラエル軍の振る舞いは、やり過ぎと感じられる。

 たとえば、2009年のガザでの戦闘では、イスラエル軍の戦車がパレスチナ人医師イゼルディン・アブエライシュ氏の家を砲撃した。このため、アブエライシュ氏の14~21歳の娘3人が即死し、1人が重傷を負った。その内2人の娘の首は、爆風によって胴体からもぎ取られ、天井には脳漿が飛び散っていた。

ガザ地区壊滅の危険

 イスラエル軍はパレスチナのテロ組織のメンバーを掃討するためには、パレスチナ市民に犠牲が出ることもいとわない。イスラエルの非情さの背景にも、過去の経験がある。ナチスによる迫害など、1945年までにユダヤ人たちが味わった辛酸、そして建国後の幾多の戦争が、イスラエルを強大な軍事国家にした。1948年にイスラエルが建国されてからこの国が最初に体験したのは、各国政府からの祝福ではなく、周辺諸国からの武力攻撃だった。つまりイスラエルは生まれた直後から、戦争を体験してきた。この国は、原則として自分の武力しか信用しない。今中東で起きているのは、かつて被害者だった人々の国が、強大な武力で別の民族を圧迫するという、暴力の連鎖である。

1948年5月14日にイスラエル建国を宣言するダビッド・ベングリオン初代首相 [写真:テルアビブの建国記念館にて筆者撮影]

 10月7日以降、イスラエル空軍はガザ地区のハマスの拠点を繰り返し爆撃している。国連難民高等弁務官(UNHCR)の10月17日の発表によると、この空爆により子どもを含む4200人が死亡し、約1万2500人が重軽傷を負った。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は、同局の職員14人がイスラエル軍の空爆によって死亡したと発表した。子どもや国連職員まで殺害されるのでは、無差別爆撃と批判されても仕方がない。

 イスラエルは地上戦の開始を前に、ガザ市の住民に対し、ガザ地区南部に避難するよう勧告。このためガザ市民約100万人が、住居を追われた

 イスラエル政府は、一時ガザ地区への電力、天然ガス、水、食料などの供給を全て停止した。これに対しEU加盟国は、「ガザ地区への人道的援助を停止すると、逆に市民の欧米に対する恨みとハマスに対する支持が強まる恐れがある」として、食料や医薬品などの人道的援助は続ける方針だ。

 イスラエル政府は10月19日に、エジプトからの人道援助物資のガザ地区への搬入を許可したが、ガザ難民たちへの食料や水の供給はまだ始まっていない。

 イスラエル地上軍がハマスを壊滅させるためにガザ地区に侵攻するのは、時間の問題だ。1000人を超える同胞を殺されて憤怒に燃えたイスラエル軍の将兵たちは、ガザ地区でハマスのメンバー、市民を見境なく殺傷する危険がある。ガザ地区の市民は、過去の戦争を上回る破壊と暴力を経験するだろう。ガザ地区での地上戦で多数の死者が出た場合、ドイツやフランスなど欧州諸国に住むイスラム教徒たちが強く反発して、反ユダヤ主義が強まる危険もある。ベルリンでは10月18日に何者かがシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝施設)へ向けて火炎瓶を投げた。ドイツ、フランス、英国、トルコなどでもパレスチナ人を支援し、イスラエルを非難する市民のデモが多発している。10月13日にはフランス北部のアラスの学校でフランス人教師が「アラーは偉大だ」と叫ぶ男に刺殺された。10月17日には、ISISを信奉するチュニジア人が、路上で通行人2人を自動小銃で射殺した。捜査当局は、いずれの事件の背景にもイスラエルとハマスの間の戦争があると見ている。今後欧州では、2010年代後半のように、イスラム過激組織による無差別テロが増える可能性がある。

なぜ諜報機関は予兆をつかめなかったのか

 私は、今回のハマスの大規模テロ「アル・アクサ洪水作戦」の一報を聞いて、「なぜイスラエルの諜報機関モサドやシン・ベトはこれほどの作戦を事前に察知できなかったのか」と不思議に思った。10月7日は、シムハット・トーラ(律法感謝祭)というユダヤ教の祝日だった。ちょうど50年前の1973年のユダヤ教の祝祭ヨム・キップール(贖罪の日)にアラブ諸国がイスラエルを一斉に攻撃し始めた時、同国が事前にその予兆を察知できず、多数のイスラエル兵が戦死したのに似ている。祝日を狙って大攻勢を始めるというのは、戦争で時々使われる手だ。

 それにしても、ガザ地区周辺の警戒は手薄だった。音楽祭の会場でテロリストに襲われ、灌木などの陰に隠れて生き延びた若者たちは、「最初のイスラエル軍兵士が現場に到着するまで、9時間もかかった」と証言している。イスラエルが四国くらいの大きさの小国であることを知っている私には、なぜこんなに時間がかかったのか理解できない。

 ハマスは3000発を超えるロケット弾を製造し、小型エンジン付きのパラシュートによるイスラエル侵入という新戦法も準備していた。殺害されたテロリストの軍服からは、詳細な作戦命令書も見つかっており、この作戦が周到に準備されていたことがわかる。モサドやシン・ベトなど世界で最も優秀な諜報機関を持っていると言われたイスラエルが、これほど大掛かりな作戦の予兆をキャッチできなかったことは、驚きである。「中東で最も強大な軍事国家イスラエル」のイメージが深い傷を負い、「イスラエルに痛手を負わせることは可能だ」というメッセージを世界中に送ったことは、ハマスにとって一定の「戦果」だ。

 私自身、テロに対するイスラエルの警戒態勢が、過去に比べて緩んできたという印象を持っていた。

 私はNHKで8年間記者として働いた後、1990年からドイツのミュンヘンに住み、フリージャーナリストとして欧州諸国について取材、執筆を行っている。その過程でイスラエルにも強い関心を持ち、2003年以来11回訪れた。ドイツが過去に犯した犯罪について理解するためには、さらに中東情勢を始めとする国際問題について報じるためにも、イスラエルという国を知ることが不可欠だからだ。

イスラエル軍の若い兵士たち [写真:2019年にエルサレムの嘆きの壁の前で筆者撮影]

 私がイスラエルで学んだことは、この国ほど世界で治安の確保にコストと時間をかけている国はないということだった。

 私が初めてイスラエルに行った2003年は、イスラエル軍とパレスチナのテロ組織ハマス、ファタハなどが第2次インティファーダと呼ばれる武装闘争を繰り広げている真っ最中だった。ヨルダン川西岸やガザ地区からのテロリストたちが、エルサレムやテルアビブのレストラン、喫茶店、商店街、リゾート地、バス停留所などで自爆テロを頻繁に行っていた。ある朝、イスラエルの英字新聞を広げると、1ページ全体に写真が印刷されていた。パレスチナのテロリストに爆破された乗り合いバスの残骸だ。バスの骨組みからは、イスラエル人の遺体がぶら下がっている。自分の乗ったタクシーが乗り合いバスの横を通る時には、いつこのバスが爆発するかわからないと思って、肝を冷やした。

 当時エルサレムやテルアビブのレストランや喫茶店の入り口には、ウージー型短機関銃を持ったガードマンが立ち、店に入る前にショルダーバッグの中身を見せなくてはならなかった。ホテルの入り口にも金属探知機が置かれていた。テルアビブの地中海に面した遊歩道では、自動小銃を持った兵士たちが常にパトロールしていた。海岸で散歩をする市民たちは、兵士たちに握手を求め、「どうも有難う」と声をかけていた。

 私は初めてエルサレムに行った時、イスラム教徒が多い、町の東部のアラブ人が経営するレストランで食事をした。アラブ料理店が自爆テロリストに狙われる危険は少ないと考えたからだ。この頃のエルサレムでは、自爆テロの危険のために、閑古鳥が鳴いていた。エルサレムのホテルの中には、三泊すると、二泊目は料金が50%、三泊目は無料になるホテルもあった。

 当時イスラエルでは、入国する時よりも出国する時の検査の方が厳しかった。テロリストが空港や航空機の中で爆弾テロを行うことを警戒していたからだ。まずタクシーでベングリオン国際空港に通じる検問所に着くと、M16型自動小銃を持った兵士たちがパスポートを調べ、タクシーのトランクを開けて点検する。空港では、トランクをX線検査機に通した後、全てのトランクを開けさせて係官が中身を徹底的に検査した。私のトランクから、係官はチューブ入りの歯磨きや目覚まし時計を取り出して、入念に検査した。チューブ入りの歯磨きは、可塑性の爆薬である可能性があるからだ。

 さらに、係官による面接もある。職業は何か、イスラエルでは誰に会ったかを説明しなくてはならない。イスラエルでのアポイントメントの一覧表や会った人の名刺の提示を求められた。ヨルダンなどイスラム教徒が多い国のスタンプがパスポートに押されている場合、なぜヨルダンに行ったのかを説明しなくてはならない。外国の空港で働く係官たちは、しばしば退屈そうにしているが、イスラエルは違った。彼らは「自分たちは国を守っているのだ」という情熱に燃えているかのように、真剣に働いていた。

 イスラエルの多くの企業には、万一の時に避難するための窓がない部屋が用意されており、食料や水、ガスマスクが置かれていた。ドアと戸口の間はゴムで目張りされて、外気が入らないようになっていた。イランなどの敵国が化学兵器を搭載したミサイルでイスラエルを攻撃する事態に備えるためだ。

 イスラエルは私が訪れた国の中で、多くの市民が「国防」に前向きなこと、必要不可欠なものと見なす傾向が最も強い国だった。当時イスラエル市民の男性には3年間(現在は2年8カ月)、女性には2年間の兵役義務があった。しかし大半のイスラエル市民は、まるで軍隊がボーイスカウトかガールスカウトだったかのように、「軍での勤務は楽しい経験だった」と語った。イスラエル軍で敵国のサイバー攻撃からの防御や敵国へのハッキングを担当する8200部隊に所属した市民の中には、軍で学んだ知識や培った人脈を生かして、退役後IT企業を起業する者も多かった。イスラエルが世界でも有数のIT立国、スタートアップ国家になった背景には、軍と経済界の間の密接な関係がある。

自爆テロを大幅に減らしたガザ地区の「壁」

 第2次インティファーダが続いていた頃、イスラエルのメディアは、「自爆テロの内70%は未然に防がれている」と報じていた。イスラエルの国内諜報機関シン・ベトはテルアビブ郊外の情報センターで、テロ組織のメンバーの電話の盗聴、銀行口座の動き、監視カメラの映像などからの情報を総合し、大半の自爆テロ計画を防ぐことができたというのだ。シン・ベトがパレスチナのテロ組織の中に持っていたスパイ、協力者からの情報も、テロ回避に役立ったことは言うまでもない。

 だが自爆テロを減らすためには物理的な分離が必要と考えたイスラエルは、パレスチナ人が主に住む地域とユダヤ人が多い地域の間に壁を建設して、ヨルダン川西岸地区やガザ地区からの自爆テロリストの侵入を防ごうとした。イスラエル政府は2002年に全長708キロメートルの壁の建設を開始した。かつてイスラエルはガザ地区にも軍の拠点を置き、入植地を持っていたが、2005年9月には軍をガザ地区から撤退させ、入植地も閉鎖した。ガザ地区はフェンスで囲まれた、「天井なき牢獄」となった。

 2012年には、ヨルダン川西岸地区と主にユダヤ人が住む地区を分割する壁の約62%が完成した。これ以降自爆テロの件数は大幅に減った。2003年にはテルアビブやエルサレムなどで12件の自爆テロが発生し、イスラエル人135人が死亡した。2004年には8件の自爆テロのために86人が犠牲になった。だが2015年、2016年に起きた自爆テロの件数は、それぞれ1件ずつに留まり、死者はゼロだった。つまり壁は、自爆テロによる被害を減らす上で効果を示したのだ。

 私は2015年にイスラエルを訪れた時、「2003年に比べてテロに対する警戒が大幅に緩和された」と感じた。ホテルの入り口の金属探知機や、レストランの入り口のガードマンも見られなかった。空港から出国する時の検査も、2003年ほど厳しくなくなった。海岸の遊歩道をパトロールしていた兵士たちの姿も消えた。2015年頃から2020年のコロナ・パンデミック勃発まで、テルアビブやエルサレムなどは、多くの外国人観光客で賑わい、新しいホテルが次々に建設された。つまり壁建設によって自爆テロの件数が大幅に減ったことで、イスラエルの警戒態勢が緩んでいた可能性もある。

 また近年イスラエル軍が、テロリスト摘発のための活動の中心を、ヨルダン川西岸地区のジェニンやヘブロンなどに置いていたことも、ガザ地区の警戒が手薄になった理由の一つかもしれない。イスラエル軍はガザ地区のフェンス周辺に多数の監視カメラやセンサーを設置し、ドローンでフェンス周辺の状況を監視していた。イスラエル軍のハイテクノロジーへの高い信頼と依存が、ガザ地区周辺での警戒を緩ませたという見方もある。

司法改革で深く分断されたイスラエル社会

 もう一つの理由は、ここ数年間のイスラエルの内政上の混乱である。テルアビブ在住の作家リジー・ドロンさんは、ネタニヤフ政権に批判的な、リベラル派に属する市民である。彼女は、ネタニヤフ政権が目指した司法改革をめぐり、イスラエル社会が大きく二つに分断されていると語る。ネタニヤフ首相は、2021年6月に政権樹立に失敗し、首相の座を退いた。彼は汚職や詐欺の疑いで検察庁から起訴されていた。だがネタニヤフ氏は2022年12月に、保守的な正統派ユダヤ教徒を支持基盤とする、極右政党の助けを借りて、首相に再選された。

 イスラエル社会をリベラル派と保守派の間で真っ二つに割っていたのは、ネタニヤフ政権が目指す「司法改革」だ。司法改革が実現すると、議会は裁判所の判決に反した決定を行うことができるようになる。裁判所の判決を無効化するに等しい。さらに、政府の代表が、裁判官選任委員会の中で過半数を占められるようになる。これも、裁判所に対する政府の統制を強めるための措置だ。

 リベラル派の市民は、「ネタニヤフ首相の意向が実現したら、三権分立が廃止され、イスラエルは法治国家ではなくなる」と主張し、しばしば15万人もの市民がテルアビブなどで抗議デモを繰り広げた。イスラエルはこれまで、中東で唯一の民主主義国家だった。だがネタニヤフ首相の目論見は、この国を大きく変質させる危険がある。つまりネタニヤフ政権は、内政の混乱に気を取られて、ガザ地区で準備されていた大規模テロの予兆をキャッチすることに失敗した可能性がある。

 ちなみにネタニヤフ首相は、10月9日の記者会見で、「我々は中東を変える」と述べた。これは何を意味するのだろうか。私は、彼が考えているのはイスラエルの仇敵イランだと思う。しかし今回の大規模テロで利益を得たのはイランだ。イラン政府は、ハマスの大規模テロへの関与を否定した。だがガザのテロ組織ハマスとイスラム聖戦機構がイランによって武器や資金面での援助を受けていることは、中東では公然の秘密だ。

 さらにイラン政府のホセイン・アミール・アブドラヒアン外務大臣は10月17日に「抵抗戦線の予防的行動は、今後強まる。抵抗戦線はイスラエルがガザ地区などでこれ以上軍事行動を取ることを許さない。抵抗戦線は、イスラエルとの間で長期戦を行う用意がある」と語った。抵抗戦線とは、イランだけではなくレバノンのヒズボラ、イエメンのフーシの他、シリアやイラクなどの親イラン武装勢力を意味する。ドイツの論壇では、イラン外相のこの発言は、イランの強硬姿勢を示唆するものと解釈されている。ドイツの半官半民の研究機関「科学政治財団」のハミドレザ・アジジ研究員は、ドイツの日刊紙に対して「アブドラヒアン外相は、イスラエルに抵抗する勢力のスポークスマンのような役割を果たしている」と述べている。

 ハマスの大規模テロは、イスラエルがサウジアラビアとの間で目指していた関係改善に水をさした。イスラエルとサウジアラビアはイランを中東最大の脅威と見なし、諜報機関が協力を始めていた。だがハマスのテロによって、両国の関係改善は当面の間棚上げになった。サウジアラビア政府は、アラブ世界で高まるイスラエル批判を無視して、ネタニヤフ政権との関係回復を進めることはできない。漁夫の利を得たのは、イランである。

イスラエルとイランの対決に?

 イラン政府は、イスラエルを壊滅させると公言している。イスラエルの北のレバノンでは、テロ組織「ヒズボラ」が、イランから供与されたミサイルやロケット弾約14万発を保有している。イスラエルのガザ侵攻が始まった場合、ヒズボラがハマスを支援するために、北方からのイスラエル攻撃に踏み切る可能性がある。イスラエル政府が、レバノン国境から2キロ以内の地域の住民の疎開を命じたことは、ヒズボラとの戦争の可能性が高まっていることを示している。この場合、ネタニヤフ政権は二つの戦線で戦うことになり、窮地に追い込まれる。米国のバイデン政権がUSSドワイト・D・アイゼンハワーと、USSジェラルド・R・フォードの二隻の空母打撃群を地中海東部に派遣したのは、ヒズボラやイランがイスラエルの戦争に介入しないように牽制するためだ。米国の空母派遣は、中東の緊張がハマスの大規模テロによって一気に高まったことを示している。

 イスラエル市民の間では、「最悪の場合、イランとの戦争になるかもしれない」という声もある。ネタニヤフ政権が、ハマスの大規模テロにイランが介在していたという証拠を見つけた場合、同国はイランに対する報復に踏み切るかもしれない。イスラエルは、イランの核開発に強い懸念を抱いており、欧米中 によるイランとの核合意にも批判的である。イスラエルとイランの間で戦争が起きた場合、ここ数年中東に漂っていた「雪解けムード」は雲散霧消するだろう。

 日本ではハマスの大規模テロについて、遠い国の出来事だと思っている人が多いかもしれない。私はそうは思わない。日本は輸入する原油の約90%を中東地域に依存している。私自身は、エネルギー源や重要原材料などの50%以上を一つの国や一つの地域に依存することは危険であり、避けるべきだと考えている。ハマスの大規模テロは、我々がエネルギーを大きく依存している地域が、一瞬の内に情勢が急転する不安定な地域であることをはっきり示した。我々日本人は、世界各地での地政学的リスクが高まる中、エネルギーの自給率を高める努力を一刻も早く始めなくてはならない。

 

【参考文献】

 

 

  

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執筆者プロフィール
熊谷徹(くまがいとおる) 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。
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