インテリジェンス・ナウ

「ハマスに騙された」と元イスラエル情報機関長官:戦場に残されたインテリジェンスから深層判明

執筆者:春名幹男 2023年11月28日
エリア: 中東
2022年12月、ガザでのハマス創設35周年記念集会に登場したヤヒヤ・シンワル氏(中央)。この時すでに、今回のイスラエル奇襲を計画していた (C)Anas-Mohammed / Shutterstock.com
ハマスによるイスラエル奇襲を残されたインテリジェンスから読み解くと、1年以上前から周到に計画され、「穏健化」の皮をかぶってイスラエルを欺いたことが見えてくる。そしてイスラエルの過剰な報復による人道危機をも狙っていたのかもしれない。

 戦場はインテリジェンスの宝庫だ。奇襲を受けたイスラエルでは、パレスチナ武装勢力「ハマス」の戦闘員が戦死して遺した書類や地図、食糧、武器などを分析し、ハマス側の戦闘計画や戦略目標などが判明したというのだ。

 ロシア軍のウクライナ侵攻では、米国と英国は遺された兵器を分解して、部品の生産国を突き止め、輸出管理の強化に努めた。太平洋戦争では、米軍が南太平洋の島々で玉砕した日本軍の司令部跡などから大量の書類を得て、約4万人の日本軍将校リストを作成した。

『ワシントン・ポスト』によると、ハマスの奇襲は、単にイスラエル人を殺害し、人質として拉致するのが目的だったわけではなかった。5週間にわたり「証拠」を分析した結果、ハマスはイスラエル側が「圧倒的な報復攻撃をしなければならなくなる」ほどの大規模な戦闘でイスラエルを炎上させる計画だったことが分かったというのだ。

 同紙は情報のソースについて、現場の証拠物件に関してイスラエル軍から説明を受けた「12人以上の欧米および中東の現・元インテリジェンス・治安担当官」としている。

 それでは、戦闘現場には一体どのような情報が遺されていたのだろうか。

食糧も携行し2、3日の戦闘も想定か

 想定以上のハマスの大規模な戦闘計画を推定させるのは、数日間にわたり戦闘を継続するのに十分な食糧、弾薬、装備を携行していた戦闘員がいたことだ。彼らは「第一波の攻撃が成功すれば、続いてイスラエル国内により深く潜入せよ」と指示されていた。実際ハマスは、ガザの境界から約24キロ離れたオファキムという町にまで侵入していた。ヨルダン川西岸の境界あたりまで攻撃を続ける計画の部隊もあったようで、彼らはそんな戦闘拡大に必要な地図や偵察情報を持っていたという。

 それほどの装備で、戦況に応じ翌日あるいは翌々日まで戦闘を続け、イスラエル側により深刻なダメージを加える計画だったようだ。

1年以上前から計画

『ニューヨーク・タイムズ』によると、イスラエル側は2022年10月付とされるハマスの攻撃計画文書を発見している。

 ハマスは1年以上前から、綿密な準備工作に努めてきたのだ。偵察にドローンを使って、イスラエルの町や軍事施設を入れた精密な地図を作製。部隊ごとに、攻撃する「キブツ(農業共同体)」を割り当てていた。キブツの警備員やボランティア、住民まで手当たり次第に銃撃を加えたようだ。

 ハマスの攻撃で、より多くのイスラエル市民を殺害すれば、イスラエル軍はガザを地上侵攻し、さらに残酷で血なまぐさい戦闘になって、国際世論が味方してくれると読んでいたのだろう。

イスラエルを熟知する首謀者

 計画の首謀者とされるのは、ハマスの軍事部門出身でガザ地区のトップとされるヤヒヤ・シンワル氏。1962年ガザに生まれ、現在60ないし61歳。ガザ・イスラム大学卒。イスラエル兵の拉致や殺人罪に問われ、4回にわたり終身刑を言い渡され、そのうちの計22年間を服役、最終的に捕虜交換で釈放された。

 2017年以来、ハマスのリーダーの1人に選ばれている。ヘブライ語に堪能で、イスラエルの政治情勢にも詳しい。米政府は彼を「テロリスト」と指定している。

『ワシントン・ポスト』は、シンワル氏に会った経験があるイスラエル軍情報機関「アマン」の元パレスチナ問題担当部長マイケル・ミルシュタイン氏に取材している。彼によると、10月7日の作戦はイスラエル国民の性格や心理を熟知したシンワル氏らしい攻撃だという。

 それだけではない。作戦を実行する前段階の「前哨戦」で、実はシンワル氏はイスラエルに対して巧みな「心理戦略」を仕掛けていた。

ハマス「穏健化」で経済的恩恵

 シンワル氏は2021年以降、従来のハマスの路線から外れ、新たな現実主義的傾向を示し始めたと伝えられている。穏健化の印象を強めるためか、2021年以後イスラエルとの衝突を停止したという。

 同年5月、「パレスチナ・イスラム聖戦(PIJ)」がハマスとともに4000発のロケット攻撃を行い、市民11人と兵士1人を殺害したと報道されている。恐らくそれ以後、ハマスは対イスラエル攻撃を止めたとみられる。確かに、2022年8月のPIJの攻撃ではハマスは参加していない。

 一部の報道では、ハマスはその後、PIJに関するインテリジェンスをイスラエルに伝えたとも言われる。ハマスはイスラエルとの流血衝突には関わろうとしない、それが変化の証拠だとみるイスラエル人有識者もいた。

 まさに、シンワル氏が仕掛けた心理戦略は成功裏に開始されていたのである。

 ハマスは結成後の憲章で「イスラエルを消滅させる」ことを掲げてきたが、他のリーダーらもそれに言及しなくなっていた。彼らは、何より重要なのはガザのインフラ整備であり、200万人のパレスチナ住民の経済状況改善だと公言するようになった。

 欧州連合(EU)などの国際機関は2020年以降、学校からスポーツ施設、道路、下水施設など数十のプロジェクトに貢献。イスラエル自体も、2万人までのガザ住民に労働許可を与え、カタールは毎月3000万ドル(約45億円)の開発資金を提供してきた。

元アマン長官の嘆き

 この2、3年間、イスラエルは比較的平穏なガザより、北部国境ではイランに支援されたイスラム教シーア派勢力「ヒズボラ」の脅威、ヨルダン川西岸ではイスラエル軍・武装した入植者グループ対パレスチナ強硬グループの対立激化を懸念していた。

 イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ政権は事実上、ハマスの脅威を無視していたのだが、実際にはハマスは軍備を増強し、かつて1万人程度だったテロ組織が3万人を超す軍隊に拡大し、軍事訓練を重ねていた。イランが軍備増強に協力した可能性もある。

 そして10月7日、イスラエル奇襲の日を迎えた。「アマン」のアモス・ヤドリン元長官は「イスラエルは騙されていた」と嘆いたという。

 早朝、3000発以上のロケット砲を発射、高さ6メートルの境界璧は約30カ所で破られ、陸海空から数千人のハマス部隊がイスラエル領土内に突入、イスラエル側に1200人以上の死者を出し、240人が人質に取られた。

8200部隊、ハマス盗聴を1年前に停止

 イスラエル国内治安・情報機関「シンベト」がまったく気付かなかったわけではなかった。夜半からガザ地区内でハマスが異常な動きをしている事実を探知していた。

 しかしシンベトのローネン・バー長官はそれがハマスの軍事訓練かどうか、判断できかなかったという。インテリジェンス機関および安保組織の高官らもハマスが戦争を開始するとは信じられず、単なる夜間軍事演習とみていたというのだ。

 イスラエルが高度の技術を誇る信号情報(SIGINT)傍受機関「8200部隊」はハマス軍事部門の無線通信網を盗聴していたが、1年前に「無駄だ」として取りやめていたのが大失敗だった。

 それでも、バー長官はハマスが小規模な奇襲を開始する可能性があるとみて、トップの将官らと協議の上、対テロ・エリート部隊「テキーラ」チームの出動を要請、南部国境に派遣した。しかし、テキーラ部隊は、トラックやオートバイに乗り高速で境界壁を突破して侵入してきたハマスの銃撃に圧倒されたという。

 ハマスが穏健化し、脅威は封じ込められたという「傲慢な解釈」や「誤認」に基づく大失敗がこの侵攻で表面化した。

イラク戦争での米国の失敗と同じか

 シンベトのバー長官はイスラエル国民に対し自分の責任を認めたが、ネタニヤフ首相は責任をまったく認めず、イスラエル軍に残虐な報復攻撃を指示、ガザ最大の医療機関「シファ病院」への突入を命じた。

 ハマスの軍事司令部が病院地下に設置されているとの前提だが、そのファクトを示す施設が発見された確実な証拠は提示されていない。その現状は、2003年開戦のイラク戦争でイラク国内を徹底捜索しても大量破壊兵器が発見されなかった米国の大失敗を彷彿とさせる。

「病院は戦場ではない」(マーティン・グリフィス国連事務次長=人道問題担当)。病院への軍事攻撃は稚拙で戦争犯罪の疑いがある。生まれたばかりの多数の乳児が亡くなった極端な人道危機がまさに、この戦争の「最悪の象徴」と化し、国際世論を圧倒し、「停戦要求」が世界に広がった。

 まさにそれがシンワル氏らハマスの狙いだったに違いない。しかし、「パレスチナ国家」の創設を求める彼らの要求が受け入れられる日はいつ来るのか。その前に、イスラエルはハマスを軍事的に殲滅しようとしている。

 

カテゴリ: 政治 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
春名幹男(はるなみきお) 1946年京都市生れ。国際アナリスト、NPO法人インテリジェンス研究所理事。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授、早稲田大学客員教授を歴任。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『米中冷戦と日本』(PHP)、『仮面の日米同盟』(文春新書)などがある。
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