武道館を埋め尽くす中国人たち――華流ポップスターはなぜ「東京」を目指すのか

執筆者:広橋賢蔵 2024年11月17日
エリア: アジア
大幅な円安によって日本の大型コンサート会場が安価にレンタルできるようになり、利益が出しやすいビジネスモデルとなった[1966年にザ・ビートルズが初めて音楽ライブで使用した日本武道館=東京都千代田区](C)Caito - stock.adobe.com
ほとんどの日本人が名前も知らないアーティストが、ライブで武道館を一杯にする。そんな不思議な現象がここ数年で何度も起きている。公演を仕切るのはシンガポールなどの華人プロモーターで、アーティストは台湾人、客席を埋めるのは中国大陸から大挙して来日するファンたちだ。台湾人アーティストにとっては、中国大陸での活動に比べ政治的対立に巻き込まれるリスクを軽減でき、日本にも場所代や公演ついでの観光などで金が落ちる。いまのところ誰にとってもウィンウィンと言える新しいビジネスモデルは、このまま定着するのか。

 1964年に完成して以来、66年のビートルズの公演を皮切りに、音楽イベントも多数開催される日本武道館。近年、この武道館での公演を目指す華人系のアーティストが増えている。

 会場を埋めるのはほとんどが中華系、主に中国大陸からの観客である。日本在住の中国系の人々も少なくないが、コンサートの日程に合わせてはるばる中国内地から海を越えてやって来る客が多いのだ。

 2023年10月3日には台湾ポップスの重鎮、李宗盛 (ジョナサン・リー。66歳) 、2024年5月には張惠妹(アーメイ。52歳)、10月には香港出身の周華健(ワーキン・チャウ。63歳)と、華人ポップスターによる武道館公演が続いている。相次ぐ華人アーティストの武道館公演はどんなトレンドを示しているのか、分析してみる。

コロナ後の円安で東京が身近に

 李宗盛が武道館で公演すると聞いた時は、少し首を傾げた。「中華圏では誰もが知る存在だが、北京語で歌う彼は日本でそれほど知名度はないはず。果たして成功するのだろうか」という疑問だ。

 しかし、SNSでコンサートの動画を見る限り、客席はびっしりと埋まっていた。日本人シンガーのASKA(CHAGE and ASKA)がゲストで呼ばれていたため日本語通訳も入っていたのだが、李は客席に向かってほとんど北京語で話しかけ、客席は通訳を待たずに歓声や笑い声を返していた。つまり、元々これは日本人に向けてのコンサートではなく、中国語を理解する華人ファンに向けての公演であることが分かる。ほとんどの客は日本に住む中国人か、中国大陸からやってきたファンということだ。

 李に続いて武道館公演を成功させた張惠妹(2回公演)、周華健(1回公演)は、どちらも台湾芸能界では大御所と言える存在だ。

 ほかにも大規模なところでは、今年4月に周杰倫(ジェイ・チョウ。45歳。2000年デビューで中華圏音楽シーンのキング的存在)がKアリーナ横浜で「カーニバル・ワールドツアー」を、10~11月には若手の林宥嘉(ヨガ・リン。37歳。デビューは2008年)による東京ドームシティホール、グランキューブ大阪での公演が開催された。

 周杰倫のコンサート会場では、中国各省のファンクラブの横断幕を掲げるなど、東京まではるばるやって来たことをアピールする中国人のファンたちの姿もあった。

 華流ポップスが日本へ押し寄せる波をどう考えたらいいのか。

 まずはコロナ禍後に海外への往来が自由になったことと、為替が大幅な円安に振れたことが大きく影響しているようだ。大型のコンサート会場がこれまでよりも安価にレンタルできるようになり、主催者側にとっては利益が出しやすいビジネスモデルとなった。華人アーティストたちのコンサートチケット料金はおおむね1万〜3万円に設定されているが、中間層以上の中国人から見れば円安のため割安感があることに加え、公演を楽しむついでに日本で観光や買物などに興じることができる。

 そもそも中国人の立場になって考えれば、広い中国の各地で開催されるコンサートは、ファンにとってはどこも遠く感じる。上海から東京を直線距離で結ぶと約1800キロだが、これは北京―広州間の距離とほぼ変わらない。中国国内の公演チケットを物色するより、いっそのこと東京公演のチケットを入手して観光もしていこう、という話になる。人口も多い中国では、そういう消費を選択できる層も確実に存在しているわけだ。

台湾人歌手が中華圏の音楽シーンを席巻した90年代

 ここで、台湾出身のアーティストたちが、中国大陸マーケットで支持されている背景を紹介してみよう。

 1980年代、民主化が進む台湾では、政治的にも文化的にも自由な気風が生まれた。それまでは演歌調や日本歌謡曲の焼き直しが多かった音楽界だったが、この頃から、作詞作曲から演奏まで自分でこなすマルチな才能を持つシンガーが多く育てられていった。李宗盛はそんな中で音楽シーンに登場し、アーティストとしてのキャリアを積んでいった。

 1990年代はCDの売上が好調だったため、アーティストたちの活躍の場は台湾が中心だった。上で名前を挙げた張惠妹、周華健なども、この時代に人気を高めた歌手たちだ。当時はシンガポールやマレーシア出身の華人系シンガーも、まずは台湾でデビューして、そこから中華圏全体にファンの輪を広げる、というルートを取ることが多く、台湾は若手華人アーティストの“揺り籠”でもあった。

 しかし、2000年代に入ると、急速に豊かになっていく中国大陸のほうが、台湾人アーティストにとっても大きく収入が見込めるマーケットになっていった。

 李宗盛は台湾では「外省人」と呼ばれる、国共内戦後に台湾に来た大陸系移民の家系に当たる。当時すでにベテランの域に達していた彼にとっては、そうした出自も相まって中国で公演する機会も増えていき、やがて中国大陸が台湾に代わる居住の場になった。

 中国と台湾はビジネス交流を含めて密接度を高めていったが、音楽業界での往来も劇的に増加していて、一時は、台湾でヒットしたアーティストが旬を過ぎてくると中国へ活動の場を移すという、(少し乱暴な言い方かもしれないが)「出稼ぎ」現象が続いていた。大陸のマーケット規模は人口が2000万人規模の台湾よりも約70倍にもなるので、広い広いブルーオーシャンだった。

 中国大陸にしても、当時は自由な気風の中でアーティストを産む素地が整っておらず、海賊版の音源から流れるのは台湾人歌手の歌ばかり、という時代が続いたこともあり、中国のテレビやステージに登場する台湾人アーティストたちは重宝されたわけである。

 一方で、アーティストたちが台湾と中国のイデオロギー争いに巻き込まれる事態も、往々にして起こった。例えば張惠妹は、民進党政権が生まれた2000年、陳水扁総統の就任式で中華民国国歌を披露したばかりに、中国当局から不興を買い、しばらく中国での活動を禁止されたこともある。中国でビジネスをする限り、当局の逆鱗に触れる言動や行動は控える、という不文律の下、台湾人アーティストたちは大陸で活動を続けていくことになる。

 そして今、90年代にヒット曲を出した多くの台湾人シンガーたちが、台湾のテレビに登場することはますます少なくなっている。これは、多くのベテランシンガーが現在も中国に住み、中国のテレビやステージに出演するという状況が続いていることを意味している。

「出稼ぎ」から「海外巡業」へ

 しかし、2000年代以降は音楽CDの販売が頭打ちになり、アーティストたちは、ライブや公演などの活動で収益を確保するビジネスモデルに頼らざるを得ない時代に突入した。台湾でもそんな背景から、最近はバンドなどグループでライブ活動をするアーティストが主流になっている。すでに武道館公演を3回(2015年、2017年、2018年)果たした五月天(メイデイ)を始め、今年10月から11月にかけて、告五人、生祥楽隊といった台湾人グループがライブハウスなどで日本公演を果たしている。

 一方で、中国ではオーディション番組を通してローカルの新人シンガーが発掘されたりしている。こうした番組では台湾のベテランアーティストたちが審査員として活躍することも多い。台湾からの「出稼ぎ組」がローカルアーティストへバトンタッチをしていく過渡期なのだろう。

 さらに、先に紹介した周杰倫のコンサートを仕掛けているプロモーターがシンガポール系であることでも分かるように、中華圏のエンタテインメント業界はよりグローバルになっている。その世界戦略は、マーケットを確実に見極めた上で、したたかにグローバルな興業に打って出ることだ。これもチャイナタウンが世界各地に点在しており、それぞれに大きなマーケットが形成されている中華圏のポテンシャルがあるからこその展開だ。

 こうした時代の変化が、これまでの「出稼ぎ」モデルから「海外巡業」モデルへの転換を促している。

いまのところはウィンウィンの関係

 東京を中心とする日本を公演会場に選ぶ華人プロモーターは、日本人の想像を超える先見性を持っているかもしれない。例えば今後、激化する中国と台湾の政治・イデオロギー問題にアーティストが巻き込まれそうな場合は、日本で公演することでリスクを回避する狙いもあるだろう。生涯を通じて中国との距離を取り続けていた台湾出身の歌手テレサ・テンにとって、生前、日本という地が最高のステージになっていたように。 

 今のところ、台湾人アーティストと華人プロモーターはおおかたウィンウィンの関係にあるので、それほど摩擦が起こることはない。日本で公演をする場合には、日本の会社が華人プロモーターから会場の確保などを請負うという形で関わることが多いが、日本側としても中国人が武道館を埋めてくれ、公演ついでに観光で金を落としてくれる、というメリットがある。このビジネスモデルが定着すれば、今後も中華圏の人気シンガーたちの公演を日本各地で開くことが定番となっていくだろう。

 日本における華人たちの躍動は、「ガチ中華」に代表される中華料理店進出だけには止まらず、トータルなエンターテイメントの世界にも浸透していきそうだ。

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執筆者プロフィール
広橋賢蔵(ひろはしけんぞう) 台湾在住ライター。台湾観光案内ブログ『歩く台北』編集者。近著に『台湾の秘湯迷走旅』(共著、双葉文庫)など。
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